step.34「ダンジョン三階へ」
「さて。ここが三階に下りる階段だけど……」
家を買ってから二日後。
ぼくたちはダンジョンの二階に来ていた。
ダンジョンに来る前に、冒険者ギルドに顔を出したら、本日分の最新マップをもらえた。
このあいだリセットされたばかりの二階は、もうけっこう探索済みとなっていて――。これはぼくらの他にも、二階を探索しているグループがいるということだ。
三階に下りるための階段も、もう地図には記されていた。
ここまで迷うことなくやってこれた。
この階段を下りていった先の三階のマップは、ギルドにもまだ来ていないということで、もらえなかった。
ということは。まだ誰も行っていないということ。
一階と二階は、もうほとんど探察済みとなっている。
そして三階は、まったくの手つかず……。
そろそろ三階に行ってみようか? ――などと話していたぼくたちは、これを機会として、三階に行ってみることにした。
……したのだが。
「な、なんか怖いわよね」
「は、はじめてですしね」
「なーに怖がってんだ! これだから女は――」
「ロウガ。あんたはいま世界の全女性を敵に回した。――〝女だから〟とかいうんだったら、じゃあ貴方、先頭でいいわよね?」
「え? あ? 俺は……、うん! しんがりを守らないとなっ! いちばん後ろでいいや!」
「柔らか拳士の柔らかかったのは、装甲だけじゃなかったのね。メンタルも柔らかかったのね」
「ロウガさん……。無理しないでいいんですよ」
ノノのいたわりが、いちばん効いたみたい。
ロウガって、よく口が災いになってるよねー。あんまり喋らなければいいのにー。ぼくみたいに。
「じゃ、ぼく……、先、いくよ?」
「おねがいね。レムル」
「おねがいします。レムルさん」
《なにが出るのか、たのしみねー! あるじっ!》
《なにが出てきても、お守りします。あるじさま》
剣ちゃんと盾ちゃんも、そう言ってくれる。
ぼくは右手と左手――剣ちゃんと盾ちゃんを握る手に力をこめた。
ぼくを先頭にして、階段を下りてゆく。ダンジョンの階段というのは、なにか不思議な力が働いていて、階を分ける結界の働きをしているのだとか、なんだとか。
モンスターは階を越えては移動しないのだとか。
降りて行く途中の、ちょうど真ん中あたりで、なにか不思議な感覚を覚える。
頭からなにかの膜に突っこんで、抜けてゆくみたいな……。
そこを抜けきると、空気の質があきらかに変わった。
二階まではのんびりした感じがあったのだけど、三階はぴりぴりした感じを肌に覚える。
階段を下りきって、通路に出た。
一本道がまっすぐに続いている。
「三階……、到達、だけど」
「三階、ですけど……」
「三階だな……」
いつものぼくたちなら、わー、きゃー、ひゃー、うおー、とか声をあげているところなんだけど。
でも三階の空気は、なんだかいつもと違う感じで……。いつものノリでやれずにいた。
「俺。なんかこれ。覚えがあるぞ」
ロウガがぽつりと言う。
「なに? なんなの? いきなり?」
「この感じ。俺。知ってる。……師匠と組手をやったときのことだ」
通路の奥に目を凝らしながら、ロウガは話す。
ダンジョン三階はすごく薄暗い。
灯りの完備していた一階――。
灯りはまばらだったけど不自由はしなかった二階――。
そしてこの三階では、ついにほとんど灯りがなくなった。
松明っていうのを持ってきてるし、途中、魔法の燭台を一個手に入れたので、
印のついていない燭台は、戦利品として持ち帰っていいものとなっている。
高く買い取ってもらえないし、荷物になるから、あまり持ち帰る人はいないそうだけど……。〝消えない灯り〟として使うには、すごく便利。
アルテミスがごそごそと、荷物の中から燭台を取り出しにかかる。
それを床に置いて灯りを確保したあとで、こんどは松明を取り出して、火打ち石で、カチ、カチとかやって、火を熾しはじめる。
「魔法でやったほうが早いんじゃないのか? おまえ、火を出せるだろ?」
「MPがもったいないでしょ。――あ。ほら、ついた」
松明が配られる。
はじめて使った。松明はずっと持ち歩いていたけど、今日、はじめて使った。
「しかもそのときの師匠がな……」
ロウガは中断していた話を再開させた。
「まだ続くの? その話?」
「そのときの師匠は、本気モードで……、俺を殺しにくるつもりで……」
松明の揺れる炎に下から照らされるロウガの顔は、なんだか死体みたいで……すごい怖い。
「俺はそのとき、〝死んだふり〟に開眼したんだ。そうでなかったら、本当に死んでたかもしれないな……」
「はいはい。柔らか拳士列伝は、もう、いいから。怖い話大会なんて、こんなところではじめなくたっていいでしょ?」
「ばか。俺が行ってんのは、ここの空気が、それっていうことだよ」
「どれよ?」
「だから、本気で殺しにかかってきているときの……」
と、ロウガは通路の先に目をやった。
暗い通路はずっと先まで続いている。灯りをつけはしたが、見える範囲は何十歩程度。その先は闇。
その闇の中に、なにかが潜んでいる気がしてならない。
「あの闇の中に、冒険者絶対殺すマンが潜んでいる。俺たちに殺気を向けてきている」
「ば、ばかね。そんなこと、あるわけないでしょう」
「あるわけないわけないだろ。だってモンスターって、そういうもんだろ?」
「そ、そうだけど……」
ぼくたちはまだモンスターらしいモンスターと戦ったことがない。
アルマジロン……はあれ動物だし。
サーベルバニーは……、一応はモンスターなんだけど、なんか動物っぽかったし。
「こ、このへんだと……、な、なにが出るのかしら……?」
「しおり読め。カス」
「カスは余計。……読むけど」
アルテミスは冒険者のしおりを取り出し、燭台を引き寄せて、ページを照らした。
「……えっと。ゴブリン、オーク、など。あと巨大イモムシのワームだとか……」
「イモムシ、おいしいですよねー」
「えっ?」
皆の目が、一瞬、ノノに集まった。
だがすぐに、皆は、「なかった」ように目を離して、話に戻った。
「あとは、歩くキノコとか? キラー・スパイダーだとか……」
《腕が鳴るわねー。モンスターなら斬っちゃっていーんでしょ?》
《ああ……。あるじさま。おまもりします。おまもりします》
戦いの予感に、剣ちゃんと盾ちゃんは喜んでいる。
ぼくは正直、緊張していた。
ワームとかキノコとか巨大スパイダーとか、そういう相手を想定して、いろいろ練習してきたけども、うまく戦えるだろうか……?
そしていま出てきたなかでも、いちばん強いのが、ゴブリンなどの人型モンスターだろう。
人型モンスターは、人間と同じように武器を使ってくる。防具も着けていたりする。そして人間ほどではないけれど、言葉を話すぐらいの知恵を持っていたりする。
ダンジョンの中に生まれてしばらく経つと、群れができあがってしまって、手の付けられなくなってしまうこともあると聞く。ゴブリンは一匹ずつではそれほど強くないが、大勢で群れを作って、統制が取られると小さな軍隊みたいになるそうだ。
そうしたときには、一パーティで相手をするのはもはや不可能になるので……。
ギルドが招集をかけて、〝強襲〟をかけることもあるという。
またゴブリンだけを専門に狩る、高レベル冒険者を呼ぶこともあるそうだ。
ゴブリンのいるところなら、どこへでも現れ、たった一人でゴブリン軍団を壊滅させてゆくその人のことを、人は〝ゴブリン・スレイヤー〟と呼ぶ。
「ゴブリンって……、一匹倒すと、Gがけっこうドロップするそうよね」
これまでの雑魚(といってもぼくらには手強かったけど)と違って、ゴブリンあたりからは、一匹倒すと、数十Gぐらいのドロップが得られる。
「と、とにかく……、進もうぜ……」
「そ、そうよね……」
「シロちゃん離れちゃだめよ」
皆、腰が引けている。
ノノなんて、もうシロちゃんを喚びだしている。
《行こー! 行こー! ゴーゴー!》
《わくわくしますわー。おまもりしますわー》
それに比べて、剣ちゃんと盾ちゃんは、俄然、乗り気だ。
ぼく自信はどちらとも違っている感じ。
みんなのようにビビって固くなってしまっているわけでもないし。剣ちゃん盾ちゃんみたいにイケイケムードで盛り上がってもいないし。
一人、皆の誰とも違う心境で、立っていた。
そのぼくだから聞こえたのかもしれない。なんか遠くから、音が聞こえているような……?
その音は、だんだんと、こちらに近づいているような……?
「ね……、レムル? 早く進みましょう? 貴方が先頭なんだから……」
「しっ。」
アルテミスを黙らせて、ぼくは音に耳を澄ます。
うん……。聞き間違いじゃない。たしかに聞こえる。
この音は……。
「ね? なにか聞こえない?」
「聞こえるな。なんだろ?」
「なんでしょうか?」
みんなにも聞こえてきたようだ。
「……足音? ずいぶん急いでいる感じ? 大人数ね?」
「鎧がガチャガチャ鳴ってる音も聞こえてこないか?」
「なんかモンスターの声も聞こえてきませんか?」
「ねえこれ? ぜんぶあわせると、つまり、どういうことになるわけ?」
「なんだおまえ。そんなこともわからないのかよ」
ロウガが言う。
「大人数の冒険者が、モンスターに追われて、こっちに走ってるってことだろ?」
「と……、いうことは……?」
シロちゃんが咆えはじめる。一本道の奥に向かって、ワンワンと咆え猛る。
「――こっちに来るうぅぅぅーっ!?」
ここは一本道なのだった。
ということは、モンスターに追われた冒険者たちは、必ずこっちに向かってくるということだ。
一本道の奥に、なにかが見えた。
――と思ったら、ほとんど猶予もなく、それは一気に迫ってきた。
「――すまあぁぁぁん! トレインだーっ!」
先頭を走る戦士がそう叫ぶ。
とれいん? なんだろ? 引き連れてきたモンスターの名前?
「わっ、わっ、わっ――どどど、どうしたらっ!」
「わっ! わっ! わわっ! モンスター! ゴブリンだろっ! あれがゴブリンなんだろっ!」
「ししし――シロちゃん! あぶないから下がって!」
みんなは混乱している。ノノなんて召喚狼のシロちゃんを下がらせている。
そのあいだにも、ゴブリンの群れを引き連れたモンスターの一団は、どんどんとこちらに迫ってきている。
「レレレ――レムルっ! どうしようどうしようどうしたらっ!?」
「おいレムルどうすんだおいっ!?」
「レムルさん! レムルさん! レムルさあぁぁぁん!?」
どうするもなにも。一本道だし。あんな数だし。
ゴブリンっていったいどのくらい強いのか、戦ったことがないから、よくわかんないし。
仮にすっごく弱かったのだとしても、あんな何匹もいたら勝てるはずないし。
どう考えても、逃げるしかないと思うんだよね。
「逃げて。」
ぼくは皆にそう言った。
皆に手を振って階段を指差す。階段を下りてきてすぐだから、見えるところに階段がある。
皆は階段に向けて走って行った。
そして自分は、盾ちゃんを構えて、その場に残った。
《あれーっ? あたしの出番はーっ?》
剣ちゃんの出番は、いまはない。
「すまねえーっ! トレインは数匹くらいだーっ!」
「行って――。」
ぼくは階段の入口近くまで交代しつつ、駆けてきた戦士の男性にそう言った。
「すまん!」
戦士が抜けてゆく。
その後ろには、まだ何人か続いている。
「ごめんねっ!」
盗賊の女の人が駆け抜けて行って――。
「申し訳ございません!」
僧侶の女の人が走って行って――。
魔法使いのおじいさんが、はぁはぁ、ひいひい、言いながら――走っているとはちょっと言えない感じで、こっちに向かってきていた。
ゴブリンの姿も見えるようになってきている。追いつかれてしまいそう。
ぼくはすこし前に出た。
すぐに逃げられるように階段からは離れずに、すこしでも前に出ておく。
「わ――わしを置いてゆくなあぁ……、ひいひい」
おじいさんがぼくの隣を抜けるのと、ゴブリンがやってくるのは、ほとんど同時だった。
ぼくは両手で構えた盾で、ゴブリンを押し返した。
攻撃なんてするつもりはない。本当に単なる時間稼ぎ。
体当たりをする勢いで、盾をぶつけにいくと、ゴブリンは転んだ。後ろからやってきた数匹が引っかかって転ぶ。
《あるじさま――いまのうちに!》
うん。わかってる。
ぼくは階段に逃げこんだ。
階段を途中まで駆け上がってゆくと――。空気の質が変わった。
ぴりぴりとした三階の感じがなくなって、のんびりとした二階の感じにとってかわられる。
ゴブリンたちは途中まで追ってきていたようだが……。階の境界を越えてはやってこなかった。
やっぱり、あの話は本当だった。
モンスターは階を越えてはこないのだ。
階段を上りきって二階に到着すると、皆がいた。
さっき逃げてきていたパーティの人たちも4人ほどいた。
みんな床に座りこんで、ひいひい、はぁはぁ、と荒い息をついていた。
ぼくたちはダンジョンの三階でゴブリンに遭遇して、二階へと逃げ帰ってきた。
さて。これからどうしようか……?





