setp.11「冒険者ギルド」
《ねえ。ちょっとちょっと。本当に無理しなくていいんだよ!》
《あるじさま。帰りましょう? 戻りましょう? おうちは安全安心ですよ? 外に出なくてもいいんですよ?》
ぼくはボロのマントを頭からかぶって、フードを深々と引き下ろして、足元の地面だけを見つめて、通りを歩いていた。
いつもの酒場とはまるで違う方向に向けて歩いている。
剣ちゃん盾ちゃんが、しきりに話しかけている。二人の声はぼく以外には聞こえないので、他の人に気づかれる心配はまったくない。
《ねえってば! ちょっと聞きなさいよ! バカあるじ!》
《やめましょう。やめましょう。帰りましょう? そんなことしなくていいんですよ? ね? おうちにかえってお昼寝しましょう? わたしが枕になってあげますからー》
《あ、あたしのことも! 抱きしめて寝ていいからー!》
盾ちゃん剣ちゃんは、必死だ。
あれから何日か待って――。
今朝、ぼくは皆に話した。「冒険者になってみようと思うんだ」――と。
決意はもっと前にしていた。わざわざ何日か置いたのは、剣ちゃん盾ちゃんに、自分たちのあの夜の話が〝きっかけ〟だったと思わせないため。
翌朝にはもう決めていたけど、そのときに言ったら、二人はすぐに気がついたと思う。
だから時間をあけてから……、皆に打ち明けた。
そしたら、三人で、大合唱で、大反対。
だけどぼくはもう決めていたし。
いくら言ってきても、盾ちゃんも剣ちゃんも自分では動けないので、ぼくが持って出れば一緒に来るしかないわけだし。
「ちがうんだ……、ぼ、ぼくが……、や、やりたいんだ……、な、なりたいんだ……、ぼ……、冒険者に――」
つづく言葉を口に出すには、相当、苦労がいった。
嘘だけど。本当はそんなのしたくないけど。でも剣ちゃん盾ちゃんのためだったら、ぼくの気持ちとか、ぶっちゃけ、どうでもよかった。
《なんで! どうして! おうちで練習してるだけでいいじゃない! それでいいよ! それがいいよ! はい! 回れ右する! おうちかえる! 帰ろう! ――ねえちょっと! 帰ってよ!》
やだ。帰らない。
剣ちゃんや盾ちゃんにつらい思いをさせるぐらいなら、ぼくがつらい思いをしたほうが、百倍マシだ。
目指す建物は、街の中心部にあった。
大きな建物だ。窓がいくつも上まで続いている。外側の壁に看板がついていて、通り三本向こうからでも見えるような大きな文字で、「冒険者ギルド」と書かれている。
……書かれているはず。
字は読めないんだけど。ここが冒険者ギルドだということは知っている。
一階の受付には人が溢れていた。
入口から覗いただけで、目眩がした。
こんなにたくさんの人の中に踏み入ってゆくのは、引きこもりのニートにとって、「死ね」というのとおなじだ。
だけど、ぼくは剣ちゃんと盾ちゃんのためなら、死ねる。
そのことを証明する。
するったら、する。するんだと思う。したいんだ。できるといいんだけど……。
《ほら! ヘタレはヘタレらしく、回れ右しなさいよ!》
《ほら、あるじさまー、おうち帰りましょう?》
《そう! 帰るわよ! はやくする! 帰ったら――、そうだ! ついんて? とかゆーのに、なってあげてもいいから!》
彼女たちの姿は、わりと自由になる。
剣ちゃんの髪型が、両側縛ったツインテールにしたら似合うんじゃないかと、前から思っていた。剣ちゃん、正確キツいし。
でも口に出して言ったことなんて、なかったはずなんだけど……?
「ねえ、なんでそれ知ってるの?」
《寝言でゆってた》
「うわぁ……」
ぼくは自己嫌悪した。
剣ちゃんのツインテは見てみたかったが――。
それよりも、いまは、「冒険者」とかゆーのになるのが先だ。
冒険者になるためには、ギルドに行って登録すればいいらしい。
いつも葡萄酒を届ける酒場でよく見かける三人の男女が、どうも冒険者らしく、そんな話をしていた。
毎日通うあいだに聞きかじった断片を繋ぎあわせると――。
冒険者には、なろうと思えば、誰でもなれるらしい。
簡単な適性検査があって、どの職につくのかが、決まるらしい。
冒険者になるために、お金は特に必要ないらしい。
だから冒険者になる人は、後を絶たない……はずなんだけど。どうも酒場の常連の三人は、冒険者のなり手が少ないことでボヤいていたので、実際はどうだかわからない。
ぼくは冒険者ギルドの入口から、中を覗いていた。
入る勇気はなかった。
入口を入っていて、中にいる人たちの注目を浴びてしまった――と思うと、それが怖い。
「おいガキ。邪魔だ。脇へどくか入るかしろ」
上から声がした。
背が高くて筋肉の厚みもある、たぶん戦闘職と思われる男の人が、ぼくに向けてそう言った。
ぼくは震えあがって――ぴょん、と、脇へ動いた。
「すいません」と口にしようと思ったんだけど――。引きこもり歴、人生×二回分の引きニートにとって、それは無理だった。
黒塗りの装備で固めた男性に連れられて、赤い髪と、青い髪と、紫の髪の、それぞれ綺麗だったり可愛かったり美人だったりする少女や女性が、いい香りを残しながらギルドに入ってゆく。
みんなさっきの男性の〝パーティ〟とかいうのの、仲間なのだろうか。
女の人ばかりだ。美人さんばかりだ。
「やあリズ。いつも綺麗だな。――ところで転職目録が欲しいんだが。この駄犬が、そろそろクロウナイトをカンストしそうなんでな」
男性は受付に向かうと、すごく綺麗な受付のお姉さんに、まるで口説くみたいに話しかけている。赤い髪の女の子が「また駄犬ゆった!」と、髪の毛を膨らませて怒っている。
ちなみに列には5人だか10人だかといった人数が並んでいたはずなのだけど、彼らがロビーに入った途端に、皆、さささーっと、素知らぬふりで脇へとどいて、なぜだか窓口は一瞬で空いてしまっていた。
ぼくはそんな光景を、じーっと見ていた。
なんか……。冒険者、って感じが、すごく、する……。
ギルドホールにいた、歴戦の勇士っぽい冒険者の人たちは、ひどくざわついていた。「お、おい聞いたか?」「クロウナイトをカンストだってよ……」とか、そんな会話が聞こえてくる。
〝クロウナイト〟っていうのは、職の名前らしいけど。
ぜんぜんわからない。〝戦士〟でも〝魔法使い〟でも〝神官〟でも〝盗賊〟でもない。
たぶん〝転職〟をした先の職の名前なんだろう。
つまりぼくには関係がない。
歴戦の冒険者たちにとってさえ驚愕の話題らしいけど、これから冒険者になろうとしている、つまり「冒険者未満」のぼくには、雲の上すぎてわからない。
男性から駄犬扱いされている女の子が、皆がざわざわしている「カンスト手前のクロウナイト」とからしくて――。じゃあ、その彼女を駄犬呼ばわりする彼は、いったいなんなんだろう?
ほんと、雲の上すぎる。
ギルドホールの人目は、まったく彼らに向いていたので、ぼくは注目を浴びる心配をせずに、入口から中に入ることができた。
とことこ歩いて、開いている窓口の前に立つ。
例の目立つ人たちの隣の窓口だ。ここは、はじめから空いていた。
受付の綺麗な女の子は、例の目立つ人をじーっと見ていて、ぼくに気がついてくれない。
10秒、20秒、そうしていたけど、30秒目ぐらいに、ぼくは思いきって声をかけることにした。
「……、……」
だめだった。話しかけられるわけがない。引きこもり歴、人生×二回分は、伊達ではなかった。
60秒ぐらい、ずっとそうしていただろうか――。
隣の目立つ人たちを相手していた受付嬢のお姉さんが、笑顔で応対しながら――こっちの女の子に向けて、どすっと肘鉄をかました。
「いたっ……、なんなんですか、リズ先輩? えっ? ――あっ! はい! 失礼したしました! 本日はどんなご用件でしょうか?」
「……、……」
ぼくは要件を言おうとした。冒険者になりにきたんです。
でも当然、言えるはずがなかった。
口頭で伝えることは諦めて――。
マントの下に持っていた、剣を見せる。盾も見せる。
それで通じてくれることを祈る。
「……? はい?」
だめだったー!
《ねえ。あるじ。話すのがだめなら、筆談……? とかいうの、すればいいんじゃないの?》
剣ちゃんがそう言った。
さっきまではしきりに引き返そうと言っていたけど、冒険者ギルドに到着してからは、ずっと静かになっていた。
怒っちゃったかな? とか思っていたんだけど。手助けしてくれるらしい。
でもぼく。字が書けません。
女の子は、にっこりと笑って――。
「……ええと。その武器と防具は戦利品? ああ。はい。その買い取りですね? ではこちらの書類に記入を――」
《ぎゃあああーっ!》
《ひいぃぃ!》
剣ちゃんと盾ちゃんが、大声で悲鳴をあげている。
もちろん周りの人には聞こえていない。……のだけど、例の目立つパーティの紫の髪の女の人だけ、ちらりとこちらに目を向けた。
まあたぶん、なにかの偶然。聞こえていたり見えていたりするわけはない。
《破って破って! その書類! はやく破って! はやくうぅぅ!》
《嫌ですうぅ! 嫌ですうぅぅ! あるじさまのところにずっといるんですうぅぅ!》
ぼくは剣を持った手をばたばた。盾を持った手もばたばた。全身で「否定」を表した。
「……えと? ちがいましたか? それでは……、なんのご用で……?」
女の子が困っている。ぼくも困っている。
――と。
がすっ、と、横の窓口の綺麗で胸の大きなお姉さんから、また、鋭く肘鉄が入った。
「だから先輩! 痛いですって! え? それじゃなくて、そっちの書類? ――あっ!」
女の子は、ようやく気がついてくれた顔になる。
「――冒険者登録のご用ですね!」
ぼくは、首を何度も上下に振りたくった。
イエス。イエス。イエスです!
受付嬢さんすごいです! おもに隣のお姉さんのほうがすごいです!
「――それではこちらの書類にご記入を」
書類が出される。
ぼくは再び固まってしまった。
だから……。字……。書けないんですってば……。
《あの。あるじさま? わたし。書きましょうか?》
え? 書けるの?
盾ちゃんが現れる。ぼくに重なるようにして寄り添って、その指先で、どういうふうにペンで線を引けばいいのか教えてくれた。
ぼくはペンを握りしめて、その通りに線を引いていって――。
たぶん名前? それを書いた。「レムル」と書いたはず。
あと年齢? それも書いた。16歳……だったはず。
住所? それも書いた。書いてから思ったけど。なんとぼくにはいま「住所」がある。すごいことだった。
記入するのは、それだけでいいようだった。
ぼくは、ほーっと息を吐き出した。
大きな試練を乗り越えた気がする。
ぼくもこれで、晴れて冒険者に――。
「それでは能力測定しますね。あと適性検査も」
女の子は、笑顔でそう言った。
まだだった。
測定というのはともかく――。検査というのは、心配だ。検査というからには「失格」もあるんだろう。
ぼくの試練はまだまだ続くっぽい。
主人公が冒険者ギルド内でエンカウントした人物たちは、なんか重要人物っぽく出てきていますが、単なる通りすがりです。
今後もちらっとは出てくるかもしれませんが、べつに覚えなくていいです。
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当作品は、下々の者たちの物語で――。さらにいうと、レベル1からはじめる、等身大のちみっちゃい冒険譚ですので。
ゴブリン1匹倒すのに、ヒーヒー大騒ぎするような……。そんな領域が、守備範囲です。
あと、本日も2更新頑張りましたが! 明日からさすがに毎日1更新になります!
もうストックないです! ごめんなさい!
明日の更新は18時です。毎日18時で固定しようと思います。