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短編小説

怒りっぽいおじいちゃんとわたし

作者: 伊那

 好きなように生きてきた。

 その事を後悔するような日が来ても構わない、むしろ後悔なんてしないと思っていた。




 ***




 最近、おじいちゃんが変だ。

 わたしのおじいちゃんは、本当のおじいちゃんじゃない。お母さんのお父さんの兄弟、つまりわたしのおじいちゃんのお兄ちゃんだ。わたしがちっちゃい頃にお父さんとお母さんが死んで、親戚はおじいちゃんぐらいしかいなかったから、わたしの親代わりだ。

 おじいちゃんは隣の山田さんに言わせると「偏屈」で「つむじまがり」らしい。

 おじいちゃんは普段から怒ってなくても不機嫌な顔だし、友達らしい友達もいない。それにすぐわたしに怒鳴る。言い方がきついから、わたしはおじいちゃんに怒られないようにビクビクすることが多い。たまには優しい時とか普通の時もあるけど、あんまり長くは続かない。

 それに、最近は細かいことまで文句を言ってくるようになった。靴を脱いだら揃えておけとか、箸の正しい使い方をしろとか、ご飯の味付けがしょっぱいとか――。

 ご飯を作るとか、家事がわたしの仕事になったのは五年生になってから。最初はおじいちゃんも少しは手伝ってくれたのに、今はわたしが全部やってる。わたしはおじいちゃんの家政婦じゃない、って睨みつけると、おじいちゃんはわたしの何百倍も鋭い目付きになる。

 でも、前は「いいからやれっ」って言ってきたのに、最近はすぐに顔をそらして、自分の部屋にこもっちゃう。気に入らないことがあるとすぐにカッカするおじいちゃんにしては、我慢してるみたい。

 珍しい、というかおかしい。

 優しくされても「今日はわたしの誕生日だったかな?」と困ったようなソワソワした気分になるけど、黙られると変な気持ちになる。

 不自然だけど、文句ばっかりよりいいかも。

 気にしない方がいいのかも。

 もうすぐ、小学校を卒業する。

 新しい学校で、新しい生活がはじまるのだ。

 そっちの方が大事。

 つむじまがりのおじいちゃんなんか、どうだっていい。



 中学校は、想像していたほどいいところじゃなかった。新しい同級生は、みんなお父さんかお母さん、もしくは両方を連れてきた。

 わたしはおじいちゃんに入学式に来なくていいって言ったのに、聞いてもらえなかった。

 小学校の時は、みんなわたしのおじいちゃんのことを知っていた。笑うやつなんていなかった。いても、わたしがみんなと同じ普通の子だって分かると笑わなくなった。

 でも、中学校には同じ小学校の子は半分もいなかったから、ヨボヨボのおじいさんに誰もが注目した。

 回りのお父さんお母さんもチラチラおじいちゃんを見てた。みんな、おじいちゃんのこと場違いって思ってるみたいだった。

 わたしは恥ずかしかった。おじいちゃん、あんなにブスッとして、嫌々来てるみたいな顔。わたしと目が合っても嫌そうにした。

 おじいちゃんなんか、なんで来たんだろう。

 恥ずかしい。

 おじいちゃんの滅多に使わないスーツは、お葬式用みたいだし、腰もちょっと曲がってて、まわりの大人より小さかった。葬式と間違えて来たんじゃねえの、って誰かが言った。

 まわりの子のお父さんはかっこうよくて、他の子のお母さんはお化粧が濃いけど若かった。

 うちのおじいちゃんは……

 本当にもう、最低。

 式が終わったらすぐ帰っちゃうし。何しに来たのってくらい。

 サイテー。


「やめてよ、おじいちゃんなんか学校に来ないでよ!」

 ゴミ箱に隠して捨てた授業参観のお知らせが見つかったのは、参観日があと三日に迫った夜のこと。

 あと三日隠せたら、参観日なんてなかったことになったのに。

 おじいちゃんは入学式のあともすぐ帰ったんだから来なきゃよかったのに、って言っても「そうだな」って言ってた。だから参観日も来なくていいって言ったのに、「行く」って言う。

美久(みく)!」

 空気がビリビリする、怒鳴り声。

 こわかった。おじいちゃんに殴られたことはなかったけど、いつでもそうされたのと同じくらいに、その怒った声はわたしを縮みあがらせる。

 だからおじいちゃんのことなんて振り向かずに自分の部屋に逃げた。

 おじいちゃんが怒るのなんていつものこと。今回は特大の怒りだったけど。

 わたしが部屋に逃げちゃえば、おじいちゃんも次の日はまたムスッとしたまま朝ごはんを普通に食べてる。

 山田さんは時々言う。

『ああいう人は何しても怒るのよ。気にしなくていいの。ストレス発散みたいなものだから』

 入学式では笑われたけど、わたし、中学校の友達、出来た。

 その子たちはわたしの親代わりが、あのおじいさんだなんて知らない。だから仲良くしてくれてる。だから、おじいちゃんが参観日に来て、全部に台無しにしたら、困る。

 おじいちゃんなんか、大嫌い。わたしが小さい頃から文句ばっかり、嫌なことばっかり言う。

 わたし、もっと若くて優しい親代わりの家で育ちたかった!


 おじいちゃんは、参観日には来なかった。

 当日のおじいちゃんは、朝から何も言わないで、わたしは不安だった。黙ってやって来るんじゃないか、わたしのことずっと怒ってるんじゃないかって。

 だけど五時間目の数学の時間、わたしが教室の後ろを何回も確認しても、おじいちゃんらしき人は見つからなかった。

 ほっとした。

 おじいちゃん、来なかった。来ないでくれた。どうせ数学なんて出来ないし、授業風景を見られたらちゃんと勉強しろって文句言われるだけだし。

 何より、みんなに笑われずに済んだ。

 よかった。わたしは、親がいない、かわいそうなジジイの娘じゃない。

 わたしは安心しきって下校した。

 家に帰ったら、いつもついているはずの玄関の電気がついていなくて、部屋が真っ暗だった――。


「ああ、美久ちゃん」

 わたしは、いつも家の電気がついていることを知らなかった。この時まで、当たり前すぎて気づかなかった。

 隣の山田さんが、わたしにしがみつくようにつめよる。

「美久ちゃん、あたしもう耐えられないよ……」

 山田さんはボロボロと泣き出して、わたしは大人の女の人が泣く姿に戸惑った。

 山田さんは五十歳くらい、わたしのお母さんが生きてたとしてもお母さんより年上。そんな大人の人が泣くなんて。

「あたし、もうこんなの耐えられない。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 訳が分からない。山田さんはなんで泣いてるのだろうか。

「あたし言ったの、こんなの間違ってるって。でも、美久ちゃんに心配かけたくない、って」

「山田さん、なに……なんの話……?」

 隣の家のドアが開いて、誰か出てきた。山田さんの旦那さんだ。

「あのね、美久ちゃん……。あなたのおじいさんは、病気なの」

 旦那さんが山田さんの隣に立つ。

「もう治らない、末期の症状だって……」




 ***




 昔から、人におもねるのが嫌いだった。嘘をつくのも嫌いだ。嘘をついて誰かのご機嫌取りをするなんざロクでもない。

 自分の好きなように生きてきた。自分に嘘をつくのも嫌だ、言いたい事ははっきり言う。

 すると周りに人はいなくなった。別にいい、構やしない。自分一人でも自分の食い扶持ぐらい稼げる。一人で生きていくに足りる金さえあればそれで充分。

 何も問題なかった。

 あのちいせぇ子供がやってくるまでは――。

 もう何年も前に吉蔵(きちぞう)が死んだ。俺の文句も気にせずつきあってくれるのは、弟の吉蔵ぐらいだった。当然、むなしくなった。あいつはまだ還暦も迎えてなかった。弟は俺なんかよりも立派に生き、家族もいたのに。

 年とると、大切なやつも、そうでないやつも、みんな死んでくのを目にする事になる。長生きなんてするもんじゃねぇ。

 吉蔵の息子夫婦が死んだと知ったのは、事故から少したってからだった。

 あの子供が、行く宛てもなくうちにやって来てから。

 まだおむつも取れねぇ寝ションベンたれの頃だ。

 美久が来たのには、最初はうんざりしたもんだった。ロクでもない人生にロクでもない事件が起きたって。

 ぎゃあぎゃあ泣くちびを厄介払いしたかった。だが、施設ってやつは昔からどうも好かねぇ。少し前に知り合いに老人用施設なんざクソにもならねぇところに連れられたせいもある。あんなところロクでもない。子供向けの施設はちっとは違うかもしれないが、似たようなもんだ。

 あの子供は他に身よりがないから、仕方がなかった。

 ところが当然俺には子育ての経験もないし、何の道具も持ってない。母親経験のある知り合いなんてほとんどいない。知り合い自体少ない。ただ隣近所の山田には子供が二人いるってのを思い出した。しかも、近いからいい。

「はあ……。言いたかないですけどね、あなたと親しく挨拶した記憶もないんですけど、そんな親しくもない相手に頼るなんてお門違いじゃないですか?」

 最初はこうだ。山田のばばあ、前から俺が挨拶返さないのを根にもってやがった。

 だが山田寿子(ひさこ)は、美久の顔を見たとたんにコロっと態度を変えた。

「あらあ……なんてかわいい」

 実際山田が子供好きでよかった。あの寿子は俺の事は好かないが美久は別、といった態度を隠しもしないで美久の世話をはじめた。

 なんだかんだ言って、旦那の山田(さとし)もいろいろと面倒を見てくれた。

 山田の夫婦には、美久の事でかなり世話になっている。普段の俺なら他人の世話になんかなりたくない。だが俺は子供のおしめの替え方も養育費に関する事なんかもまるっきり知らない。それに世話になってるのは美久だ。美久が礼を言っておけばいい。俺は感謝なんて表に出したくないからな。挨拶ぐらいはしてやるし、歳暮くらいはくれてやる。

 とにかく、少しずつ少しずつ、美久のいる生活に慣れていって、頭の悪いガキも少しは言葉を覚えるようになったじゃないかと思った頃――俺は怪我をした。

 足を痛めて、一ヶ月は松葉杖暮らしを余儀なくされた。

 あ、と思った時にはもう遅かった。

 俺が死んだら、誰が美久を守るんだ?

 美久には身よりがない。俺以外には、ほとんど他人の親戚だけ。もしそいつらが美久の引き取りを拒否したり、美久の至らぬ点をあげつらっていびったりなんかしたら?

 ぞっとした。

 自分が死ぬ事なんかよりも、あいつが一人この世に放り出される事の方が怖かった。

 俺は、美久を一人になっても生活出来るように、しつける事にした。以前からだらしない子供にはなるなと言ってはいたが、足りないように思えた。

 俺は一人暮らしが長い。自分でも家事はたいてい出来る。だが美久はその時、まだ小学生だった。今保護者にいなくなられたら、自分で飯さえ作れない。

 もしかしたら、もしかしたらいつか嫁に行くかもしれない。その時になんにも出来ない嫁と思われたら。

 このままではいけないと思った。


 俺もたいした飯は作れない。もっと料理本を読んでこればよかった。美久が欲しがったらどんな本でも買ってやれるほどの金の貯えもない。もっと身を粉にして働けばよかった。あいつが分からない宿題を見てやった事もない。もっと――

 もっと、もっと……

 後悔するような日が来ても構わない、後悔しないと思っていた。

「残念ながら」

 病気の事を告げられたのは、足の怪我から二年近くたってからだったが、頭のどこかでは、いつかこの日が来ると知っていた。

 別段悲しくはなかった。

 だがとうとう、美久を一人にしなきゃならない日を告げられたのだ――。

 あの子は汚いじじい一人いなくなって、清々するかもしれない。最近は特に思春期なんだろう、俺を嫌ってきやがった。俺も若い時は親が嫌いだった。別に構やしない。だが俺は、腐っても親代わりなんだ。まだ小さい子供のくせに、あいつ一人で生きていかれるはずないだろう。

 確かに俺はロクでもない保護者だっただろうが、あいつを痛い目に遭わせた事は一度もない。もっと大事にしてやるんだった。もっと若い頃から金を貯めとくんだった。もっと知識を蓄えとくんだった。

 もっと、あいつのために、してやれる事がたくさんあったのに。

 なんで何もしてこなかったんだ。

 悔しいくらいだ。

 これから、出来る限りの事はやるつもりだが、年くって女々しくなったのか、あの子供の成長した姿が見たいと思うようにもなった。美久の中学校の入学式には、自分のために行く。

 高校の入学式には、出られないだろうから。




 病院にいるのが分かった。検査の時からなじみになった天井があったからだ。

 誰かのすすり泣く声がする。

「ごめんなさい」

 ああ、めんどくせえ。

 黙ってろっつったのに、山田の寿子、美久に全部話しやがったな。

「おじいちゃん、ごめんなさい」

 めんどくせえなあ。このまま狸寝入り決め込むか。

「ごめんなさい」

 美久がベッドの枕元につっぷしてる。

 何も謝ってほしい訳じゃない。

 老いぼれじじいはお前がちゃんと生きていけたら、それだけでいい。

 そのためだったら山田夫婦だけじゃなく、もっと違うやつらの力を借りたっていい。俺の医療費も要らない、葬式だって金がかかるからしなくていい。葬式の時には死んでるから自分には関係のないはずだ。

 遺されたのがお前なら、お前に面倒かける訳にはいかねえしな。

「きたねえ顔して泣いてんじゃあ、ねえ」

 お前の事が心配で仕方がないなんて、おくびにも出さないつもりだがな。

 俺はいつからこんなになっちまったんだろうな。

 俺が目覚めた事で美久は何やらまくしたてている。

「うるせえなあ」

三好(みよし)さん!」

 山田の寿子みたいな声に、俺はうんざりした。美久の後ろに本人がいる。

「美久ちゃんの気持ちにもなってみてください! あなたが突然倒れて病院に運ばれたなんて、びっくりするし心配に決まってるでしょう、それをうるさいだなんて」

 このばばあ本当にうるせえなあ。俺の気持ちはどうなるんだよ。美久には病気の事は話すなって言っておいたのにバラしやがって。めんどくせえな。

 あーあ。なにもかも台無しだ。美久にはある日突然ぽっくり死んだじじいで済ましたかったのに。弱って死んでいくところなんか、見せたくねえ。

「おじいちゃん、一人で勝手に決めないで」

 泣きはらした目で、美久は驚くくらい大人びた目をしていた。

「いつでも、わたしがいるから」

 最期の時まで。

 言葉にされなくとも分かった。

「ああ、そうかいそうかい。まったく、わずらわしいな」

 言いながら、説得力のない声になってしまった自覚はある。



 本当は、もっと一緒にいたかったよ、俺の娘――




 ***




 火葬場の煙突から煙が上がる。

「あの人、偏屈で人間嫌いで、あたし最初は嫌いだったよ。でもさ、それを変えたのはあんただよ、美久ちゃん」

 わたしは山田さんと煙を眺めている。

「おじいちゃん、お葬式なんてしなくていいって言ったんです。でも、わたしのためにってお願いしたら、受け入れてくれて」

 自分にはお葬式は必要ないって、言っていた。

 それは遺されたわたしに面倒をかけたくないからって、分かってた。

「頑固で、すぐに機嫌悪くなって、文句ばかり」

 おじいちゃんは、誰もが仲良くなりたいと思うような人ではなかった。

「でもわたし、」

 それでもわたしには、学校で必要なものがあるって言えば買ってきてくれた。わたしが食べるものや着るものに困ったことはない。わたしへの文句の中にはしつけが入ってたって分かってる。わたしの誕生日にはショートケーキを用意してくれた。わたしが家に帰る頃になると、玄関の電気をつけて待っていてくれた。

 分かりにくい優しさしか見せなくて、いつも「おかえり」って言ってくれたひと。

「おじいちゃんの子供で、よかった」

 煙がゆっくりと薄くなっていき、空の一部に溶けていった。

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