7、街
「リアー?」
「ん……何、お母さん?」
いつも通り朝ご飯を食べ終わり、家の中の掃除をしていた。箒を片手に外へと通じるドアの前に行く。そこにはもうドアに手をかけて今にも出かけようとしているお母さんがいた。
「どうしたの?」
「今日は帰りが遅くなりそうだから、市場には寄れないかもしれないの。だから、パンを買ってきてほしいの。場所は前に行ったから分かるでしょう?」
「……えーと、うん」
「ふふ、もし分からなかったら、アリルちゃんにでも聞くといいわ。お金は机の上に置いてあるから。それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい、お母さん」
お母さんは軽く手を振りながら、ドアの外へと消えてしまう。
さて、当然市場の場所なんて分からない。お母さんの言う通りアリルに聞きに行ったほうがいいだろう。
母に頼まれている家の掃除や洗濯の仕事も終わり、アリルを探すため家を出てアリルがいそうな場所を探す。アリルがいそうな場所といえば昨日会った井戸の近くしか思い浮かばない。
「おい、リア。こんな所で何してるんだ?」
「あ、クリフ‼︎クリフこそここで何してたんですか?」
「俺は今から森にでも行こうかと思ってな。で、お前は手ぶらで何してるんだ?」
「アリルを探してるんです。お母さんに市場でパンを買ってきてほしいと頼まれて」
「市場に行くのにどうしてアリルを探すんだ?」
「…………市場の場所、知らないから」
クリフが当然のように知っているらしかったので、言い出しづらくなって思わず顔をクリフからかそむける。
仕方がないじゃないですか、知らないものは知らないんですから。
「って、クリフ…笑わないでよ‼︎」
「いや…すまない。まさか、市場の場所が分からないなんて思っても見なくってさ。そいえば、お前、前に初めて市場に連れて行ってもらったって喜んでたもんな。リアの母さんって心配性でお前を外に出すの嫌がってたもんな」
そう言いながらも、クリフはどこかツボにはまったのか今も笑い続けている。いつまでも笑い続けるクリフを見て、気に障った私はクリフの足に思いっきり蹴りを入れる。
「痛ーっ‼︎何するんだ、リアー‼︎」
「笑い過ぎ。それより、アリルがどこにいるか知らない?」
「さあ、アリルなら家にいるんじゃないか?お兄さんの看病でもしてんだろ」
蹴られた足を痛そうに触りながらクリフは言う。私はクリフの言葉に首をかしげていた。
「アリルのお兄さんは病気か怪我でもしているんですか?」
「あ?知らないのかよ。まあ、あれもお前が風邪で寝込んでいる時だっから仕方がないか」
「で、アリルのお兄さんがどうかしたんですか?」
「リアも前にアリルから聞いたとは思うが、アリルの兄さんって前々から体調不良っぽかったらしいんだ。咳をしていたりひどい時は倒れたりしてさ。
それでつい最近、とうとうアリルのお兄さんが仕事中に倒れたんだ。しかもそれから倒れたっきりアリルの兄さんは目を覚ましていないらしい。病名もその原因も分からないみたいで、それでアリルは出来る限りの事をしてあげようって兄さんの看病をしているんだとさ」
「へぇー、そんなことがあったんだ……」
「俺的にはあいつが無理をしないか心配だかな。はあ、リアもアリルにどうせ会いに行くんだったら様子を見てきてやってほしいな」
「うん、分かったよ……………それにしても、クリフはいつもアリルの心配ばかりしてるよね?」
後者のほうが大事と言わんばかりに間をおいて言う。クリフは慌てて切羽詰まったように言った。
「そ、そんなことないっ‼︎気のせいだ!俺はただ、アリルのことが心配で……」
「まあ、そうだよねー。クリフはいつもアリルと仲よさそうにいるもんね」
「ああ、も、勿論だ。それより、さっさとアリルの家に行けよ。アリルの家はあっちにあるから」
クリフは指をさしながら私の背中をぐいぐい通す。ああ、やっぱり恋している人をからかうのは面白いです。反応が見ていて面白い。
あ、決してサドとかじゃないですからね。誰だって学校で仲良い恋人とか付き合ってる人とかからかったことあるでしょう?それと同じですよ。
押されながらもクリフの方を見ると心なしか顔が赤くなってるいような気がする。それを微笑ましく思いながらも、私はクリフのさした方角へと足を進めた。
クリフがアリルの家があると言っていた方角に来てみたものの、それだけではアリルの家を探し当てるのは難しい。というか、今更ですけどお兄さんの看病をしているアリルに、市場の場所まで案内してほしいっていうのは迷惑なのかもしれない。最悪、アリルに市場の場所だけでも聞いて後はどうにかしよう。別に方向音痴ではないはずだからなんとかたどり着けるはずだ。
「あれ、リアお姉ちゃん?」
誰かに名前を呼ばれたと思い振り返ると、そこには先日私達が行方不明で探し回っていたカルがいた。手には桶を持っているからきっと水でも汲みに行くところなのだろう。
私はカルと目を合わせられるように手を膝について、目線を低くする。
「カルじゃないですか?こんな所で奇遇ですね。お母さんの手伝いでもしているの?」
「うん‼︎水汲みは僕の仕事なんだよ。僕は力持ちだから一度にいっぱい水を運べて、お母さんが前に褒めてくれたの‼︎」
「そう、よかったね」
「そうだ、リアお姉ちゃんはこんな所で何してるの?」
「私はアリルの家に用があるの」
「アリルお姉ちゃんなら僕の家のお隣さんだよ。僕が案内してあげようか?」
「じゃあ、よろしくね」
「うん‼︎」と元気よく返事するとカルは小走りで走っていく。私はその後を追っていく。
元気なカルを見れて安心する。実のところを言うとカルにあの屋敷で強く言いすぎたんじゃないかと心配していたのだ。でも、この分だといろいろと吹っ切れたようですし本当によかった。これならもう、心配はいらないだろう。
「ここだよ‼︎」
カルが指差す方向には一軒の家が建っていた。他の私の家とさほど変わらないここら辺では普通の家。
カルは「僕は水汲みに行くから、バイバイ、お姉ちゃん」と言って勢いよく井戸のある方向に走って行った。私はアリルの家のドアの前に立った。そして、トントンと気のいい音がするドアを叩いた。
「はーい」と家の中から透き通る少女の声がし、ドアが開く。
「はい、なんですか……って、リア‼︎」
「おはよう、アリル。お邪魔だったかな?」
「ううん、全然大丈夫‼︎でも、急に私の家に来るなんてどうしたんですか?」
「それが、アリルに市場までの行き方を教えてもらいたいの……あ、でもお兄さんの看病で忙しいようだったら道だけ教えてくれてもいいよ」
「大丈夫、せっかくリアがわざわざ私を探してここまで来てくれたんです。それに市場までそんなに距離もないし、私が案内しますよ」
「ありがとう、アリル。じゃあ今から行ってもいい?」
「はい、すぐに行きましょう」
そうして、私とアリルは市場へと向かった。
「リアは市場に何を買いに行くの?」
「お母さんからパンを買ってきてほしいって言われてるの」
「パンかぁ……そいえば最近は食べてないな……」
どこか虚空を見つめ何かを思い出すように言う。やっぱり、お兄さんが働けなくなって収入源も減ったからかな。だとしたら、やっぱりアリルに案内役を任せたのはいろいろと悪かったかな?ああ、どうせならクリフにでも頼めばよかった。
「…………お兄さんは大丈夫なんですか?」
「はい、多分ですけど。それに、できる限りのことはしていますしきっとよくなりますよ」
「私もお兄さんが早くよくなるように祈っておきますよ」
「ふふ、ありがとう。それより、リア、ほら見えてきましたよ。あれが市場です!」
私もその言葉に歩いている進行方向、つまり前を見た。
そこにはこのさびれたというか貧乏暮らしであるこの街には似合わないような景色が広がっていた。
元の世界の夏祭りのように屋台が並べられ、人がたくさんいた。声を張り上げて客寄せする人もいたり、屋台の店には野菜や果物、日用品なんかが売っていた。
私は店頭に並べられている売り物に目移りし周りを見回しながら歩いていた。
「この市場は、一ヶ月に数回しか来ないから、市場が開かれている時はみんなが買い物に来て混んでしまうんです」
アリルの説明を聞きながら、私は周りを見渡すのを止められなかった。久しぶりに活気があるところに来たと思った。この街で元気があると言ったら小さな子供達ぐらいで、大人達は笑っていてもどこかにいつも疲れているような表情がある。
「リア、あそこにパン屋がありますよ」
「あ、ほんとだ‼︎」
アリルに言われたときに思い出した。そいえば市場に夢中で忘れてたけれど私、パンを買いに来たんだっけ。
私がポケットの中に手を入れるとゴツゴツとした感覚があった。私はそれをポケットから出す。そこにあったのはこの世界のお金だった。軽い赤褐色の硬貨が数枚手の中にある。母に言われたように机の上に置いてあったお金を全て持ってきたものの、私にはこの硬貨にどれだけの価値があるかわからない。
「いらっしゃい、どれにする?」
パンを売っているで店の前まで来ると、店の店長に声をかけられた。店頭には籠に入れられたパンが何個も置いてあった。
種類はいつもお母さんが出してくれるのでいいとは思うけど、どれくらいって言われてないですね……
「あのおじさん、これくらいならこの種類のパンがどれくらい買えますか?」
「ああ、それならこれだけ買えるぞ」
仕方がなく、私が手にあった硬貨を見せるとおじさんは籠一個分のパンを差し出した。
「それならこれだけもらいます」
「まいどー、ありがとな」
パンの量もちょうど良さそうだったので私は袋に入れられたパンとお金を交換し、それを受け取った。
パン屋を離れた私達は市場を適当に見て回っていた。私は相変わらず周りをキョロキョロしていた。
「何事もなく買えてよかったです」
「ふふ、そうですね」
「そいえば、アリルは何も買わなくてよかったの?市場ってたまにしか来ないんですよね?」
「たまにと言っても意外と次に来るまでの時間ってそんなにないんですよ」
「そっか……今日は案内してくれてありがとうごさいます、アリル」
「いいですよ、お礼なんて。それより、私はもう帰りますね。兄のことが心配なので」
「私はまだここにいようかな?市場の雰囲気って楽しいしもう少し味わっておきたいから」
「それでは、さようならです。道に迷わないように帰ってくださいね」
「分かってますよ。さようならー、アリル!」
アリルはそう言って軽く手を振りながら人ごみの中へと消えていく。私は市場の屋台を巡っていた。本当にいろいろなものが売っていて見ているだけでも楽しい。
店頭には見たことのない果物や野菜、道具が並べられていた。しかし、海からは遠いのか魚介類は全く売っていなかった。
………そいえば、ここにならあれが売っているかもしれない。あれというのは紙とペンなどの書けるものの事。家で、その二つを探してみたものの見つからなかったのだ。ただ単に私が見つけられなかっただけかもしれないと、母に「『ペン』と『紙』ってどこにあるの?」と聞いたところ、「『ペン』って何のこと?」と聞き返されてしまった。どうやら、昔の私は一度もペンと紙という言葉を発したことがなかったらしい。
つまり、その二つは私の身近になかったということになる。もしかしたら、ペンや紙は私達が買える値段のものではないか、使わない物かもしれない。前者の方だったら諦めるしかないが、後者だったらまだ希望はあると思う。それにこんな貧困街では文字を知っている人も少ないはずだから、使わないだけということもあり得る。
そもそも、私が紙やペンを欲しがっているのは魔術を使うため。勿論、そんなものなくたって魔術を使うことはできるが、今の私には魔術を使うために必要な魔力が子供の姿になったためか激減していた。だから、魔術をを何回も使えないし大仰な魔術も使えなくなってしまっている。
そこでサポート役として紙に術式を書いて使うことでそれを補える部分もあるということだ。まあ、紙やペンでなくたって石を削って書いてもいいけど、いざという時にそんなことしている場合ではないと思う。
「って、あれ……市場もう終わりなんだ」
紙やペンが置いてないかと店を見て回っていたが、人混みから抜けてしまった。振り返ると市場はここで終わっているらしい。店もここまでしか続いていなかった。
引き戻そうかと思ったが、さっきよりも人混みが多くなっていた。人混みの中にいたせいで少し疲れた。また、あの中に戻るのかと思うと気が落ち込む。
もう少し、先まで行ってみようかな?ここら辺は来たこともないし。前を見るとここら辺ではよく見かけるようなボロボロの街並みが広がっていた。
あまり気が進まなかったが引き戻すのは嫌だから前に進むしかない。すると、どこかから争うような怒鳴り声が聞こえた。風に乗ってきたような声でとてもかすかな声だった。
私はその声が気になって好奇心に身を任せ、その声の主人を探して歩き進めていた。