5、森の屋敷②
部屋に入ると、まずは泣き声が聞こえた。その嗚咽が混じった泣き声からあの光景を思い出しそうになり、危うく耳をふさぐところだった。
「ひくっ……ひっ、お、お父さん………どこにいるの………?」
聞き逃すところで、慌てて、顔を上げて周りを見渡す。あ、見つけた……やはり昨日見た事のあるような少年がいた。きっとこの子がカルだろう。部屋に取り付けられたベランダのようなところの柵にもたれかかってうずくまっている。
「カル……?」
「ん………リアお姉ちゃん?」
カルは顔を上げると私の方を向いていた。その顔は涙で濡れていて、今でも大粒の涙が目から流れ落ちていた。
「カル、みんな探してる。帰ろう?」
私はそう言って手を伸ばす。カルがいる所も今にも壊れそうなぐらいにボロボロだ。見ていて心臓が止まりそうになる。しかし、カルは首を振る。
「ダメだよ。お父さんにお父さんにまだ会えてない……約束したんだ、次に帰ってきた時はもう一度ここで星を見ようって……約束したんだ‼︎」
「…………」
私はカルの言葉を無表情で聞いていた。それなのにもかかわらずカルは必死にそう言ってくる。必死に必死に自分に言い聞かせている。
「だから……」
「もう、諦めたら?」
「えっ?」
私は冷たい絶対零度の声で言う。カルも雰囲気が違う私に驚いたのか固まってしまっている。
カルはまだ十才もいかない子供だ。親の死は辛い。年が小さければ小さいほど。ただ、たちが悪いのは最初からいないのではなく、ある程度記憶に残る思い出がある状態で子供が小さい時に死んでしまうところ。最初からいないのでは親がどういうものか分からない、それもそれで辛いだろうが、親がどういうものか知っているなら更に辛い。置いていかれた子供はその少ない思い出にすがるしかない。すがって、いると信じるしかない。
私が元いた世界なら、その子が小さい時は自然に悲しみが消えるまでそうさせておけばいい。そうして、年が大きくなるにつれて自然と理解すれば、その子だって整理がつく。
ただ、それは私の元いた世界での話。この世界の話じゃない。
________この世界はそんなに甘くない。待ってはくれない、理解している間に悲しんでいる間に死んでもおかしくない世界に私達は生きている。
私はそれがよく分かる。私は元々平和ボケした世界に住んでいたから分かる。戦争なんて関係のないような幸せすぎる世界に住んでいたからなおさら分かる。
だから、私はこの子に鞭を打つ。それがこの子のためになるはずだから。
私は深呼吸して言う。本当は私だってこんなこと言いたくない。お父さんは来るはずだと言ってあげたい。
______でも、死人は生き返らない。
そんな絵空事は諦めたほうがいい。叶えようと思ったら更に何かを失う事になりかねない。
「あなたのお父さんは、死んだの」
ゆっくりと一言ずつはっきりと言った。これで聞き間違いすることはないだろう。カルは震えた動揺したように私を指差し体を揺らして言う。その声は何かに急き立てられるようにひどく早い。
「う、嘘だ……お父さんは昨日帰ってきて僕と一緒にご飯を食べたんだよ?だから、昨日はいつもより豪華な食事だったんだよ?昨日はお父さんとお母さんが楽しそうに話していたし、昨日の朝だって…………」
「______今日は?」
「え………」
「今日はお父さんと何をしたの?いいえ、昨日の夜だっていい。あなたは、今日、お父さんを、見ていないでしょう?」
カルは目を大きく広げて私の方を凝視する。ああ、気づいたんだ。さっきまではきっと勘程度にしか思っていなかったのだろう。それが私の一言で確信に変わったんだ。カルは何かを言おうとしているようだったが、声が出ていない。多分、反論が思いつかないのだろう。思い浮かんぶ記憶は全部昨日の夕方までのものだけだろうから。
「いや………いやーーーー!」
両手で頭を押さえてカルは叫んでいた。声が泣いていたせいか枯れていて音量は殆どない。声のない悲鳴だ。
「お父さんは、どこに行ったの………?」
「もうどこにもいない。あなたのお父さんは天国に行ったの」
「天国………?」
「うん、だから、もうあなたとは会えない」
カルは静かに私の話を聞いている。何か嵐の前の静けさのようで怖いが、聞いてもらえるときに聞いてもらわないと。
「お父さんが………」
「え?」
「お父さんが……僕達を置いてどっかに行くなんてありえない‼︎もうすぐ、赤ちゃんだって生まれるんだよ?そんなことあるわけないよ‼︎」
「…………」
再度、切羽詰まったようにカルは次々に言葉を並べていく。これは言いたくなかった。カルのお父さんが亡くなったのは誰も悪くないはずなのにそれをカルに押し付けるようになるから言いたくなかった。だけど、カルがどうしてお父さんが死んだのかという理由を探しているなら答えるしかない。
「カル」
「お、お父さんは」
それ以上何も話さないで欲しいと言わんばかりに、私が何かを話すことを恐れていた。でも、私は言うしかない。
「あなたのお父さんは、あなた達を守る為に死んだの」
「え………」
「あなた達とこれから生まれてくるであろうその命の為に、あなたのお父さんは自分の食事をあなた達に分けて餓死したの」
「いや………それじゃあ、僕がお父さんを」
「それは違うの‼︎」
言わせてはいけないと思った。自分で自分の親を殺すなんて、そんなの自覚したらこの子は絶対に自殺する。何故かそう確信できる。あの時の私は自殺できない理由があったけれど、この子にはない、そんなものが。
今度は私が切羽詰まったように言う。
「あなたのお父さんは立派だった。あなた達を守る為に死んでいったの。それはあなたのお父さんの決断であって誰の責任でもない。強いて言うならその決断をしたお父さんの責任‼︎だから、生きている人では誰も悪くないの」
カルは安心したように少し頬を緩めたが、今度は迷子のような表情をする。
「じゃあ、どうすればいいの?僕は何をしたらいいの?」
あなたにはまだ何もできない。だから、そのままとにかく生きろ、と言えるほど私も流石に鬼じゃない。
私は頬を盛大に緩ませて言う。
「生きればいいの。それがあなたのお父さんが望んだこと。あなたがあなたのお母さんやこれから生まれてくる赤ちゃんを守れるぐらいに強くなればいいの。それだけでいい」
「いいの?本当にそんなことだけで」
「そんなことがあなたのお父さんの望みだからいいの」
私はもう一度手を伸ばす。やっと、見つけた。これで天国にいるお父さんも安心できるだろう。まあ、先にお母さんの方を安心させないと駄目ですけど。
カルは目をこすって涙を拭きながら徐ろに立ち上がる。その顔を見て安心する。その顔はもう悲しみで歪んではいない。今でも悲しみは残っているだろうが、少しは吹っ切れたのだろう。
さあ、早くクリフ達の所へ戻ろう。あ、でも、二階に勝手に言ってたって言ったら、アリルあたりに怒られそうです。
「ほらーー!早く、カル‼︎」
「分かったよ。急かさないでよ、リアお姉ちゃんっ!」
カルは嬉しそうに走ってくる。ああ、これでいろいろとあったけど、一件落着ということっ________!
_________ガシャーーーーっ………
「キャーーーーーーっ!」
悲鳴と足音なんかと比べものにならない程の大きな物音。何かが崩れる音。
ああ、気を抜いていた私が馬鹿だった。さっき自分で言ったじゃないか。
_______この世界ではいつ死んでも死んでもおかしくない世界に生きているって。
私って本当に駄目です。肝心なところでいつもこう。助けられると思った。言葉は通じたはずで、話は完結していて今から後日談のはずなのに、まだ、本編は続いてたんだ。
…………嫌だ。カルが死ぬだなんて嫌だ。もう目の前で誰かが死ぬなんて嫌だ。人が死ぬところなんてあんな吐き気のするような場面なんて見たくないっ‼︎
私は崩れていない床を蹴る。崩れたのは丁度カルのいたベランダのようになっていた所。カルも重力に逆らうことができずに今まさに下に落ちようとしている。ここから落ちたら死んでもおかしくない。
間に合わない。どのみち、駆け寄った所でただ私はカルが落ちてゆく場面を見るだけだ。
「そんなの……そんなのは!」
私は無意識に叫んでいた。もう何をすればいいかなんて考えてはいなかった。ただ、カルを助けたくて床を蹴っていた。
崩れゆく木材とベランダのような場所にあった鉢植えが割れる音がする中、高らかにはっきりと聞こえる凛とした声が響く。
_______テラヒューヌ
風が吹いた。私の後方から、普通の強さではない風。何十年に一回レベルで訪れるような台風の暴風並みの風が私のいた部屋から外へ向かって吹き荒れる。
私はその風に吹っ飛ばされて、飛ばされる寸前にカルを服をなんとか掴んでいた。そして、私とカルは風が吹くままに飛ばされて落ちた。
私だって馬鹿じゃない、地面に落ちたら死ぬかもしれないと分かっていてそこに落とすわけがない。だから、私はより安全な方に落ちるようにした。
ここは我儘なお嬢様が気に入って建てられた。別にこんな場所、好きでもなんでもないが、私は今、納得がいく。そのお嬢様とは今なら共感できる。
_______ここは最高の立地です。
私とカルは落ちていく。私はどうしてか笑っていた。ああ、同意見ですよ、どこかのお嬢様………ありがとう、思い出させてくれて。
クリフとアリルが何かが崩れ落ちる音がしてその部屋についた頃には、全てが崩れ落ちた後だった。
ベランダのような場所がごっそりと崩れ落ち、それに引きずられて部屋の半分以上が崩れ落ちている。煙がまだ立ち上っていて何も見えない。
「おい、リアー!カルーー‼︎いるなら、返事しろーー!」
叫んでも返答はない。しばらくクリフとアリルが叫び続けているとやっと立ち昇っていた煙がおさまる。しかし、その部屋のどこにも二人の姿はない。
クリフとは苦虫を潰したような表情をし、アリルは手で口元を押さえて目を大きく見開いて信じられないというようだった。
二人の間に嫌な沈黙が流れる。物音のない、静かだっだ。二人とも顔を合わせずにうつむいている。
「アリル……リアは………カルは………もしかして」
「____おーーい、誰かーーーっ!」
クリフが何かを言おうとした途端に外から声が聞こえる。それはクリフとアリルにとっては聞き覚えのある声で、声の主は今死んだはずでもある。
クリフは外を確かめるために崩れていない先端の場所に立つ。そこからは外がよく見える。そして、クリフは外を探していた。アリルもクリフの横に立ってリアとカルを探す。
「おーーい、リア、カル、どこだーー!」
「ここ、ここですーーーーー!」
「だから、どこにいるんだ!」
「クリフの目の前です!」
「はあ?」
クリフは言われた通り半信半疑で目の前を向く。目の前に広がるのはもうすぐ夕方になるだろう赤く染まり始めている太陽とその光を反射させ輝いている湖だった。
クリフはもしかしてと湖の方を見た。そこには、カルを抱えて水に浮かんで手を振るリアの姿があった。
私は水面になんとかカルを抱えて首を出しながら、クリフ達が来るのを待った。指先がかすかについているから、この湖はそこまで深い湖ではないらしい。奥に進んでいったら深いのかもしれないが。
私が走る中考えたことは、地面に落ちたら死ぬ可能性がある。だったら、地面じゃないもっと固くない場所に落とせばいい。その結果それは上手くいき、私とカルは今こうしてプカプカと湖では浮かんでいるわけである。
カルは突然の出来事に驚いたのか気絶してしまっていて、どうやら私がしたことは見ていないようでひとまず安心である。
私は一つ大きな勘違いをしていた。もしくは今の今まで忘れていたことがある。
___________そいえば、私って魔術師だった。
そして、それが無意識のうちに出ていた結果がこれでもある。お陰で、やっと本編からは抜けられて後日談になりそうである。
さて、もう一つ私が勘違いをしていたこととは、私は別に人攫いや病に怯える必要はなかったということである。正直な所、別に人攫いに会っても子供の私だったとしても負ける気がしないし、病になっても難病でない限りはある程度治癒魔術が使える。飢えの方も助ける方法なんていくらでもある。
つまり、別に私は何もない所からのスタートではなかったらしい。チートと言われてもおかしくないようなものを最初から持っていた。だったら、それは使ってもルール違反にはならないはずだ。
______だったら、魔術を使って、貧乏から抜け出してもいいですよね、神様