3、外へ
次の日、朝起きてから昨日と同じように台所へ向かうと、お母さんがエプロン姿で朝食の準備をしていた。
お母さんに見つからないようにと音を立てないように静かにドアを閉めた。しかし、ドアはその思いに反してギーッと、黒板を爪で引っ掻いた時のような耳障りな嫌な音がなる。私は肩を大きく揺らして驚いた。そして、恐る恐る視線だけを台所にいるお母さんの方へと向けた。
「おはよう、リア」
「お、おはよう、お母さん……」
お母さんは変わらないニコニコとした優しい笑顔で私に向かってそういった。そして、それを言うとまた朝食の準備を再開していた。
よかった……何も聞かなかった。もし、昨日どうして泣いていたの?なんて聞かれたらどう答えればいいか分からない。もしかしたら、お母さんは私のためにあえて聞かなかったのかもしれない。
椅子に座っていると朝食が運ばれてきた。昨日よりは豪華とは言えないがそれでも昨日のパンの三分の一のサラダのようなものが運ばれてきた。私が昨日予想していたよりは量も多そうだし、サラダはドレッシングのかかっていないサラダと思えば全然いけそうだった。
私がパンを頬張っているとお母さんが話しかけてきた。
「今日はリアも気分転換に外へいってらっしゃい。ただし、まだ病み上がりなんだから、森に行ってはダメよ」
パンが口の中にあるため返事ができず、首を縦にふることでお母さんに分かったということを知らせた。
それにしても、この街の近くには森があるらしい。しかも、子供達だけで行けるような距離にだ。おそらく今、サラダとしてここにあるものたちもそこで採れたものなのだろう。
お母さんは自分の分の朝食を私より先に食べ終わると、私に「食べ終わったら、食器洗っておいてね」と言い残して出かけてしまった。お母さんもやはり多忙なのかな?無理をしていないといいけど。一瞬、昨日のことがフラッシュバックするが頭を振ってそのことを忘れる。今、あれを思い出すと朝食が食べられなくなりそうだ。
私もさっさと朝食を食べ終わらせるとそれをいつもお母さんが立っていた部屋に持っていく。部屋のそうじをするために入ったことはあったもののあの時は床を掃いてばかりだったから、部屋の全体像を見ることはなかった。
その部屋にはここで料理をするであろう台と少し水の入った桶の横に食器が重ねられていた。おそらくこの桶の中で食器を洗うのだと思う。元々、水道があるなんて思ってない。第一、この世界には電気すらあるかどうか分からない。
水はどこにあるのかな?
多分井戸がどこかで汲んでくるのだろうけど。桶には濁った水が数センチ溜まっているだけでこれだけでは洗えない。
とにかく、外に出て近くに井戸がないか確認しよう。こうしていても仕方がない。私は食器の入った桶を抱えて家の扉へと向かった。
ドアを開けるために桶を片手で持つ。桶だけでも重いし、それに食器の重さも足されて食器の入った桶は子供の私が片手で支えられるほど軽くはなかった。私はいったん、ドアの近くに桶を置いた。
そして、その手はなかなかドア開けることができなかった。
実際には数秒のことだったかもしれない。でも、その間に私は昨日の出来事を思い出していた。
目の前で、人が死体に縋り付いて泣き叫んでた。
目の前で、生きていない人、ただの死体が転がっていた。
初めて自分はいつ死んでもないのだと理解した。
今外に出たとして、もしかしたら迷子になって帰れなくなって私もあの人と同じようになるかもしれない。その可能性は低くはない。
側から見れば家のドアにただただ突っ立っているようにしか見えない。どうしようと悩んでも、私の手がドアに触れることはない。はぁーーと長い溜息をついていた。ドアを開けるのがこんなに辛いと思ったのは心霊番組を見た小さい頃以来だろう。
私がどうすることもできずにいると、昨日と同じように外から大声が聞こえた。私はそれにビクッとなるがその声はどうやら悲鳴や嗚咽が混じったものではないらしい。二日続けて人が死ぬところなんて見たら本当に精神崩壊ですよ……?
その声に耳をすませているとその声の主が私の家の方に近づいているような気がした。何だろうと好奇心に負けて昨日のことなんて忘れてしまいドアを開けようとした。しかし、私が伸ばしたその手はドアに当たることなくドアにぶち当たった。
ドアが勢いよく私の方にドアが開かれる。私はそれをかわすため、ドアに当たって痛む手を押さえながら後ろへと下がった。しかしそのドアの勢いが半端なく早いので地面へと尻餅をついてしまう。幸い、そこには食器の入った桶は置いていなかったので怪我をすることも食器が割れることもなかった。
ドアに切迫した表情で立っていたのは私と同じぐらいの年の茶髪の少年だった。その髪を汗で濡らしていて、私がいるのに気づいた途端血走った目で私を見た。そして、私が話しかける前にその少年は話し始めた。
「おい、リア、カルがどこ行ったか知らないか!」
「え、えっ……ど、どういうことですか?」
「だから、カルがここに来てないかってきているんだ‼︎」
「今日は誰も来てないです‼︎」
いや、まずカルが誰なのかも知らないし、そもそもあなたが誰なのかも分からないんですけど。まあ、多分、私の知り合いなのはこの人の私に対する接し方で分かりますが。それでも、ノックぐらいしてもらわないと驚きますって。
その少年はチッと舌打ちを鳴らすと頭を掻いて何か考えているようだった。
「あ、あの……」
「まあ、いいか。リアも手伝え!カルが今日の朝突然姿を消したらしいんだ。他の手の空いている奴らで探してるんだが一向に見つからないんだ」
その少年はそう言って私の腕を掴んで強引に持ち上げる。そして、そのまま、私の意見は反映されないらしく当然拒否権もないらしい。その少年は私の手を引っ張り家から連れ出した。
ああ、私にはまだ食器を洗っておいてというお母さんからの頼みがあったのに。それより、この人の名前は何なのだろう。流石に名前を知らないと怪しまれるよね。でも、人の名前って当てずっぽうで言っても絶対に当たらない気がする。
私が脳内で名前当てゲームを開催している中、私はふと、その少年の後ろ姿を見た。
「クリフ?」
「ん、なんだ」
「いや、なんでもない」
クリフは訝しげは表情をしていたが急いでいるらしく、前を向いて相変わらずどこかへ私を引っ張っている。クリフの後ろ姿を見た途端頭の中に思いついた名前らしきものをついつい声に出してしまった。もしかしたら、言語の時のように体で覚えていたものが無意識的に出たのかもしれない。
あ、そいえば、クリフのおかげで外に出れた。急に外に連れ出されたから分からなかったけど……
「ありがとう、クリフ」
「は?さっきからなんなんだよ。俺の名前を呼んだり、お礼言ったりさ」
「ふふ、なんでもない」
クリフは一層訝しげな表情をしていたが、私は言いようのない嬉しさがあった。
クリフに引っ張られること数分後、私はどこかの広場に連れて行かれた。そこには私ぐらいの子供や私より小さい子達も集まっていた。しかし、そのどの子にも不安と焦りの表情がある。
「クリフー!」
「アリル‼︎そっちはどうだった?」
かけ寄りながらクリフが話しているのは、綺麗な黒髪の服と同じぐらいボロボロなエプロンをつけた少女だった。アリルは他の子供達と同じように不安と焦った表情をしていたものの、私がいるのに気がつくとクリフが状況を言う間もなく笑顔を顔に浮かべて抱きついてきた。
「リア、来てくれたのね。アリルはとっても嬉しいんですっ‼︎」
うう……苦しい。この子いったい、どうして急に抱きついてきたの?しかも、いろいろと言いたい事がっ……
「おいおい、二人とも、そんなことしてる場合か。カルが消えたんだろ?」
アリルはクリフの言葉に私から離れるとゴホンと咳をし、背筋を正していた。はぁ、苦しかった。クリフ、ナイスです。いきなり何なのだろう。抱きついてきたり、急に態度を変えたりと。
そして、アリルはクリフに向かって凛とした声で言った。
「そうですね。こんなことをしている場合ではありませんね。可愛いリアを連れてきたということはリアの所にはカルがいなかったということですか?」
「ああ、そっちも何か手がかりがあったのか?」
「いえ、何も……誰一人としてカルを見かけていないと言っていました」
「くそっ、運が悪すぎるだろ」
クリフは歯を噛んで悔しそうにしている。そこへ、クリフの服の袖を引っ張る子供がいた。その子も心配しているようで、今にも泣きそうだった。
「クリフお兄ちゃん……カルはどこに行ったの?もしかして……人攫いに連れて行かれたなんてことはないよね‼︎」
『人攫い』という言葉をその子が発した途端、場の空気が凍った。そして、その場にいる全員がクリフの方を向いてどう答えるかを静かに待っていた。
その中で場違いだろうと思われるが私はこんなことを考えていた。
______人攫いって何?
いや、別に想像できないことはない。きっと、奴隷にできる子供を攫って行く集団を意味しているということはなんとなくわかる。奴隷商人に引き取られたら、どうしようもないとここにいる全員はそう思っているのだろう。
_______でも、それって、助けに行けば、どうにかなることだと私は思う。
それに……こんな場所で一日暮らしてみてよく分かったことがある。たとえ、そのせいで奴隷商人に捕まって警察的な人達に差し出されてもそれはそれで幸せなんじゃないかと。刑務所にいれば、殺されることもないしご飯だって出ると思う。だから、別にどちらに転がっても悪いことなんてない。
私が場違いな事を思う中、クリフはゆっくりとその返答を出した。
「______ああ、それもあるかもな」
クリフにそれを聞いた子を含め全員が意をつかれたような表情をしていた。多分全員がそれを考えないようにしていたのだろう。アリルはクリフに焦ったように聞いた。
「ちょっ、クリフ!あなたなんてことを言うの‼︎それに……」
「いいから、話を聞けって」
クリフは笑いながらアリルに言う。アリルは笑っていうクリフに拍子抜けしたようで、黙っていた。
「そうだな、それもあり得る……ただ、俺はこの可能性だってあると思う」
クリフは今にも泣きそうだった女の子の頭を撫でながら、そのまま言った。
「でも、もしかしたら、どこかで迷って帰れなくなっているだけなのかもしれないだろ?どちらにせよ、俺達にはカルを探すことしかできないんだ。だったら、カルが生きていることを信じて探すしかないだろ」
全員が黙ってそれを聞いていた。クリフの言うことは最もだと思う。
子供達の集まりの中からこんな声が飛んだ。
「ぼ、僕、もう一度他の人に聞いてみる!もっとくまなく探してみる‼︎」
その声に私も僕も俺もとどんどんそれにつられて声が上がっていく。
「だったら、もう一度各自の場所を探してみてくれ。次に集まるのは一の時だ」
クリフがそう言うと皆が散っていく。そのどの子にもさっきのような不安の表情は消えていた。全員が意気込んでいる。広場に残された私達三人のうちアリルが手でくすくすと笑うのを押さえて言った。
「ふふ、クリフらしい。一時期はどうなることだと思ったけれど、いい結果に持ち込んでくれてよかった」
「喜んでいる場合かよ……まだ、何も解決してない」
「そうですね。ごめんなさい、最近はいろいろとあって笑っていなかったから」
「そいえば、お前……」
「ううん、大丈夫だから、早く私達も探しに行きませんか?子供達を焚きつけたのは私達なんだから」
「ああ、そうだな」
二人が優雅に話している中、私は近くでそれを見ているはずなのに遠くで見ている気分だった。含みが所々にあって何話してるのかさっぱりだけど、どうして私だけ仲間はずれにされているんですか…?確かに、クリフとアリルってお似合いの二人で、将来結婚しても全然違和感なさそうです。私だけなんか場違い感が半端ない。
というか、今の話の中で気になることがあるから聞きたいんだけど、いつこの二人の中に割り込んだらいいの?すごくいいムードだから壊したくないんですけど。
私は私の中で一番遠慮気味に声を出す。
「あ、あの……お、お二人さん?」
「そいえば、リアもいたな。今の今まで忘れてた」
はっ、あなたが私の意見も聞かずにここに連れ出したのはあなたですよっ!
どうして忘れてるんですか?というか、どうして、私が割り込んだ瞬間嫌そうな顔するんですか。やっぱり、クリフもアリルに気があるんですね。
機嫌を悪くしたクリフとは違いアリルは悲しそうにしている。
「あ、ああ、わ、私はせっかく来てくれたリアの存在を忘れて、クリフなんかと話していたの………ごめんなさい!リア……だから、私のこと、嫌いにならないでっー!」
そう言って私に抱きついてくる。く、苦しい。謝って欲しかったのには変わらないけど、これはやり過ぎです。アリルは気づいてないけど、アリルが「クリフなんかと」って言ったせいでクリフの機嫌がさらに悪化している。クリフはアリルの言葉に衝撃を受けたようで「クリフなんかと……?」ってさっきからブツブツ言っていて、すごく怖いんですけど。
「クリフ、それにアリル?」
「は?なんだ」
こ、怖い……でも、これは言わないと。
「わ、私、少し気になることがあって」
「気になること?何のことですか?」
私は深呼吸をして、いとまず落ち着いた後、口を開いた。よく考えればおかしいことをアリルは言っている。
「どうして、誰もカルを見てないの?」