2、現状
自分の立ち位置とこれから始まるであろう転生先での生活を考えてげんなりしていた。
私は今、家の部屋を掃除していた。だから、手には昔ながらの箒を持っている。適当に床を履きながら、再度肩を落としていた。
別に金があれば幸せなんて考えは持っていない。でも、それでもある程度の普通のところで生まれたかった。これなら、元の世界での暮らしの方がよかったかも……今更だけど。
今日は病み上がりということで家で掃除でもしておいてとお母さんに頼まれた。お母さんは私にそれを言ったあとどこかへ出かけて行ってしまった。きっと、どこかに働きに出かけて行ったのだろう。お母さんが「今日は」と言っていたあたり、明日は私も外で働かされるのだろう。まぁ、生きていくためなら仕方がないし、運がいいことに私は大食いではない。元の世界でも少食だった。口もそんなに肥えていなかったから、ご飯についてはたぶん、大丈夫。というか、そう思わないとやってられない。
住めば都という言葉がある。きっとこの生活にもすぐに慣れるだろう。今は前の生活と比べてばかりいるから駄目なんだ。そうだ、こっちには優しくて綺麗なお母さんもいるし会ったことはないけど私たち家族のために遠出して働いてくれるお父さんもいる。お母さんとご飯が食べれる。食卓が囲める、何かをして欲しいと家事を頼まれる。
________どれも、元の世界にはないものだったじゃないか。確かに、大切だった私の友人はいないけれど、元の世界にないものがここにはある………そう思えばいい。
欠点ばかり並べたって仕方がない。私にはどうすることもできない。元の世界の私ならどうにかできたかもしれないけど、今の十才程度の子供ができることなんて高が知れている。せいぜい、お母さんのお手伝いをしてお母さんの支えになればいい程度のもの。
「………ああ、なんで私、こんなに悩んでるの?何もできないじゃん。この中で幸せになるしかないんだから」
高望みはしていないって、これではしていると同じだ。文句言い過ぎ。生を受けただけでも喜ばないと。でも、本当にこれが幸せなのかな?
……もういい、さっさと掃除済ませてしまおうっと。私はそれから何も考えずに、床を履いていた。
私は途中で同じ部屋ばかりを履いていることに気がついた。さっきから、台所がある部屋と食卓テーブルが置かれた部屋、私が寝ていた部屋ばかりを掃除していた。掃除している途中で新しい部屋へのドアを見つけたけれど入る気は起きなかった。
しかし、この三つの部屋はもうゴミと言えるものがない。正直、雑巾で家具を拭きたかったけれど水をどこから汲めばいいか分からなかったし、雑巾の位置も分からない。
それなら、せっかくだし新しいところを発掘しにでも行こうかな?丁度気も滅入っていたところだから。もしかしたら、こっちの世界にしかない面白い何かがあるかもしれないし。それに、ものの配置とか覚えてないと不審がられても困る。ここを追い出されたらどこにも行くあてがないのだから。
キッーと嫌な音を立てながら開くドアを耳を塞ぎながら開ける。全ての部屋に行ってみたけれど特に見新しいものはなかった。唯一開けていないといえば、外へ続くドアだろう。外のことなんて全く分からないから開ける気にもならない。もし、何も分からないものだったじゃ右も左も分からないこんな土地で迷子になったら、早速私は死ぬことになるのだろう。だから、今日はお母さんの言いつけ通り外へは出ない。私は元々家から出たくないという思考を持っている。引きこもりではないが必要最低限外へは出ない。人ごみが嫌いだから、出たとしても人の少ない場所を狙って行くのだ。
新しい部屋の発掘も終えた私はその部屋の掃除を開始しようとした。
「いやーーーっ!そんな……そんなーーーーーっ‼︎」
私のいる家の中にまで響くような声が聞こえた。私はその声にびっくりして思わず箒から手を離していた。カランと箒が勢いよく硬い床に落ちる音がするものの、外の声のせいでいつも聞こえるはずの箒が床に落ちた音が殆ど聞こえない。外からはまだ、悲鳴のような嗚咽の混じった声が聞こえている。ざわざわと騒めく人の声もした。
何が起こったのか、興味本位で気になった。絶対によくない、興味本位で見に行ってはいけないようなことが外で起こっているのだとしても、さっきの考えを忘れるためにも何か新しいことが起きてほしかった。このまま、箒を履き続けていたら気が滅入ってしまいそうだった。
私はさっきのお母さんの言いつけ通りという思いも外で迷子になる怖さも忘れ、外へ続くドアを勢いよく開ける。ドアを開けると私の家の少し先を行った所で人だかりができていた。
私はそこへ駆け寄って背が低いのをいいことに大人達の足元をくぐり抜けていく。絶対によくないことが起こっているはずなのにそれを見るのになぜか私は必死になっていた。手で大人達の足を掻き分け、時たま「すみません」「通してください」と言って先へ進む。
人混みを抜けた。夏のせいなのか異常に暑かったが急に風が吹き出していて気持ちいい。そのまま、私はことの中心で何が起こっているのかを確認した。
_________そして、ひどく後悔した。
顔から表情がなくなっていくのが分かる。目の前の光景から目を逸らしたいはずなのに反らせない。もしかしたら、衝撃的すぎて体が固まったのかもしれない。目の前で起きていることは元いた世界で暮らしていれば絶対に目にすることのないような光景だった。
女性が皮と骨しかないような痩せ細った男性に抱きついて、泣き叫んでいる。その女性も十分痩せていたが男性ほどではない。私だってあの男性ほど痩せ細った人は社会の教科書の写真でぐらいしか見たことない。本当に皮と骨しかないようだった。きっと、私が聞いた声はあの女性のものだろう。
その男性に触れていなくとも、その男性の体がもう冷たくなっているだろうと予測できた。あの女性が泣き叫んでいた時、丁度男性はこの世を去ったのだろう。その場の空気が凍っていた。
人混みの中から話し声が聞こえた。
「……ああ、ついに逝きおったか」
「そうだな、元々、いい夫婦だったが奥さんとこれから生まれてくるだろう赤子の為に、自分の食料を全部渡していたんだろ?みんな、分かっていたさ。もうすぐ、逝っちまうことぐらいさ」
「まあ、よかったんじゃないか?これであの奥さんも子供を産めるじゃないか」
「これからが、大変だろうけどな」
「…………そうだな」
それでその会話は途切れた。その会話からいろいろなことが分かった。だから、もうそれ以上聞きたくなかった。
野次馬の中から聞こえた会話で今起こっていることが何かは理解できた。それともう一つ理解してしまったことがある。
この場所じゃあ、餓死で人が死んでも不思議じゃない。
つまり、明日、私が私のお母さんが死ぬ可能性だってゼロじゃない。私が元の世界で生きていた方がマシだったと言っている間に、死ぬかもしれないのだ。生まれてこのかた、初めて死と隣り合わせという実感がした。
私は怖くなってその場を立ち去って家の中へと駆け込んだ。すでに家にはお母さんが帰ってきていた。お母さんは私が家にいないことに心配していたようで、私の姿を見た途端安堵の表情を浮かべていた。しかし、その顔も私がただならぬ様子で帰ってきたことに気づき、表情が曇っていた。
「何があったの?」
「ゔぅ………」
私は泣きながらお母さんに抱きついた。この人がお母さんと認識してから一日も経っていないけれど、どこかしら懐かしい安心感があった。お母さんは私の頭を撫でながら優しい声で慰めてくれた。
元の世界では何かあったら、友人に頼っていたけれどお母さんがいたら本当はこんなのだったのだろうか?そんなことを思いつつも私はただ、泣いていた。正直、泣いているしかできない自分が嫌だったけれど、今できるのは泣くことしかできなかった。
その後、私は泣き疲れたのか次に目が覚めた時は次の日の朝だった。