1話 東京駅発博多行き「20世紀特急」
出発式当日の朝、勝が入学式以来来ておらず、それゆえに着慣れていないスーツに着替えていると誰かがドアを叩く音がした。
ドアを開けると、「勝様、準備はできましたか?」と上品な中年の男が聞いた。顔なじみの運転手だ。彼は長行叔父から「勝をせっかくの国鉄自慢の列車に乗せるのに一般客と同じ通勤列車で東京駅に行かせるのはどうか…」と言う理由で勝の下宿まで行き、そこから東京駅まで送るように言われたと言う。
汚くて古い下宿の入り口の前には眩しすぎるぐらい黒い車が止まっていた。この様子を同じ下宿の友人が見ていたらどう思うだろうか。俺の金持ち疑惑が出てきてしまいそうだ…。そんなことを考えながら勝は車の中に入っていった。
「申し訳ないな運転手さん、こんな汚い下宿の前まで迎えに来てもらって…」
「何をおっしゃいます。勝様が行くようなところならどこにだって私にお申し付けください。それよりも勝様、列車の旅を楽しむことをお考えになるとよろしいですよ」
車は東京駅に到着した。車を降りると叔父が立っていた。
「やあ勝君、もう列車は入線しているのですぐに行こう」
叔父がそういうと「20世紀特急」が止まっているホームに向かった。叔父の興奮から察するに誰もが新列車を「見てみたい」「乗ってみたい」と言う気持ちを強く動かしているようである。
「20世紀特急」は15番線ホームに止まっていた。15番線ホームは東海道本線を走る特急(カワセミ」「記事)やその他急行、準急列車と言った優等列車が発着するホームであるが、「20世紀特急」はそこに停車するのにふさわしい、いや専用のホームを作ってくれと言いたくなるような豪華列車であった。車体は「かわせみ」や「きじ」の茶色よりもさらに美しく、新車同然と言わんばかりの茶色であった。編成は大きく「20」と小さく「世紀」と書かれた円形のヘッドマークを掲げた電気機関車を先頭に、客車は1両目が荷物車をつけた3等座席車、2両目と3両目が3等座席車、4両から6両が3等寝台車、7両が2等座席車(「20世紀特急」と「かわせみ」と「きじ」はこの車両を特別2等車、国鉄関係者は特別に2等車を意味する略称「ロ」を組み合わせて特ロとしている)、8両目が食堂車、9両から11両が2等寝台(勝はここに泊まる。よくもまあ学生の分際で、と読者の皆さんはお思いだろうが、まあ国鉄の重役の親戚だからそこは大目に見てくれると幸いである。勝本人もいいのだろうかと思っているが)、12両が1等寝台、会議室、展望車となっている。展望車については実質現代、外国の言葉でいえば誰でも入れるラウンジとなっている。展望車の内装は連合軍専用列車に使われていた名残である。展望車は本来「かわせみ」「きじ」では1等座席車を利用する乗客のみが利用できる車両だが、「20世紀特急」はそれらよりも長距離で走るからということであえて改装せずにそのままとし、誰でも利用できるようにした。展望台の柵には電気機関車のヘッドマークと同様の形をしたテールマークが取り付けられている。12両目が止まるホームの乗車位置には本家を意識してか「20世紀特急」と書かれた赤い絨毯が敷かれていた。勝はその様子を叔父から借りたカメラで撮影していた。
15番線ホームと線路の上は豪華列車の1番列車を一目見ようとする者、撮影する者が集まっていた。なぜ勝は叔父からカメラを借りたり、線路上に人が立っていたりしたのかと言うと、昭和30年代はカメラが高級品であったことと、線路上に人の立ち入りが許されていたような大らかな時代であったと思う。
ホームには一般乗客やマスコミの他にブラスバンド、車掌、車掌長、ボーイ、20世紀ガール、コック、ウエイトレスなどと言った車内サービスの関係者、運輸大臣、国鉄総裁、東京鉄道管理局局長、東京駅長、それに「20世紀特急」の登場にあたって東京駅1日駅長を勤める作家の外畑一見が立っていた。
出発式は女性司会の進行のもと、運輸大臣、国鉄総裁、東京鉄道管理局局長と言った主宰者の「戦後になってようやく九州にも特急が…」とか「日本で最高の豪華列車を…」と言った挨拶に始まり、外畑氏の「これぞ日本の復興なり…」といった来賓挨拶に続いて、「どうぞ!」と言う女性司会の掛け声のもとテープカットと薬玉割りが行われた。薬玉が割られたと同時に盛大な拍手が沸き起こった。この様子を勝は(俺は歴史的に重要な光景を見ているのだ…)と感動していた。
「20世紀特急」の出発を知らせるベルが鳴った。それと同時に勝は列車の中に入った。
ホームの上で女性司会が「さて、まもなく出発となりますが、出発合図の方を東京駅1日駅長の外畑先生にやっていただきたいと考えています。外畑駅長、よろしくお願いいたします!あれ、外畑駅長!?」
いない。外畑氏がいない。
「なんだなんだ」「どうした?」と大騒ぎになる。
「もういい。私がやるから」と東京駅長が女性司会に合図を送った。
「それでは東京駅長、よろしくお願いいたします!」
「寝台特別急行列車『20世紀特急』、博多行き、発車!」
駅長の合図のあと、機関車の警笛が鳴り、列車がゆっくり動き出したと同時にブラスバンドの演奏が始まった。
勝は車内の廊下で自分が寝る部屋を探していた。だが、勝としては展望車から見た東京の風景がいかなるものか気になっていた。
(せっかくの展望室だ。この車両を一般乗客にも開放してくれるとは国鉄は太っ腹になったもんだ。この流れが「かわせみ」にも「きじ」にも広がってくれるといいけど。どれ、東京の景色に行ってくるぜと言おうか)
そんなことを考えながら12号車の扉を開けると、初老の男性にきっぷを渡している30代くらいの男がいた。
「外畑先生…お見事です」と30代くらいの男は苦笑していた。
「うむ」と初老の男は返した。
(外畑…あっ!)と勝は気付いた。東京駅で1日駅長をやっていた作家、外畑一見だ。出発合図の際に彼が行方不明となり、大騒ぎになっていた。その人が1日駅長の職務を放棄してこの「20世紀特急」に乗っているとは。
「先生はもうお年ですから無理はなさらないように」
「なあに、せっかく借金してまで1番列車の1等寝台の切符を買っているからね。これのためなら1日駅長の職務なんてほったらかしさ。はっはっはっ」と外畑氏は豪快に笑った。
(なんて人だ…)と勝は思った。
「ではこれから書く新しい随筆の題を変えなければなりませんね。『東京駅1日駅長就任す』から『東京駅1日駅長から特別急行の乗客に』にするとか」
「うむ、それもよかろう。だがそれではひねりにかけるので『馬鹿者列車』とか…」
作家と編集者とみられる人物の話を聞いていると「面白い作家だと思うな、俺は。あと後面白い話になると思うぜ」と若い青年は叔父を伴いながら言った。
その青年は西部劇に出てきそうな感じでスーツを見事に着こなしていた。年齢は勝と同年代のようだ。
その頃、東京駅では、外畑氏がいなくなったことがいまだに大騒ぎになっていた。その中で東京鉄道管理局の局長は(まあ先生はあんなことをやらかすだろうことはわかってはいたけど…これは始末書を書かされるかもなあ…)と考えていた。
局長がそう考えている頃、列車は鉄道唱歌で有名な汽笛一声新橋を通過し、品川も通り過ぎて多摩川を越えていた。
さて、読者の皆様は昭和30年代にタイムスリップ及びこの時代を代表する寝台特別急行列車「20世紀特急」の記念すべき1番列車にご乗車くださいまして、誠にありがとうございます。この列車は昭和30年代を代表する特急であると同時に、この時代の日本を代表する豪華列車でございます。東京を発車した当列車はこの後横浜、熱海、静岡、浜松、名古屋、米原、京都、大阪、神戸、姫路、岡山、福山、広島、徳山、小郡(現在の新山口)、下関、門司、終点博多と停車する予定です。なお、次回につきましては本筋から離れて車内のご案内とさせていただきますので、長いようですが「20世紀特急」の旅をさらに楽しんでいただけると幸いでございます。