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それぞれのかけら

作者: 七砂わたる


この短編は以前にはてなブログにて短編小説のつどい参加作品として掲載されたものを一部修正したものになります。

二次小説ではありませんが、一部にラヴクラフトが提唱したクトゥルフ小説神話群の設定を参考にした所がありますのをご了承お願いします。

暗く冷たい無重力の空間を彼は無様に身体を伸縮させながら移動していた。


明るい場所で見たならば、所々に油膜のような虹色の構造色を見せる黒い不定形の身体は、石油でできた粘菌のような姿をしている。しかし、星々の輝きが遠いこの場所で誰かが目にしたならば、まるで透明のアメーバが仮の足を動かして溺れている様にしか見えないであろう。


宇宙空間の寒さや過度の放射線から身を守るために、体の表面に幾重もの泡の層を重ねて母体部分を守ってはいるのだが、それでも末端から細胞の壊死は進んでいく。加えて、不慮の事故による損失や長旅のエネルギーとしても彼の一部は消費され、その体積は旅立ちの当初の半分ほどになってしまっていた。

それでも目的の場所は彼の感覚では目の前にあり、辿り着くのにもそこでの生命活動もほぼ確実に可能であると予想はされた。


しかし現在の彼は正気を失いかねない恐怖に襲われていた。

不定形であるが故、その記憶は端々の細胞へと記憶されている。

そのため欠如により記憶が消失し、それに伴い理性や思考力の低下が目前に迫っていた

それは精神の死を意味している。


これが最後かもしれない。

そう感じながら、彼は悠久の時を巡る自らの記憶を辿り始めた。

 





かつて彼は一にして全の存在であった。


一番古い記憶では、彼は太古の海の中を分裂しながら拡がっていた。母星にいた頃にはもっと詳しく覚えていたような気がするのだが、今は漠然と何処かをふわふわ漂いながら自分が大きくなっていく感覚しか思い出せなかった。

その後の記憶は少し途切れている。次に思い出されるのは、彼自身が海になってからのものだ。

幼い記憶の上に、成長後の知識が上書きされている為か此方は鮮明だった。



惑星の上を彼は覆い尽くしていた。

原初の海のなかでは、無数の自分のような存在が分裂を繰り返し増殖していたが、いつしかそれらが一つとなり、やがて海までも自らの胎内におさめてしまったのだ。


脂質、水分、炭素、珪素、酸、ミネラル、たんぱく質等の主な成分により形成されたその身体と自我は、実際には無数の単細胞に近い生物の巨大な集合体によって成り立っている。


表面は珪素の化合物質を多量に含む壊死した細胞と、油分と水分を滲出させる層でできた膜が全体を包み、その下ではフィコビリンを中心とした何種もの光合成色素や酵素によって自らが栄養素と生命活動に必要な空気とエネルギーとしても活用されるメタンなどの揮発性ガスを作り出していた。


時折、それらの気体が表面に無数の泡を作り、大気中へと放出する。

大気の色はその影響で鮮やかな青色をしており、この為この惑星上での彼を見る者がいたならば、その空の色を反射した藍色のビスマスのような複雑な色合いに見えた事だろう。


また、特に温度差の激しい季節や場所においては表面に泡を幾重にも重ねて、内部の温度を保っていた。


地面に接する部分は幾万もの根を張り、土中から金属類を吸い上げ、それを思うままに加工していった。


自分以外の生命体が皆無なため、視覚的な興味は自然に鉱物の結晶の形を好み、意匠を凝らした人工島がいくつも作られた。


一つ一つの細胞は原始的とも言える生物なのだが、間を行き交う水分やその間を網目のように張られた炭素や珪素の繊維に電気信号を流すことで末端まで意思が伝えられる。

こうして巨大な集積回路としての役割を持ち高度に発達した知能と、不定形がゆえに器用である末端組織を使って独自の文明を築き上げていた。


個々の細胞には自我というものがなく、全体で一つの意識体を形作っているため、彼もしくは彼らは自分が集合体である事を理解することは出来たが、実感をする事はなかった。


ある意味、宇宙で最も孤独な生命体であったのだが、その時の彼には『孤独』という概念自体がなかったのである。


しかし、自分以外の者について興味がなかった訳ではない。

宇宙に自分という生命体が誕生している以上、同じような構造を持った天体があればそこに生命が存在する可能性は多大にある。存在しないと考えるほうがおかしいと彼はずっと考えていた。


彼の興味は自然に宇宙へと向けられた。



彼はまず、単純に珪素と金属を編み込んで高い高い塔を組み上げた。

空に浮かぶ2つの月を目指すように、何も考えずただひたすらに作業を続けた。

それは、子供の工作のようなもので、結局は自重に耐えられず根元から折れ、彼の表面を大嵐のように波立たせた。


その後、何度も学習し自らの失敗から建築や観測のための機器の製造への造詣を深める事ができた彼は、巨大な山のような天文台を作り上げ、その高みから観測する、月の表情、同じ恒星系内の惑星の姿、遠く存在する銀河の瞬きに心を奪われた。


そこに何者かが存在するというならば、話をするという概念こそ存在しなかったが、会いたいと強く願うようになっていた。



そこで彼は宇宙へと飛び立つ為の装置を開発にかかったが、ここで問題が生じてしまう。


無線コントロールによる実験機での成果はまずまずのものであったが、そこに操縦士として彼の一部を搭載しようとすると、まず機械をコントロールするほどの知性を保つ為にはかなりの大きさが必要とされた。

そのため、手始めに大気圏外迄の実験機を飛ばす際には、全てを地上からの遠隔と自動プログラムの操作でまかなうしかなかったのだ。

搭乗した彼の一部は、殆ど体感する全ての五感を記録するだけの役割しか持たなかったのである。


それでも、この実験は大きな成果をもたらした。

一つは、無事に戻ってきた彼の一部が、再び全体へと同化した事で自身が宇宙空間へと身を投じたという記憶を持つことが出来たこと。

また、真空中での活動も可能である事も確信する事が出来たのも喜ばしい結果であった。

そして、何よりも大きかったのは完全に本体と引き離された彼の一部に自我の芽生えが確認された事であった。



自身以外を知らずコミュニケーションや言葉という概念を持たなかった彼は、猛烈な勢いで言語を発明した。

それまでの思考経路は全て、感覚的であるか数値的なものが殆どであったが、この発明により感性や情緒で物事を考える事が増え、まだ見ぬ世界や出会わぬ他者の存在への憧れがいっそう増していった。


その後、通信機能が発明されると実験機は大型化され、彼自身の細胞を覆い保護しながら活動も可能な外骨格としての役割も担う物になった。


外骨格の開発と同時に、天体観測も続けられた。無人の天文台の機能を持つ設備を自らの軌道上に打ち上げ、より広く遠い範囲への観測を可能にした。

しかし、それは喜びをもたらすだけではなかった。

綿密な観測データにより、彼の惑星が属する太陽系に他の生命体が存在しえる可能性がほぼない事が証明されたのだ。


朗報もあった。

同じ銀河系内という比較的に近い場所に、自分達の住む場所と同じような太陽を持ち公転周期も近い惑星を発見したのだ。

厚い二酸化炭素の雲に覆われたその惑星には大量の水があることが確認され、もし生命体が存在しなかった場合でも彼自身がそこで繁栄することが可能に思われた。


そこで、これまでとは比べ物にならない大掛かりな外骨格の製造が始まった。


なにせ、移動するだけで2億年かかる長旅なのである。光合成によりエネルギーも自らの身体も殖やすことは可能であるのだが、不慮の事態に備えて空に浮かぶ月の半分程の体積を乗せる事が可能な程の巨大なものが計画された。

結果として、この外骨格の為の発射台がこの惑星で一番大きな建造物となった。


母星からの出発の為、外骨格の中に身を投じた時に、彼は始めて自分の感情というのを持った。

それは、旅立ちへの高揚でも未来への期待でもなく自らと切り離された不安と寂しさであったが、「寂しい」という感情を意味する適切な言葉を彼は知らなかった。


それでも外骨格の発射から暫くの旅は順調に進んだ。

太陽系を抜ける迄はタイムラグはあったが、母星とも通信でやりとりが可能だった。


流石に、そこから更に離れると通信は彼の一方的な報告に変わった。母星は年月をかけてその報告を乗せた電波を拾う。

出発時に感じた寂しさが増した。




2億年というのは普通の物質や生命体においては悠久とも言える長い年月だが、彼らにとっては無限とも言えるその人生のほんの一部に過ぎない。

そこに誤算が生じた。





目標とする惑星の恒星系内に入ったところで、広い範囲に拡がる宇宙の塵にぶつかってしまったのである。


塵の主な成分が氷とガスであったために安全な物と誤ってしまったのだ。経年により一部の装置が劣化していたのが原因だった。

推進部を中心に外骨格は大破し、修理にはかなりの時間を要する事になった。

更に不幸は重なる。恒星系の端にある大きな衛星を伴った準惑星の軌道上での事故であった為に、修理を終える迄にその引力圏内に捕らわれる事は必至であり、修理するための材料も足りなかった。


彼は、母星への最後の通信を送ると壊れた外骨格から這い出し、暗く冷たい空間へと一歩踏み出した。

おそらく、約束の場所に辿り着くよりも先に、準惑星のメタンの氷の海にそれは沈んでしまう事であろう。


「寂しい」という言葉を知ることはなかったが、まだ見ぬ誰かに会うことでこの苦しい感情から逃れられる事は何故かわかっていた。



まもなく彼は、目標とする惑星の大気圏内に入ろうとしていた。

彼は、自身の身体を丸くすると空気の泡の層を更に何重にも殖やして圧力と摩擦熱に耐える準備をすると新しい世界へと飛び込んだ。









彼にとって最もさいわいだったのは、苦痛を感じる器官を持たなかった事であろう。外敵や、その他の危険に晒される事のない環境であったために、それらを発達させる必要がなかったのだ。


大気圏に突入すると、彼の身体の表面は燃え上がり、やがてその内部も四散して殆どが酸や金属などを含んだ海の中に溶けていった。


そして、一部は大地の中に埋もれ更に悠久の時が流れた。






彼の殆どを溶解させてしまった海はそのアミノ酸から生命を生み出した。

始めに彼によく似た原生生物が生まれ、その後に光合成を行う藻の類いが爆発的に増えると大気中の成分が変わり様々な生物がこの惑星の上に生まれた。


地中に埋もれた彼は遺伝子を傷つけてしまったらしく自らの力で動くのも困難になり、以前とは違う形での増殖しか出来なくなっていた。


それは、彼の成分から生まれたためか親和性が高いこの惑星の生物への寄生に近い同化であり、増殖というよりも分散に近い緩やかな死にも思えた。


しかし、同化により自我を及ばせる事が出来る範疇はどうやら彼の周囲の植物だけのようで、自由自在に動ける動物達は思うようにはならなかった。


だからこそだろうか。彼は、動物達の訪れを喜ばしく思い、身の回りに美味しく実る植物を増やし食事の場所として提供した。

おかげで動物達にとってはこの場所は飢える事もなく年中過ごす事ができる快適な場所となり、小鳥の囀りの耐えない美しい天国のような地域となった。


さて、どれくらいの年月が経ったであろう。

いつしか、彼の周りで見慣れない二本足で立つつがいの動物をよく見かけるようになった。おそらくは、温暖な気候や食物を求めて移動してきたのであろう。珍しい姿をしたそのつがいは、単純ではあるが鳴き声ではなく言葉で意思を疎通しているようで、彼を驚かせた。


既に母星の記憶も、自分の目的も思い出す事は出来なかったが、どうしても彼はそのつがいに同化しなければならないと考えた。



彼は、幼い一本の樹木に目をつけた。

残った身体の全ての細胞を使って、その木に同化すると赤く美しい魅力的な実を彼らにしか見えないであろう位置に結んだ。


やがてつがいの雌がその実を見つけると、まずは自らが一つ食べ、もう一つを牡へと手渡した。



二匹は無言で実を食べ終わると雌の方が口を開いた。


「何故だかわからないけど、寂しい……」


そう告げると牡の顔を見る事が出来なくなり黙って俯くことしか出来なくなってしまった。


牡は暫し考え込んだ後に雌の手の上にそっと自分の手を重ねた。


重ねた手が温まるとともに寂しさは消えていたが、二人は暫くの間ずっとそうしていた。

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