07+鶏の憂鬱
5年生になって、早くも1か月が過ぎました。
え、展開が早い? それは仕方がない、何せ特筆すべきものもない平凡な1か月だった。
「あっ、葵生さまー! おはようございます!」
「葵生さま、おはようございます」
「おはよう、朝子さん、菊枝さん」
私付きの使用人である青柳に見送られ、幼稚舎の門をくぐる。
向かってくる私に気づいたのか、お喋りをしていた2人が私に近づいてきた。うん、今日も元気いっぱいだなぁ。
日本中の小学生が憧れているらしい、千羽学園幼稚舎のワンピース型制服のふんわりとした部分を揺らしながら、2人は綺麗な礼を私に見せてくれた。
それは今年の学芸会「千鶴祭」で、私たち松組と菊枝さんの梅組が合同で発表する演劇「オズの魔法使い」に出てくるキャラクターの真似だろう。
そう言えば、朝子さんも菊枝さんも、村娘AとかBの役で出演するんだったっけな。脇役どころか劇を盛り上げるモブなんだけど、2人は出れるだけで嬉しそうだ。
「とっても綺麗な礼ね」
「えへへ、いっぱい練習しました!」
「ありがとうございます、葵生さま。舞台はまだまだ先ですけれど、できて損はありませんもの」
「発表は9月、今は、まだ5月を過ぎたばかりですものね。でも、菊枝さんのいう通り。できて損はありませんわ。これから忙しくなりますから」
にっこりと笑顔でそう言えば、2人は嬉しそうな顔で返事を返してくれた。
今は5月に入ったばかりで、少しずつ夏に向かって暑くなってきた頃。でもここ最近曇りの日が多いから、今年は例年よりも早く梅雨入りするのかもしれない。
「それでは、葵生さま、朝子さん、またお昼に」
「また後でー!!」
「ええ」
東西に1つ、中央に1つある階段のうち中央から昇った私たちは、菊枝さんを梅組に送り届けた後、松組の教室へと向かった。
5階建てになっている幼稚舎の、私たちは4階に教室がある。1年生と2年生は2階、3年生と4年生が3階で、6年生が5階である。
1階の教室は教職員の学年別に分かれた職員室があるのと、保健室があること以外には、特にこれと言ったものはない。
私たち生徒の下駄箱は、外階段を上がって2階へにある。そこから、各自の教室へと向かうのだ。
幼稚舎は真ん中に中庭を挟んで2つの棟がある。普段私たちが授業を受けている教室棟と、図書館や図工室、美術室などの実技・講義室などがある講義棟は内部の渡り廊下でつながっていて、自由に行き来することが可能だ。
5年生の教室がある4階には、私たちの教室のほかに予備室や小教室、更衣室があるが、私はまだ使ったことないなぁ。
ガラッ、と教室の扉を引くと、今日も今日とて大人しい、中級お金持ちの子息令嬢がゆったりと読書なりお喋りなりをしていた。
うん、今日も安定の静かさである。と言ってもまあ、あと数分もすれば騒がしくなるか。
私と朝子さんが過ごすこの松組には、上級お金持ちが3人(ギリギリ上級の前田嬢も含んで)で、中級お金持ちが私含めて15人、下級お金持ちが23人の編成だ。合計41人。
はっちゃけた人が多い下級お金持ちの子息令嬢の例にもれず、うちのクラスの下級お金持ちーズもちょっとはっちゃけてる、っていうか、すごくオープンに媚びてくるのだ。
媚びるのは悪いことではない。むしろ、お金持ちなら媚びてナンボである。長い物には巻かれよ、って言うでしょ?
私も御神楽家の繁栄のため、上級お金持ちにはバンバン媚びたいところなんだけども、そう簡単には行かないのだ。
下級お金持ち、長いから下級さんな。下級さんたちが上級さまに媚び売りすぎて起こる問題とか、下級さん同士の争いの仲裁とか、そういった忙しさでロクに媚びることもできない。
いやまあ、仲裁するときに微妙に上級さまを持ち上げたりすることで、コソコソと点数稼ぎはしているのだが。
「はよ」
「お早う御座います、鶏城さま」
目の下に隈ができた、心なしか疲労困憊しているように見える鶏城がやってきた。
某ドラゴンルートの主と違って、鶏城はあいさつのできる良い子ではあるのだが、ドカッと椅子に座るとクシャクシャーッと髪を掻き上げる荒れっぷりである。
そんな鶏城を目てギョッと目を丸めた朝子さんが、心配そうな声で耳打ちしてきた。
「鶏城さま、大丈夫でしょうか」
「そうね」
周りを見渡してみると、他の生徒もどこか心配そうに、そして不思議そうに鶏城を見つめている。
そんな生徒たちに合わせて、私も眉を八の字に下げてさも心配そうに首を傾げた。
心配するのはわかる。上級さまの言動には逐一目を配る、これは中級お金持ち以下の鉄則だ。
だが、何故不思議そうな顔をしているんだろう。そう思って鶏城をチラ見すると、どこか何かが足りない気がした。
あ、ああっ!!
「前田さまが、いらっしゃらない」
「え? ええ、そういえば。あんな鶏城さまを見たら、あの前田さまですから、きっとウルサ、大騒ぎなさるはずですわ」
……朝子さん、今あきらかに五月蠅いって言おうとしてたよね。
いないなんておかしいなぁ、って感じで頬に手を当て始めた朝子さん。
そうだよ。あの前田嬢がいないなんて、ちょっと可笑しい。
この松組で過ごして1か月経ったけど、あの2人は毎日一緒に登校してきた。いや、これじゃあ語弊があるか。
鶏城の登校時間やパターンを把握しているのか、それに合わせるように前田嬢がやってきては、鶏城にひっついている。これの方が表現としては正しいのかな。
車から降りてくるところを見ていないと、まるで2人が毎日一緒に登校しているようにも見えるから、もしかしたら前田嬢はそれを狙っているのかもしれない。
そんな前田嬢の行動にうんざりしているだろう鶏城も、あの手この手でいろいろやっているみたいだけど無理だったようだ。
3週目には諦めの色をのせた目で毎日登校してきた。そんな鶏城を気にも留めずにキャッキャウフフしてた前田嬢が、鶏城と一緒にいないなんて。
私たちの視線を気にも留めず、もしくは気づいていないのか、鶏城はため息をひとつ吐いて机に伏せてしまった。
結局、前田嬢が朝の会までにやってくることはなく、そのまま授業が始まってしまった。
今日の1時間目は国語で、先生が教材を取りに行くと言って教室を出る。
「御神楽」
「……はい、鶏城さま」
「教科書、みしてくれ」
「ええ、構いませんが。如何なされたのですか?」
「燃やされた」
「え?」
静かにしているように、と言った先生の声に従ったのか、それとも、衝撃的な発言をした鶏城の声に言葉をなくしたのか。間違いなく後者ですねわかります。
あっけらかんとした顔で「燃やされた」とのたまった鶏城は、前まで使っていたノートとは別の、新しいノートを開いて日付を書きこんでいた。
ちょ、燃やされたとか何事、と思って思わず鶏城を凝視してしまったが、それで鶏城の着ている長袖に隠れていた包帯を見つけた。
右手の親指に届くか届かないかくらいまで巻かれた包帯。鶏城は確か、左利きだったはずだから、さほど支障もないんだろうけど。
「―― ええと、どのようにして見ましょうか」
「机をくっつければいいだろ。ほら、もうちょっとこっち寄れよ」
「え、ええ。では」
コツン、と机をくっつける。戻ってきた先生から、どうかしたのですか、と聞かれたが、静かに教科書を見せて黙らせておいた。先生、今はそっとしてください。
その後、燃やされた発言に静まり返った教室での授業は淡々と進み、私は間近にある美形の眩しさと、燃やされたってなんだ、という疑問でまともに授業が受けられなかった。
っていうかここからだとやっぱり、黒板があんまり見えない。鶏城のノートをチラ見して書いてたけど、今度眼鏡買おう。
「あっ、葵生さま、朝子さん!」
「菊枝さん! 今日は早かったのねぇ」
「そうなの、ちょっと早く終わってしまったから、今度はわたくしが迎えに行こうと思って」
「あら、菊枝さん、左肩に糸がくっついていますわ」
「まあ! 全然気づきませんでした、ああ、恥ずかしい。ありがとうございます、葵生さま」
「菊枝さんったら、今日は裁縫の授業でしたのね」
「ふふ、そうですの、今回の授業では手編みでエプロンを作って――」
鶏城は最初から最後までつかれた顔で授業を受けていたが、前田嬢がいた時よりはだいぶすっきりした顔になった。
結局あの後も、算数と理科の教科書を見せ、珍しく口数の多い鶏城と話などをして前半の授業は終わった。
前田嬢は結局来なかった。先生もなんにも言わなくて、むしろなんか気まずそうな顔をしていて。その顔は私が、私たちがしたいですよ先生。
4時間目の授業が終わって早々、鶏城は「ありがと」と小さな声でお礼を言ってどこかへと消えた。
朝子さんと顔を見合わせ、少し息を吐いた。終了のベルが鳴り響く中、教室の扉から、チラッと顔を出している菊枝さんを見て急いで支度をする。
菊枝さんのところは裁縫、家庭科の授業を4時間続けてやっていたみたいだ。よほど楽しかったのか、ずっとニコニコしながら話してくれる。ああ、なんか癒される。
それからしばらく3人で笑いあいながら話していたら、今日は久しぶりの晴れだからテラスで昼食をとりましょう、と朝子さんが言った。
菊枝さんとは、あの日から学校がある日は毎日一緒に食べている。朝子さんと私が2人で梅組まで迎えに行くと、菊枝さんはパァと花が咲いたように笑ってくれるのだ。
まあ今日は、菊枝さんが迎えにきてくれたのだけど。
千羽学園幼稚舎の給食は、大食堂で食べることが決まっている。大食堂以外の場所、たとえば教室などでは飲食禁止だ。
約1000人の生徒プラス教職員40名以上が余裕で入る大食堂は、簡単に言っちゃえばカフェみたいなもので。噂によると200人ものスタッフが働いているらしい。
食堂内にある4つの柱付近に設置された自動券売機を利用して、その日のランチメニュー3つのなかから1つ好きなメニューを選び、ICカード(学園以外にも駅とかでも使えるSu○caみたいなヤツ)をICカードリーダライタにピッと翳す。
そうすると、大食堂の管理室にICカードに記録された個人情報と選んだランチの情報が送られる。自動券売機とは呼ばれているが、券は出て来ないのだ。昔は食券片手に乱舞していた私も、今はICカード片手に自分の好きな席へとレッツゴーである。
大食堂の席には、コンパクトタイプのICカードリーダライタが装備されていて、そこに先ほどの自動券売機に翳したICカードをもう1度翳すと、管理室に向けて席の情報が新たに送られ、注文したランチがその席まで運ばれる仕組みになっている。
ハイテクだなぁ、と思った。席取りに命を賭けていた頃が懐かしい。
「うーん、いい天気ですわぁ!」
「そうですわね。風も気持ちいいですわ」
「あら、アレ、あの方、鶏城さまではありませんか? 葵生さま」
「え? ええ、そうですね」
何故私に聞いてきた。
早々に教室を出て行ったはずの鶏城は、せっかく前田嬢がいなくて精々していた、おっと、ちょっとすっきりした顔が嘘だったかのように、とても疲れたうんざりとした顔をしている。
そしてキョロキョロと辺りを見渡して、鶏城がテラスに視線を向けた時、なんだか目が合ったような気がした。
こっちはあちらの姿がバッチリ見えているけど、この人の多さ、美少女以外特徴のない私をピンポイントで見つけることなど不可能だろう。
と、思っていたのだけど。
「御神楽。と、丑屋に、確か久代」
「鶏城さま、如何なさいました」
なんか、対鶏城を相手に「如何なさいました」しか言っていないような気がする。
ちょっとホッとしたような、そしてどことなく助けを求めるような目を向けられ、とりあえずにっこりと笑っておく。
朝子さんと菊枝さんは、上級さまのいきなりの登場に戸惑っているようだ。特に菊枝さんは、緊張からか顔が赤くなっている。いや、これはなんか、緊張って言うより、うん?
「悪いんだが、相席してもいいか」
「え?」
「ど、どうぞ!! わたしたちは全然、全然大丈夫ですよ! ねぇ、菊枝さん!!」
「えっ、ええ!! どうぞお座りください!!」
「悪いな」
ピッ、とICカードが翳される音が鳴り、鶏城がその場に座った。
やっと一息つけた、みたいな顔をしているが、ちょ、私いいとか言ってないんですけど。
まあどうせ拒否権なんかないんでしょうけど!!
菊枝さんは、あと朝子さんは何ですかね、鶏城に惚れてるの? 美形だもんなぁ。
あれ、でも薫子のときの小学生時代は、顔よりも足が速いか優しいかだったんだけど、ココだと顔なのか。どう足掻いても顔か。
「お待たせいたしました、AランチとBランチです」
「ありがとうございます」
キラキラしい笑顔を湛えたウェイターさんが、私と菊枝さんのAランチと、朝子さんのBランチを運んできた。
2人がチラッと鶏城を見たけど、俺はCランチだ、という声にホッと息を吐いて笑った。ああ、鶏城が同じランチだったら譲るつもりだったのね。
ああうん、だよね。上級さまの前で先にご飯たべるとかできないよね。
フォークとナイフを1度紙で拭ってからもとの場所に戻した。いや、潔癖症じゃないけど昔からのクセでね!
下げていた視線を上に戻すと、また鶏城と視線が合う。
「俺に付き合ってくれないか」
なんだって?