05+おともだち
「よぉ。葵生」
「り、陸也さん! お早う御座います。こんな朝に、どうして。陸也さん、中等部は?」
「中等部の始業・入学式は午後からだ。暇だったんで、お前と話しがてら送ってやろうかと思ってな」
艶やかな黒髪を後ろに撫でつけながら鋭い目つきを緩めた龍柴陸也は、中等部の白いブレザーに身を包んでいた。
その首元には真っ赤なネクタイ、確か、今の中等部2年生の学年カラーだったはずだ。
千羽学園は中等部以降ネクタイの色で学年の識別をしてるから、私の記憶が間違っていなければそれでいいはず。
ちょっとリアリティーある乙女ゲームがコンセプトのひとつでもある干支物語シリーズでは、他の乙女ゲームに見られる派手な攻略キャラは少ない。髪の色が先天的に派手だったりするキャラもいるが、不良ポジションのキャラ以外はシルバーアクセサリー等のものをつけているキャラはごく一部だったはずだ。
校則はそこまで厳しくはないが、御育ちがいいから、表だって着崩すようなひとは稀だ。
例にもれず、龍柴陸也もそうなんだけど。
龍柴陸也は、口は悪いがネクタイは緩めずスラックスも腰パンしてない。正しく制服を着こなしていた。
本人の少し上から目線な口調で誤解されやすいけど、育ちが育ちだからか服装を崩すことなんてないし、派手な装飾品もつけていない。
意外としっかりしているのだ。……挨拶はしないし返さないけど!!
今日が始業・入学式でなくったって、恐らく着崩していることは無いのだろう。
どんなに口が悪くったって龍柴財閥の御曹司だもんなぁ。品の良さは隠せないってか!
青柳がどうします? みたいな目でこっち見てくるけど、それ私が聞きたいんだけど!!
アポなしっていうか、前日から言ってほしいよねこういうの。心の準備できてないまま来られるの、すっごい迷惑なんですけど。
本当は一緒に行くのお断りしたいけど、ここで断ったら何が起きるかは私にもわかる。龍柴陸也の後ろに控えている白髪の老執事が、断ったらどうなるかわかってますよね? って目で見てくる! 怖い! 断れない!
「青磁さんにはさっき電話した。幼稚舎の始業・入学式は10時半からだったな? 今からなら十分間に合う。ほら、行くぞ」
「えっ」
「いってらっしゃいませ、お嬢様!」
いってらっしゃいませ、じゃないバカ! 青柳のバカ!
私の荷物を老執事に預けて、にこやかに手を振りやがってバカ! 老執事も、お荷物お預かりいたしますね、じゃないから!!
いつまでたっても困り顔で動かない私を、龍柴陸也はあろうことか抱き上げた。
見た目と肉体年齢は11歳のうら若き少女だけどなぁ、魂の年齢はとうにピーピー歳超えてるんだぞ!!
14歳の成長途中の少年に抱き上げられるだなんて……! 確かに、今の私は身長137㎝と小柄だよ。160㎝代に入った龍柴陸也からすれば、持ち上げられなくもない。
だからってお前、よそ様んちのお嬢様抱き上げるか!? 龍柴家がハイパーお金持ちだからと、お前の顔が美形だから許されるんだぞ! 私許してないけど!!
颯爽と車に乗り込んだ龍柴陸也は、奥の方、つまり学園に到着すると自然と歩道側に降りられる位置にまで私を降ろすと、拳一つ分の距離を開けて座った。
おい、車広いんだからもっと距離開けろよ! なんでこんな近いの、やめろなんかいい匂いする。
「今年から5年生か。クラス替えの時期だな」
「……ええ。ようやっと仲の良い友達ができましたのに、少し寂しいです」
「いろんなヤツと付き合うのも勉強だ。とにかく、いろんなヤツと話してみろよ」
「はい」
「ま、無理して付き合うこともねぇけどな。自分の身体と相談して、ほどほどにやりゃあいい」
ニコニコ顔の青柳に見送られ、車が発進した。
老執事が注いだのだろう、ほんのり色づいた透明な飲み物が入ったグラスを傾けながら、龍柴陸也が話しかけてきた。
お嬢様もいかがですか、と老執事がオレンジジュースを見せてくるが、いいえ! 始業式の最中に花を摘みに行きたくなるんで、遠慮します!
なんだか残念そうにうなずかれたけど、な、なんだよ、仕方ないだろ。
「葵生。葵生もし―― いや、なんでもねぇ」
「はあ」
「頑張れよ」
「はい、陸也さん」
それからは、無言だった。
いやもう、なんか、話したのは最初の5分弱で、それ以外はほとんど無言で。
え、話しがてら学校に送るために来たんじゃ……。話しがてらどころか、頑張れよ! 的なエールで終わってるんですけど、ねぇ、龍柴陸也さんや。
ちらりと老執事に視線を送ると、何故か優雅に微笑まれた。なんでや。
「送っていただき、ありがとうございました」
「いい。もう予鈴のベルが鳴るぞ」
「いってらっしゃいませ、葵生お嬢様」
「はい。行ってまいります」
無言の車内で過ごすことしばらく。車は千羽学園幼稚舎の正門前に来ていた。
私が乗っていた車以外にも、多くの子女が乗った車が列をなしていたけど、運よくピンポイントで正門前だ。本当に前だ。
にこやかな老執事と、どこか真剣みを帯びた顔つきをしていた龍柴陸也にお辞儀をし、車が発進するまで見つめる。
一応送ってくれたのだ、このまま自分だけスタコラと先に行くのも、なんかアレだ。礼儀にかけるというか、なんかダメなのだ。
「さぁ、行きますか」
車がようやく見えなくなり、長いワンピース型の制服の、スカート部分の裾を揺らす。
どこにも皺がないことを確認し(いや絶対に皺なんてないんだけど一応)正門から中に入った。
しばらく歩くと大きな噴水があり、今日も今日とて派手に水を吹きあげている。
その噴水の左奥に多くの生徒たちが群がっている。おそらく、あそこに今年のクラスの場所が書かれているんだろう。
ちらほら同じ学年の子がいるから、たぶんそうだ。
千羽学園幼稚舎は1学年4クラス制だ。全校生徒約1000人ほどいて、1クラス40人前後。
それぞれ松組、竹組、梅組、桜組に分けられる。振り分け方法はいたって普通で、学力が均等に振り分けられている。どのクラスも、平均は一緒になるように設定されているのだ。
頭のいい子だけ、悪い子だけで固まることのないように、ごちゃ混ぜにしている。あ、でも家同士の関係が悪いお金持ちとかはクラス内派閥とか争いを避けるために、先生たちが相談してクラスを分けたりする。
2年前のクラス替えも、あー、大手株式会社とどこぞの家がもめて、松組と桜組に分けられてたっけな。
私は去年竹組だったけど、今年はどこの組なんだろ。
「あれ、葵生さま?」
「葵生さま! おはようございます!! お身体は大丈夫ですか?」
「菊枝さん、朝子さん。お早う御座います。ええ、大丈夫ですよ」
「よかったです! ちょうど今、葵生さま最後の春期講習、お休みになられたから大丈夫かなって、菊枝さんと話していたところなんです」
「あまりご無理はなさらないでくださいね、葵生さま」
「ええ、ありがとう、ふたりとも」
人が集まっていた掲示板の前まで来ると、去年同じクラスだった久代菊枝さんと丑屋朝子さんが笑顔で出迎えてくれた。
2人は幼稚園からの幼馴染同士で、2年前のクラス替えの時に一緒になって以来、頻繁に話すようになった。
ゲームでも名前だけ登場する、御神楽葵生の親しい友人たちだ。
菊枝さんはショートボブの大人しい女の子で、朝子さんは明るくて元気いっぱいな女の子。
葵生との共通点は髪の毛が同じく黒、以外に見当たらない子たち(いや菊枝さんは性格がちょっと似てるか)だが、ゲーム同様身体の弱い私を気遣っては、よくサポートしてくれる。
2人は私を挟むようにして立ち、またおんなじクラスになれるといいですね! と言ってくれた。
私には覚えはないのだが、前に学園で倒れたことがあったらしく、その時以来私がいつ倒れてもいいように両脇に立ってくれているらしい2人に、もう言葉もない。ありがとう! 気を遣わせ、迷惑をかけているだろうに、ありがとう!!
「あっ、わたくし、梅組ですわ」
ああ、菊枝さんは梅組かー。
私はー、っと、み、見えねぇ! 目の前のデカい人たちの所為で見えねぇ!
たぶん上級生なんだろうけど、もう見たなら行ってくださいよー、もー。
「菊枝さん、梅組ですの? わたしはー、み、見えません」
「葵生さま、葵生さまはご覧になりました?」
「いえ、私も見えなくて……」
「見たならさっさとお行きになればいいのに、いつまで目の前の陣取っているのかしら、この方たち! 背が高いのですから、後ろからでも見えるでしょうに、おかげで私たち、見えませんわ」
「まあまあ朝子さん。まだ時間はありますわ。もう少し待ちましょう」
「そうですよ、朝子さん。もう少しすればこの騒ぎも収まりますわ。……でも、今日は少し肌寒いですから、長時間お外にいると葵生さまの身体が冷えてしまわれます。わたくし、少し前のほうに移動してみてきますわ」
「えっ、いえ、菊枝さん」
ぷんすこー、と怒る朝子さんを宥めながら、素早い動きで群衆に潜り込んでしまった菊枝さんを見送る。
いや確かに、今日はちょっと肌寒いですよ? でも長時間って言っても、そんなに外にいないですし、それにこれくらいの寒さなら身体はへっちゃらだから!
そこまで弱くない、と言おうと思ったけど、菊枝さんの姿はすでになく、ただ朝子さんだけが隣にいた。
「大丈夫ですよ、葵生さま! 菊枝さん、ああ見えてやるときはやりますよ!」
「そうかしら」
「ええ!!」
そ、そうか。
朝子さんが凄い力入れて頷いてくるんだけど、ええ、だって菊枝さん、葵生と同じくらい大人しい人だったよね?
大丈夫なのか、こんな人の海に入って大丈夫なのか!
「葵生さまー! 朝子さーん!」
「あっ、菊枝さん! どうでした、わたしと葵生さま何組でした?」
「おふたりは松組でした。ああ、わたくしだけ別のクラスになってしまいましたね」
スッ、と人の海から抜け出して駆け寄ってきたのは、少しだけ髪の毛が乱れた菊枝さんだった。
しょぼーん、と肩を落とす菊枝さんは、わたくしだけ別、ととても寂しそう。
だ、大丈夫ですよ菊枝さん! クラスが離れても、ずっとお友達ですよ! ズッ友です!
朝子さんも、大丈夫よ菊枝さん、お昼は一緒に食べましょう、と励ましている。
「菊枝さん」
「はい」
「私の分まで見てくださってありがとう」
「はい」
「今回は別のクラスになってしまいましたけど、朝子さんのいう通り、お昼は一緒に食べましょう? クラスが離れてしまったからって、お友達をやめるわけではありませんよ」
「そうですよ、菊枝さん! 合同学習の時は、一緒にやりましょうね」
「葵生さま、朝子さん……。ええ、ええ!!」
私の言葉に目を丸くしていた菊枝さんだったけど、次の瞬間には目を潤ませて笑った。
そして嬉しそうな顔で何度も頷く菊枝さんは、思い出したように、もう予鈴のベルがなりますね、と私たちににっこり笑った。
それにつられたのか、私を見て呆けていた朝子さんもにっこりと笑って頷く。
その光景が、とても眩しく思えた。そういえば、2年前。私はこんな風に、別のクラスになることを悲しめる友達はいただろうか。
一応、葵生さまと同じクラスじゃないなんて寂しい、と言われたことはあるが、今はその子の顔さえ思い出せない。
それくらい浅い付き合いだったのだろうか。そう言えば、菊枝さんや朝子さんとどうやって仲良くなったのかも、鮮明に思い出せない。
一番のきっかけは、私の覚えにない、学園で倒れた日のことだろうが、それ以降があやふやなのだ。
もしかしたら、記憶に残らないくらいつまらない日々を送っていたのかもしれない。前のの御神楽葵生は、寂しい人間だったのだ。
でも。今はそうじゃない。
「葵生さま、行きましょう」
「ええ」
深く息を吐いて、そして浅く息を吸った。
前の記憶と照らし合わせても、私は少し変わっただろう。記憶を取り戻したこともそうだが、生きることを決めたからだろうか。
私より1歩前に出た彼女たちの後ろを歩いていく。何故だか無性に、ロクでもないけど優秀だった元上司に、会いたくなった。