理由は簡単なこと
一学年下の少女は不安そうにぼくを見上げてくる。
理由は簡単なことで、ぼくが機嫌悪く足早過ぎるせいだろう。
王子に不快を与え邪魔をしていただけで許せないとは思うが、明らかに庶民。仕方ない部分はあると、言える。そう、ここは我が国内ではないのだから。
溜息が漏れる。
兄も王子も寛容過ぎるのだ。
「あの、あ、ありがとうございます」
「いえ。先生が困ってらしたので」
「す、すみません」
繰り返し、溜息がでる。
「ぼくに謝られても困ります。それよりも先輩たちのお茶会に参加できずに残念でしたね」
彼女は恥じ入るように俯く。
歩く速度が落ちる。
「……いいえ。わたしでは緊張し過ぎてご迷惑をかけちゃうだけな気がするから」
一呼吸おく。
確かに彼女の言う通りだろう。
迷惑というか、恥をかくだけだ。
「あの、ありがとうございます。その、セルツェです!」
足早に追いついてきながら少女は名乗る。懐かれたわけではないよな?
「カイエン。らしいですよ。はい。つきました」
名乗られたので名乗り返し、教員室を見渡す。
「カイエン君、セルツェ君、ありがとう」
すぐに気がついて、よってきたのは穏やかな教師。それなりに高級そうな仕立ての目立たない装いだ。
「遅れて申し訳ありませんでした。フィブレ先生」
言葉をかければにこやかに頷き、少女と僕に分けられた書類に目を落とす。
「量が、多かったようですね。無理を頼んだようでこちらこそ申し訳ありませんでした。無事持ってきてくださってありがとう」
もの柔らかな笑顔に恐縮し、頬を染める少女。
「カイエン君も手間をかけましたね」
「いえ。校舎に早く慣れたいですから」
歩き回ることに目的があるのは有意義だから。
そして、少女が頬を染める理由は簡単なことで、あがり症か、この教師に気がある。それだけのことだと思う。
実に、くだらない。
「フィブレ先生」
「はい。なんでしょうか?」
「春の祭典ってどういうものなんですか?」
思いついて問いかける少女。ぼくは一応資料を見て知っているけど、あくまで宣伝用の伝聞情報だ。教師がいるのだから留学生のぼくがふる必要はない。
「親御さんから聞いていませんか?」
「両親は早くに亡くなって親類のところと施設を幾つか、学校に十四になったら行くということしか……」
ぽろりとこぼれる不幸話。ぼくの動いた気持ちは、知らないまま売り飛ばすような人がいなくて良かったね。ぐらいだ。
「そうでしたか。……では、奥でお茶を飲みながらお話ししましょうか。カイエン君も、お礼です。聞いていきませんか?」
フィブレ先生がにこやかに誘ってくる。
「いえ、そろそろ、キトを迎えに行きますから」
「仲が、よいですね」
和やかな物言いながら勘繰るような口調が苛立たしい。ここで苛立つからよく兄に叱られるのだが。
「幼馴染みですからね。キトの方が年下ですし」
実は少女と二人っきりになりたくないだけではないかと疑うが、放置だろう。
「あの、カイエン先輩!」
なぜ、呼び止められた?
「なんですか?」
「えっと、ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げられる。
何に謝礼を言われたのかがわからない。二人っきりの機会を作ったことですか? ジャマしましょうか? それとも、書類運びを手伝ったことですか? 王子のジャマを排除しただけですよ?
「いいえ」
王子の邪魔をするものは排除する。
にまりと少女が嗤った。わかってると言わんばかりの眼差しの温度にぞくりとした。
「それでは失礼します」
教員室を辞し、無意識に詰めていた息を吐く。
数ヶ月後に生まれた乳兄弟。仕えるべき人。ぼくはぼくの位置を手放さない。
絶対の信頼。隙を見せられる存在でありたい。後ろ暗くもあるこの気持ちを伝えることはなくとも。
そして甘い誘惑。
信頼していたぼくに裏切られたらどんな表情を見せてくれるのだろう?
どんな反応をくれるんだろう。
鼓動が高まる。想像しきれない想像を高めて心地よい快楽。とんっと引き落とされる。
そう、ぼくの後ろ暗い恋。慕情。
あの少女に見透かされた気がしたんだ。
「カイエン、キトはどうした?」
「シシリー先輩とミルキラ先輩とお茶会中ですよ? タイミングを計って迎えにいくところですが?」
やってきた兄に聞かれたので答える。付き人放棄して好き勝手している兄である。アテになどしていない。
「よし! 迎えにいくぞ!」
気張った兄は珍しく空回り、シシリー嬢に涙目で「最低!」の言葉を頂戴したようです。
落ち込んだ兄を王子と二人でなだめるって何か間違っていませんか?