落ちる
幸か、不幸か演武会でシシリーと試合することはなかった。
演武会の終わった後、湖渡りを一緒に観に行くことになった。おれの弟も彼女が可愛がっている後輩のアレキシも出場するし、ミルキラ嬢も進行を手伝っているらしかった。
眺めがいいという穴場。おれは飲み物を手に入れてから追いかける。
好きだと。
演舞会に出なくともその曲で踊らないかと誘うつもりだった。
演武会用の装備は充分に華麗なのだから。会場の外。二人で。
そんな、仮定の未来を夢想した。
そう、おれの位置からは湖はまだ見えなかった。シシリーが茂みの間から見えた。そこからは競技が見えるのか、少し、背伸びして覗き込んでいる。
声を、掛けようとした時、スッと白い手が見えた。
背筋に冷たいモノが走る。
誰かいる?
驚かすつもりだろうか?
シシリーは演武会が終わったままの鎧姿。疑問を抱きつつもおれは歩みを進める。
白い手が軽く動いた。指先、そして二の腕。茂みが揺れてシシリーが瞬間、見えなかった。
とん
白い手がシシリーから離れていく。
シシリーの髪が宙に舞う。
落ちる。落ちていく。
届かない。
飲み物を放り出しておれは走る。音を捉えることができない。
水飛沫が上がる。
おれは彼女の落ちた位置にたどり着く。シシリーを追う事が出来ない。下には人が近づいていたから。救助の邪魔をする訳にはいかなかった。
見回す。
あの、押した手の主がまだ、遠くないはずだった。
「女」
アレは女の手だった。
泳げない。
そんな言葉が下から聞こえた。
シシリーを引き上げたのは第四学年の留学生。同国人だが、ここに来るまで面識はなかった男。
おれにできること。
白い手の女。何処に、消えた?
事故なら怯えているだろう。注意をしておかないと。
思考が停止しそうに軋む。
前、先にいったのはおれだった。
時間など、余裕なんかなかったんだ。
白い手が伸びていた茂みに手を突っ込む。
「ナヴァン!」
呼ばれて、手を止められていることに気がついた。
「女。女が白い手が、シシリーを突き落としたんだ。おれ、なんで声をかけなかったんだ? なんで、先に行かせたりしたんだ?」
どうして。なんで、そんな言葉がこびりついて剥がれない。
おれがちゃんと一緒にいたら、ここまでにならなかった。
なんで、泳げないことを知っていなかった?
知っていたら、危ないって声をかけただろうに。
どうして、おれが彼女を助けられなかったんだ?
おれが一緒にいたはずなのに。
「落ち着け! シシリーは無事だ! どこも打っていない。無傷だ。ショックで意識を失っているだけだ」
肩を揺さぶられる。
こいつは、……ダレだ?
つば広帽子。焦げ茶のハネっ毛。濡れたねずみ。
……第四学年のアラキだ。よくわからない人物でコールが、先輩と慕っている最上級生。
「無傷?」
「そうだ。おそらく、着水時に意識があったかもあやしい。おかげであまり水も飲んでいない。足を滑らせることは誰にも想定できない。ロウが塗ってあったわけでもないんだからな。事故だ」
暗にお前は悪くないと告げられる。
「こんなことになるなんて……」
足を、滑らせ、……て?
ちがう。それは、違う。
「シシリーは、突き落とされたんだ」
アラキが視線を逸らして大きく息を吐く。
「誰もいない。証拠もない。見つけて、どうするんだ? 誰かわかっているのか? コレといった特徴があるのかい? 本当に、そんな存在がいたのかい? 君が勢い余って押したわけじゃなく?」
!?
「落ち着くといいよ。君のせいじゃないけれど、事が大きくなるのもタイミングが悪いからね」




