春の音外れ
温かい風が都会を包み込んで行く春の夕暮れ時、帰宅の時間とも言えるこの時間帯は、騒がしいとも言えるが、どこか心地の良いものにも聞こえてくる。
そんな都会の中央に建っている都立中央病院は今日も、病院という静けさな中にも活気のある声や音が響き渡る。
「……ああ、分ってるよ。大丈夫、心配しないで。うん……、うん。またね」
病院の一階の一角に設置されている『電話場所』。その小さなボックスの中で、スキニーのジーパンと薄手の長袖というラフな格好をした青年が電話を丁度終えていた。
半 徹は、理数系大学に通う二年生になったばかりだが、風邪をこじらせたという理由で入院中である。
電話を終えた徹は受話器を戻して一つ吐息を吐き出して、虚空を見詰める。先程の優しげな声色とは反対にどこか厳しい印象を与えるような顔立ちをしていた。だが、小さく頭を振った徹はそのままボックスから出て行く。
「親には心配かけないって決めてたんだけどな……」
自分の病室へと戻りながら徹は誰にでもなく、自分に対して後悔の言葉を投げ掛けていた。
都立中央病院は、その敷地の広さ、医療の設備において世界にまで認められる病院であった。病院内には小さな遊具場が設けられており、子供達が元気に遊んでいる。そんな病院は十階建てとなっており、一階から三階にかけて、待合室や内科や外科などの個室が並んでいる。四階からは病室となっていて、最大で四人部屋だが、個室もきちんとある。
徹は六階にある四人部屋の二百三号室で過ごしている。だがまた徹一人だけなので、広々といていた。
「はぁーあ……疲れた」
最近はあまり動くことがないので筋肉が落ちているのかもしれない。色白で細い体をしているためか、余計弱弱しく見えてしまう。襟首まで伸びた黒髪をゴムで緩く縛り、病室へと入る。ベッドに腰掛けてぼんやりと虚空を眺めていれば、どこか遠くから聞こえてくる救急車のサイレン音。
また、誰かが運ばれてくる。
今度は誰だろう?
重症なのか、軽症なのか。
男か女か。
大人か老人か、はたまた子供か。
いろんな疑問や好奇心にも似た感情が込上げてくる。いつからだろうか、こんな風に自分が変わり始めたのは。失礼なことだと分っているのに、止めることのできない感情。
「僕は……狂っているのかもしれない」
その言葉は誰にも受け止められることなく、窓から外へと流れ出して風に呑まれて消えて行く。
「……! 急げ、緊急治療室だ!」
「退いてください! 重症です!」
救急車の中から降ろされる感覚、ストレッチャーに乗せられて運ばれていく感覚、嫌に成る程眩しい蛍光灯の光が、目に染みる痛み。
鳩羽 海は、身体中が鉛の様に重くなり、うまくまわらない思考でぼんやりと視界に一人の男性を映す。
「おい、死ぬなよ! 頼むから、死なないでくれ!」
他の声や者が靄のように見える中、その男性の声と顔だけははっきりと見えた気がした。
「良いか!? 絶対だぞ―……」
その途中の言葉を最後まで聞くことができないまま、海の意識は闇へと引きずり込まれていった。