2章1話1 一縷の望み
彼らの精悍な顔つきは、明らかにカレリア人のそれではなかった。
ソファーの後ろに居並ぶ彼らの、陽に灼けた頬は引き締まっている。
眼光鋭い五人の男に胡散くさそうに眺められ、エレーンは密かにたじろいだ。
なぜに、そんなに睨まれているのか。てか、
(なんで、この人たちまで、同席して いるわけ?)
なにやらいやに物々しいが、街にいるような警邏とは違うし、商都の街を巡回していた衛士のような雰囲気でもない。
むしろ、酒場にたむろする荒っぽそうな人たちに近いが、その割には筋の通った、折り目正しさのようなものが彼らにはある。
一体、何者なのだろう。旅芸人というのでもないし。
皆、似たような身形だが、ああいう風体は見慣れない。暗色のズボンに編み上げ靴。ずいぶん年季が入っていそうな重たそうな革のジャンパー。裾に覗くは
……短剣の先?
もしや、護衛ということだろうか。向かいのソファーに座っている、あのとびきりの美丈夫の。
そう、驚いたのは、あの彼だ。まさか、ここで会おうとは。
ラトキエ邸にいた頃に、リナに何度も取り次いだ商都きっての人気役者と。ラトキエ邸で同僚だった、あのリナの元彼と。
「では、ご用件を伺いましょうか」
まじまじと見ていたその顔が、微笑みをたたえて口をひらいた。
「公爵夫人直々に、ご足労いただいたのですから」
「──あ、はいっ!」
じぃっと見入っていた眼を瞬き、エレーンはそそくさ背筋を伸ばす。
他人の空似だったらしい。目配せしたのに反応ないし。
門番と思しき人たちに「一番偉い人を」と頼みこみ、部屋に現れたのが、この彼だった。
当人によれば、肩書は「統領の代理」ということで、「統領」というのは大勢を仕切る、一番上の役どころらしい。
ちなみに、役職者というにはまだ若い、彼の名前はデジデリオ。
統領代理デジデリオは、五人も護衛を従えて、ソファーで足を組んでいる。
絵師が題材にしたがりそうな見目麗しい風貌で。
リナの元彼とそっくりだから、彼も人気の役者だろうか。見るからに手入れの行き届いた、つやつや波打つ長い髪。一目で高価とわかる服。
川を渡ったその先の、北の荒れ地にエレーンは来ていた。
あの使者が言っていた「遊民」の力を借りるために。
初夏の一時期、北カレリアでは、豊穣祭が開催される。
街をあげての大規模な祭りだ。見物人が各地から集まるこの有名な祭りには、旅芸人たちも参加する。いや、むしろ彼らが主役だ。華やかな出し物を披露する、旅芸人の遊民こそが。
例年、遊民の一団は、幌馬車を連ねて北方に駆けつけ、祭りが終わるまで逗留する。普段は草ぼうぼうの、ガランと広い北の荒れ地に。
ちなみに、風雨にさらされた薄黒い灰色の天幕が、ぎっしり居並ぶその様は、いささか不気味な感がある。彼らに土地を占拠されてしまったかのような。
話す順序と要点を整理し、エレーンは意を決して顔をあげた。
「た、助けて欲しいの! あたし達を!」
長い足をゆるりと組んで、代理はいぶかしげに訊き返す。「助ける?」
「実は昨日、ディールが使者を屋敷に寄越して──」
エレーンは経緯を説明した。
使者との面談の内容を。
案内されて通されたのは、意外にも豪華な応接室だった。
飴色にかがやく高価な棚には、瀟洒な皿が品よく置かれ、精密な彫りの調度品も、方々にさりげなく飾られている。どれも一級の品ばかり。まがい物など一つもない。
そうした目利きには自信があった。前の職場のラトキエ邸で、毎日飽きるほど見てきたから。
説明を続ける目の端で、それらの値踏みを密かにしながら、それにしても、とエレーンは思う。
この部屋の豪華さに、実はいささか気圧されていた。
放浪者の集団というから、てっきり毎日食うや食わずの、貧しい人たちかと思いきや。
そんなに儲かるものなのだろうか。ああした芝居の興行というのは。この豪華な調度品といい、商都の財閥と見紛うような統領代理の身形といい。
統領代理は悠然と、肘をついて聞いている。
話の先を促すでも、話に相槌を打つでもなく。
頬には微笑みこそ浮かべているが、ずっと無言で眺めている。
その本心を覗こうとするが、彼の深い瞳の奥は、紗がかかったように窺い知れない。
エレーンは説明を続けつつ、のれんに腕押しの相手に焦れた。
事情は何度も説明したのに、彼は口をひらこうとしない。
とはいえ、是非とも味方につけたい。この彼ら遊民を。
ディールが使者を寄越してまで「遊民」を欲したというのなら、勝敗の行方を握る鍵は、彼らであるに違いないのだ。
そう、切り札になるはずだった。
この崖っぷちを覆す、唯一無二の切り札に。
統領代理が目を伏せて、あくびをかみ殺すような顔をした。
エレーンはたまりかねて語気を強める。「──あの!」
「お引きとり願いましょうか」
代理がそっけなく席を立った。
あわててエレーンは食い下がる。「お、お願いします! だって、もう、頼るところが──」
「無理ですよ」
笑顔で、彼が一蹴した。「残念ですが、私どもは、ご期待に添えません」
「待って! それなら、せめて聞かせて! あれは一体どういう意味? クレストがあなた達と親密っていうのは──」
出口へ向かう足を止め、統領代理が一瞥をくれた。
エレーンはぎくりと硬直する。
一瞬見せた表情の、視線の鋭さに気圧されたのだ。
しどろもどろで取りつくろった。「し、使者がそう言ったから……だから、その……」
無言で見ていた統領代理が、壁の男たちへと目を向けた。
「お客様はお帰りだ。丁重に送ってさしあげて」
観光客と思しき親子が、雑談しながら行きすぎた。
年に一度の祭りをひかえて、街はめずらしく賑わっている。
笑顔が行きかう大通りを、とぼとぼ一人行きながら、エレーンはそっと嘆息した。
「豊穣祭、か」
今では、ノースカレリアは、観光収入に頼った街だ。
豊穣祭にはどの店も、売り物をぎっしりと押し並べ、売り込みも盛んに行なわれる。
親子連れや恋人たちで、街はひと時、活況を呈する。
北方の街の石畳を、日差しが心地よく照らしていた。
店先を掃く老婦人、準備に追われて忙しげな店主、店先を冷やかす観光客、街をぶらつくどの顔も、のんびり寛いだ顔つきだ。いつもは鄙びたこの街が、久々の祭りに浮き立っている。
けれど、あと数日もすれば、ここにも軍馬が押し寄せて──
「どう、しよう……」
その様を思って戦慄し、エレーンは我が身を掻き抱いた。
「……あたし、一体どうしたら」
期限は刻々と近づいてくる。
協力者は見つからない。
のんびり町を行く人々は知らない。
今、こうしている間にも、ディールの軍隊が近づいていると。
他のどこの地でもない、ノースカレリアを目指していると。
なんとかしなければ、ならなかった。
一刻も早く、早急に、敵襲を防がねばならなかった。
ディールの要請を突っぱねたからには。
とはいえ、警邏は耳を貸さず、身内に疎まれ居留守を使われ、頼みの綱の遊民たちにも、あっさり協力を拒まれた──。
厳しい現状に顔をしかめて、エレーンはきつく唇を噛む。
味方がいない。
誰ひとり。
西日を浴びた石畳が、いやに白々とまぶしかった。
冷え込むような季節ではないのに、抱きしめた肩が震えていた。
街のつつがない喧騒が、凍えた体を包みこみ、四方八方から責め立てる。のどかで平和なこの街を、この手で壊してしまうのか──
「どうしたい、そんなシケた面して」
不意に声をかけられて、エレーンは怪訝に顔をあげた。
茶色の大きな紙袋をかかえた、中年の男が笑いかける。
「幸せいっぱいの新婚さんがよ。ん~?」
北方の鄙びた雑踏を背にして、あの夫妻が立っていた。