1章4 西からの使者
磨きあげられた飴色の卓が、窓からの日射しを浴びていた。
広い卓の向かいには、背筋を伸ばして着席している、眼窩の落ち窪んだ礼装の男。
クレスト領邸、応接室。
静かな客間に朗々と響く、男の厳かな声を聞きながら、エレーンはギロリと壁を見やった。
(もぉおおー。なんで、あたしがこんなことをーっ!)
壁でちんまり控えているのは、厳粛な面持ちの老執事。窮地に追いやった張本人だ。
そうだ。こんなに大事なことを、何故にさっさと言わなかった。
脱出を試みた扉の向こうに、ディールの使者が来ている、と。
その紛うことなき正規の使者を元気ハツラツぶっ飛ばしてしまったからには、引くに引けない崖っぷち、一発逆転大ピンチである。
「さて、早速でございますが」
使者は型通りの口上を済ませて、本日出向いた用件を切り出す。
「本日は、ご当主様に、書状をお届けにあがりました。ご不在との由、承りましたが、なにぶん急を要しますので、代わってお受け取り願いたく」
「それは致しかねますわ」
つん、とエレーンはそっぽを向いた。
使者を無下にあしらうなど本来あるまじき態度だが、相手は故郷を攻撃している当のディールの使者なのだ。敵の手先を歓迎するほど、寛容でもなければ、愚かでもない。
書状を厳粛に差し出した使者が、面食らったように目を向けた。
怪訝そうに顔をうかがう。
「はて、これはおかしなことを。失礼ながら、ご自分が、何を仰っているのかお分かりか」
「わたくしは当主ではございませんもの。わたくしには、そんな権限、どっこにも、ございませんことよ?」
手の甲を頬に押しあてて、エレーンはコロコロ笑い飛ばす。
奇妙なものでも見るように、使者が唖然とながめやった。
そのまましばらく口をつぐみ、卓の書状へ手を伸ばす。
「それでは自国へ立ち戻り、クレストの助力は得られなかったと、報告することに致しましょう」
書状をゆっくり拾いあげ、落ち窪んだ眼窩を無表情に向けた。
「つまり、クレストは我々を、敵に回す、というわけだ」
ぎくり、とエレーンは腰を浮かした。「──それは!」
「この局面での早馬が、何を意味するものであるのか、世事に疎い奥方といえども、お分かりにならないはずもない。書状さえも拒むというなら、我らに弓引く意志は歴然」
落ち窪んだ眼窩を据えたまま、ディールの使者は諭すように続ける。
安易に結論を出される前に、よくよくお考え頂きたい。
ご当主様の大事な領土が、明日にも火の海になるやも知れませぬぞ──
エレーンはあわてて背後を見た。
壁で控えた老執事が、わずかに首を横に振る。
それに小さくうなずき返して、エレーンは毅然と目を向けた。
「お引き取りを」
どうせ、脅しだ。乗ってはならない。
女だから、とナメられているのだ。
ほう、と使者がつぶやいて、値踏みをするようにすがめ見た。
「それでは、返事は変わらぬと? 貴女はあくまで我々と、敵対する、というのですな」
エレーンは詰まって眉をしかめた。
冷ややかな沈黙が、客間に満ちる。
「いやですわ。おかしなことを」
使者の言葉を叩き返して、エレーンは不敵に微笑み返した。
「そんなことは一言も。当家の意向をご所望ならば、当主がこちらへ戻った折りに、出直して下されば済む話。それが筋ではございませんこと?」
「ですから、急を要すると」
「そちら様のご都合でございましょう? わたくしなどに仰られても」
使者が詰まって眉をひそめた。
敵の手先を言い負かし、エレーンは(どうよ!)とほくそ笑む。口先で相手をやり込める事には、ちょっとばかり自信があるのだ。こうは見えても元庶民。ヤワな上流とは鍛え方が違う。
(さっ。とっとと逃げないと)
まったく、こんなの冗談じゃない。
よくわからない政務なんかに、自分は一切関わりたくない。
それに、そもそも妙ではないか。「領主はいない」と言っているのに、ゴリ押ししてくるなんて。
なにか裏がありそうではないか。
面会相手はいやしくも領主。なのに、いなけりゃ代理でもいい? そんな話は聞いたことがない。それに──
かすかに勘が働いた。
あんなものを受け取れば、大変なことになってしまうと。単に受け取るだけでは済まない、面倒ごとに巻き込まれると。
この先もつつがなく平和に日々を過ごせるかどうかは、今後の対処にかかっている。
そう、鍵はあの書状だ。
──あの書状は、受け取ってはならない。
シン──と冷たい静けさが、客間の天井に張りついた。
壁一面の大窓から、夏日が白々とさしている。床に、黒く窓枠の影。
「──まったく、強情な方ですな」
向かいの使者が、沈黙を破った。
頬をゆるめて苦笑する。
「それではこちらも少しだけ、事情を明かすとしましょうか。ああ、いえ、ここから先は、ありふれた世間話とお聞き流し下さって結構。他愛のない話ですが、先日、小耳にはさみましてな」
使者は礼装の肘をつき、他聞をはばかるようにして軽く乗り出す。
「実は、兵どもがトラビアで、男を一人捕えましてな。それが一体どうしたわけか、こちらのクレストのご当主と、実によく似た風貌だとか」
エレーンは怪訝に眉をひそめた。
なぜ、急に、そんなことを。しのぎを削るこの場面で。
その男の顔つきが、似ていたから、どうだというのだ。ズルくて無慈悲で日和見主義の、あの嘘つきダドリーと──
あの面影が脳裏をよぎった。
エレーンははっと息を呑む。ちょっと待って。そういえば、
──ダドリーは、今、どこにいる?
このところの違和感が、走馬灯のように閃いた。
数日行方が知れないダドリー。なぜか、奥方との面会をねじ込んできた敵の使者。もってまわった話の含み。これらが意味するところはつまり──。「よく似た者」というのは
──まさか。
冷や水を浴びせかけられたように、ぞくりと背筋が凍りついた。
使者は目を逸らさない。
射貫くような目は据えたままだ。骨張った指を組み、反応をうかがうように口をひらく。
「おそらくこれは人違い、もしくは誤報でございましょうな。しかしながら、奥方様には、お伝えした方が親切ではないかと。いや、遠い南のトラビアに、ご当主がおられるはずもないが」
「た、ただで済むと思ってんのっ! 領家を脅迫するなんて!」
なりふり構わぬ使者への罵倒が、裏返った声が虚しく響く。
使者が「はて」と首を傾げた。「何を仰っておられるのやら」
「──とぼけんじゃないわよっ! だって、今、ダドリーをっ!」
「ですから、申し上げている。実によく似た風貌、と」
突き放したように一蹴され、エレーンはわなわなと口をつぐんだ。
卓をつかんだ指が震える。一体何が起きているのだ。こんなことが起こり得るのか? 他領の主を拘束するなど。
けれど、現に今の言葉は、あからさまな脅迫に他ならない。
こちらの要求を拒むなら「領主の命の保証はしない」 そう言ったも同然だ。
卓をつかんだその指が、膝へと力なく滑り落ちた。
もう、何も考えられない。
まるで悪夢のようだった。
言い負かしたと思っていたのに、気づけば奈落の底にいる。
せめて向かいを睨みつけた。「──あたしに一体、どうしろと」
「おや、聞きわけが良くなられましたな。初めからそうして、素直に聞いておけば宜しいものを」
蔑むように使者が笑い、先の書状をさし戻した。
「当方の望みは一つです。奥方様におかれましては、援軍をご検討頂きたい。この分では、ご当主は、当分お戻りにはなられないようですからな」
飴色に輝く卓の下で、エレーンは拳を握りしめた。
(でも、援軍なんて言われても……)
どうしたらいいのか、わからなかった。
まして、その援軍は商都を攻める側に加担するのだ。
あの懐かしい故郷の商都を。
形勢逆転を見てとって、使者は機嫌よく言葉を続ける。
「我々は兵が欲しいのですよ。それも農民の寄せ集めなどではない、かの遊民の戦力が」
エレーンは面食らって見返した。
「ゆうみん、の?」
なぜ、今、突然ここで、「遊民」などという語が出てくるのだ。
使者の言う「遊民」というのは旅芸人の蔑称だ。
定住しない放浪者ゆえ国籍をもたない一団で、歌や軽業を披露しながら、幌馬車一つで渡り歩く。
歌い、踊り、道化を演じる芸事畑の集団を、なぜ、ディールは欲しているのか。まさか、こんな緊急時に、兵の慰労でもあるまいに。
「ええ、遊民の」
その名を口にするのも悍ましい、というように、白いハンカチで口元を押さえて、使者は苦々しく顔をしかめる。
「無論、民兵もご提供いただく。商都に部隊を割いていて、国境がいささか手薄なのでね」
ディールの主都「トラビア」は、隣国領との最前線。
仮に、隣国が攻め込めば、真っ先に戦禍をこうむる地域だ。
「商都を陥落させるには、賤民どもの力が必須。だが、渡りをつけようにも伝がない。いや、そんなものが、あろうはずもない。しかし、ここクレストならば、そうした事情も別のはず」
使者が耳打ちするように声をひそめた。
「おありになるのでしょう? 特別な伝が。奥方様におかれましては、是非ともそちらの方面で、ご尽力を賜りたいものですな」
エレーンはますます困惑した。
各地を渡りあるく「遊民」は、混血の集団だと聞いていている。
そして「混血」は一般的に、忌み嫌われる風潮がある。
遊民も、市民とは交流しない。
ひとたび笑顔で舞台を降りれば、誰にも気を許さない、そうした排他的な集団なのだ。
芝居に通う市民であれば、あるいは贔屓もあるのだろうが、ここクレストは領家の一。下々のそうした娯楽とは、まるで無縁の家柄だ。まして、そんな伝などは。
話がさっぱり飲みこめず、エレーンはおろおろ首をかしげる。「それは、何かの間違いでは? ここクレストは、歴とした領家で──」
「クレストを預かる奥方が、よもや、そんなことを仰ろうとは」
使者が憐れむように失笑した。
「まあ、いい。それについては、お会いになれば、わかること。連中も嫌とは言いますまい。クレストのたっての頼みとあれば」
使者はぞんざいに話を切りあげ、椅子を鳴らして席を立つ。
「これで、お暇いたします。本来この手の話には一刻の猶予もないものですが、奥方様も急な話で、驚かれたことでしょう。ご返答につましては、明日伺いに参ります」