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1章2 あの頃

 ドレスの襟元から取り出した"それ"を、エレーンはむっつりと眺めやった。


「……ざまあみなさい」


 指でつまんだ石のかけらは、きらきら緑色に輝いている。

 これは、世に言う「夢の石」

 領邸執務室の一角で、厳重に保管されていた珍宝だ。


「人の世の望み、ことごとく叶えます」


 という、世にも珍しいありがたい秘宝。

 そんなに大そうな代物が、なぜに首飾りなんぞにくっ付いているかといえば、理由はむろん、他でもない。


 こっそり持ち出してやったからだ。



 ダドリーとは絶交し、あれから口もきいてない。

 むしろ、顔も合わせてない。

 なにせ奴がいないから。


 人伝ひとづてに聞いた話では「現在、領地を視察中」とか。

 だが、それだって、どうだか怪しいものだ。

 

 とっ捕まえたあの秘書官、とたんに目を泳がせて、おどおどソワソワしてたもの。

 どう見たってあの顔は、嘘をついていた顔だもの。

 どうせなら、もっと、ましな嘘をつけばいいのに。


 もちろん、それはわかってる。

 石ころ一つ隠したからとて、どうなるものでもないってことは。

 けれど、これが紛失したら、涼しい顔で使者を無視した、あのダドリーも(おのの)くだろう。

 つまりは腹いせ、嫌がらせ。


 もっとも、石はニセモノだった(・・・・・・・)が。

 現に妾は健在で、ラトキエを見捨てたダドリーだって、未だに翻意していない。

 昼夜を問わず香を焚き、近年にないほど頑張って、奴らに呪詛をかけたのに。


 つまり、どれほど願をかけても、この石は、何一つ叶えない。


 まあ、あたり前ではあるけども。でも、

 せいぜい青くなればいい。石のありかを探しまわって。


 そうよ。あんの天パー詐欺師がっ!

 こんなひなびた田舎まで、ヒトを連れてきておいて!

 自分はちゃっかり妾なんか囲って! 独身どころか子持ちとか!

「来い」ってお前が言ったから、はるばる商都から嫁いできたのに。暮らしも想いも全部捨てて。

 大好きな商都の街も。気のおけない友達も。これまでの人生の何もかも──。


「もぉぉーっ! 帰っちゃおうかなー、あたしの商都にぃ~!」


 三下り半を突きつけて。


 とはいえ、このままここで暮せば、クレスト領家の正夫人。

 実感なんかないけれど、身分でいえば、


「公爵夫人、かあ~……」


 ああ、なんて悩ましい。

 国王に次ぐ身分の領主の、伴侶の順位というのなら、上から数えた方が早かろう。

 なのに、何ひとつ意のままにならない。これは一体どんな理屈だ!


 石はキラキラ輝いている。海の底を見るような揺らぎで。

 もう何度目になるかわからない溜息が落ちた。


「……こんなはずじゃ、なかったのにな」


 この世の栄華の何もかも、この手に入れたはずだった。

 誰もがうらやむ輝かしい未来が、待ち受けているはずだった。

 これまでの冴えない人生を、挽回してあまりある──。


 商都の領邸で働きながら、ダドリーと付き合っていたあの頃は、むろん夢にも思わなかった。

 二つも年下のふてぶてしい彼が、領主なんかに化けるとは。


 もちろん出自は知っていた。

 この国の三大公家、クレスト領家の三男坊だと。

 とはいえ、領家の総領息子というならともかく、三男坊などという半端な立場は、家の跡目とは関係のない「ごくつぶし」の方を普通は意味する。


 だから、商都のあの通りで、商店をひらくつもりでいた。

 かわいい雑貨をたくさん仕入れて。ダドリーと二人で切り盛りして。

 店が軌道に乗ったなら、実家の店を買い戻そう。とうに人手に渡った店を。

 やがて、子供が生まれたら、家族団欒、笑って過ごそう。今は亡き両親と日々暮らしたあの頃のように。

 忙しくたって構わない。ささやかだって構わない。戻れる場所があるのなら。そこに家庭があるのなら。そんなにたいそれた夢じゃない。

 それなのに──


「なによ。もう、女がいるとか」


 いや、それどころか、子供(ガキ)までいるとかっ!


 開け放した窓の向こうに、純白の雲が浮いていた。

 うっすらと青い北方の空。天井の高い広い居間。ひっそりとして音のない、一人きりの静かな午後──。


「……あの頃は、良かったな」


 くすり、と笑って、目を閉じた。

 気だるく茶碗をとりあげた耳に、遠い笑いがよみがえる。せみの声、陽の輝き、コップについた丸い水滴。海に沈む大きな夕陽──


 あの彼(・・・)の逗留先に、みんなで押しかけたものだった。

 そして、日がなたむろしていた。

 毎日、暇を持てあましていた。散歩をし、昼寝をし、カードをし、長椅子でだべり──


 カウンターの向こうの壁の酒瓶。

 西日のあたる裏口の戸。ひっくり返ったままのサンダル──なんという名前だったか、あの夏、仲間と居座った、崩壊寸前のあの宿は。なにか変った、変てこりんな屋号だったが。


 森と牧場と農地しかない、地味でひなびた片田舎だった。

 ノースカレリアのような街ではなく。そして、外海にほど近い──


 ひなびた避暑地の気だるい午後。

 皆、何をするでもなくそこにいて、あたり前のようにじゃれていた。そこが自分の居場所だった。

 それがどれほど特別だったか、どれほどかけがえのない日々だったのか、過ぎてしまった今なら、わかる。

 ひなびた何もない田舎でも、気のおけない友さえいれば、極上の避暑地になるのだと、あの夏の日に、初めて知った。

 時は過ぎ、夏は去り、そして、友が、ひとり死んだ──。




「お、奥様! 大変でございます!」


 声に目をあけ、扉を見た。


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