表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/51

2章2話3 血塗られた手

 鼓動が速い。

 唇が震える。


 何が──何が起きたのだ?


 パチパチ炎が爆ぜていた。


 話し声が、遠く聞こえる。

 視界いっぱいに広がった火焔。

 焼かれ、のたうち、苦しむ人影。

 炎に黒くうずくまり、地面に倒れ、焦げていく人影──。

 

 炎の轟音が聞こえていた。

 地獄絵図さながらの光景だった。いや、まさに「地獄」がそこにあった。


 それを眺める隣の顔には、傭兵たちの無感慨な顔には、動揺ひとつ見当たらない。

 それは常識を超えていた。

 死にゆく相手を見届ける、平然とした冷徹な横顔。こんな人たちは見たことがない。

 横並びのその中には、まさに兵を手にかけたあの長髪の顔もある。


「……そ、んな」


 愕然と、エレーンは立ちつくした。

 膝が笑い、震え出す。

 頭が真っ白に焼き切れて、わずかでも指を動かせば、きっと勝手に叫び出してしまう。

 

 音の全てがざわめきと化し、周囲の声は聞こえているのに、言葉の意味を捉えられない。

 ただ(うつ)ろにたたずむ体を、事象のすべてがすり抜ける。


「── 一度に、三百を消し去るとはな」


 男の野太い(だみ)声が、意味を伴い、耳に届いた。

 見れば、山賊のような蓬髪の男が、長髪の方を振り向いている。

 長髪は戦禍に目をやったまま、事もなげに言葉を返す。


「どうでもいいような雑魚どもだが、あんな障害(もん)でもない方が、バードの負担は軽くなる。ま、これで少しは事が有利に──」


「なんてことするのっ!」


 端正な顔の長髪が、眉をしかめて見返した。

 平手の音に気づいた周囲が、弾かれたように振りかえる。


「このアマ! いきなり何しやがる!」


 剣呑に吊るしあげられて、エレーンはたちまち爪先立った。

 息苦しさに顔をゆがめて、だが、長髪の顔を負けじと睨む。


「わかっているの? あんた、自分が何をしたのか!」


 ──あァ? と長髪が顔をしかめて、うるさそうに舌打ちする。


「あんたは人を殺したのよ! ()()()()()()火を点けたの!」


 そう、そうなのだ。

 思考が、ようやく追いついた。信じがたい光景に。後戻りできない現実に。

 多くの命が、たった今、


 断たれた──。


「それが、どうした!」

「あんた、ちっともわかってない! 人が死ぬのがどういうことか!」


 喉元の拳を両手でつかんで、エレーンは長髪に食い下がる。


「どんなに泣いてわめいても、二度と戻ってこないんだからっ!」

「──なにを勘違いしていやがんだ」


 長髪が舌打ちで突き離した。

 投げ出された土道の地面で、喉を押さえてエレーンは咳きこむ。


「てめえが言ったんだろうが。"戦え"と」


 息をのみ、目をみはった。

 爆風荒れる街道の向かいを、長髪がぞんざいに顎でさす。


「戦うってのは、()()()()ことだ」

「──ち、違う──違うっ! あたし、そんなの頼んでない! 殺してなんて言ってない! あ、だって──」


 首を強く横に振り、へたり込んだまま長髪を仰ぐ。


「あの人達にだって家族がいたのよ? 家で待っている家族がいたの! なのに、それをあんなふうに──」

「知ったことかよ」

「人でなし! あんなの卑怯よ! いくら戦争だからって、あんな不意打ち卑怯じゃない! 人にはやっていいことと悪いことが──」

「きれい事ぬかしてんじゃねえよ、ねえちゃん」


 ぞっとするほど冷たい瞳で、あの長髪が見おろした。


「だったら俺らに、死ねってか? 卑怯? 人でなし? 結構だね。こっちは笑っちまうほどの戦力で、馬鹿みてえな劣勢ってのに、軍隊相手に楯突こうってんだぞ。中には、まるで使えねえ素人しかいねえってのによ」


「こ、殺さないで!」


 とっさに、その足に追いすがった。


「殺さないで! あの人達を殺さないで! あ、だって、殺さなくてもいいはずよ? 捕まえとけばいいじゃない。終わるまで、どっかに閉じこめておけば! ねっ! お願い! 殺さないで!」


 時に退屈なほどに安泰な、ぬるい霧が引き始める。

 盤石の土台を揺るがして、暗い焦燥が迫りあがる。


 ……()()()()()()()()


 あたし、全然わかってなかった。

 なりふり構わず殺し合う。

 他人を容赦なく叩きのめす。相手が死んで動かなくなるまで。これが、


 ──戦争。


 だったら、これは、今まさに死んでいく、あの凄惨な光景は──めらめら燃え立つ火焔の地面に、軍服が転がったまま動かないのは、大勢が一瞬で吹き飛んだのは、()()()()()が死んだのは──


 ひやり、と戦慄が背を撫でた。

 淡い安穏で保たれたぬるい領域を侵食し、恐ろしい現実が胸に迫る。だったら、これは、


 ──()()()()、せい?


 ()()()()、彼らに頼んだから?


(──どうしよう)


 ざわり、と頭の芯が(しび)れた。

 呼吸が浅く、息が苦しい。

 どす黒い闇が膨張し、意識の枠を凌駕する。手足の感覚が離れていく。どうしよう、あたし、


 ──()()()()()()()()()()()()()()


 燃え立つ炎を背景に、長髪が口をつぐんで眉をひそめた。

 苦々しげに舌打ちする。


「甘ったれたこと、ほざいてんじゃねえ。こっちの何十倍だと思っていやがる。向こうは()りにくるんだぞ」


 はっ、とエレーンは顔をあげた。


「なんでもするっ! ねっ、あたし、なんでもするから!」


 かすかな譲歩をそこに見出し、がむしゃらにその手にすがりつく。


「あたし、ここで応援するから! あんたのことを、みんなのことを、あたしがここで支えるから! だからもう──」

「いい加減にしろ」


 別の声が、訴えを阻んだ。

 腕を、強く引き戻される。


「これは戦だ。敵を殺らなきゃ、こっちが殺られる」


 見下ろしていたのは、あのケネル。エレーンはあわてて首を振る。


「で、でも違う。あたしが頼んだのは、あんなことじゃ──」

「戦になれば、人は死ぬ。考えるまでもない。当たり前の話だ。あんたも啖呵を切って戦端を開いたんなら、少しは心得ておくことだ」


 ケネルはにべもなく言い捨てて、「──おい!」と苦々しく沿道を見る。


「何をしている。さっさと屋敷に連れ戻せ」


 やり取りを見ていた二人の部下が、足を踏み出し、駆けてくる。エレーンはあわててケネルにすがった。


「で、でも違う! あたしが頼んだのはあんな──!」

「あんたは、もう引っこんでろ。それと、そこの茂みの執事!」


「──は、はいぃっ!」


 ケネルが特定した茂みから、弾かれたように人影が飛び出す。

 名残惜しげに茂みを振り向き、そろりそろりと寄ってきた。

 そわそわおどおど上目遣い、へらへら揉み手でケネルを見やる。


「……お、お呼びで?」


 (こび)笑いを浮かべているのは、あの世話係の老執事。

 ぎろりとケネルがその顔を見た。


「もっとしっかり見張っておけ。二度とこいつを部屋から出すな。引っ掻きまわされちゃ、こっちがかなわん」

「ケネル!」


 たまりかねて注意を引くが、ケネルは執事を見たまま目もくれない。

 つかまれた腕を振り(ほど)こうにも、力が強くて動けない。


「さ、奥方様。参りましょうか」


 両側から腕をとったのは、ケネルが指名した先の二人。

 あわてて抵抗、暴れるも、がっしりつかまれ、振りほどけない。


 足を踏ん張るも引きずられ、みるみる街道が遠ざかる。

 土道にたむろす傭兵たちが、苦笑いして動き出したのが見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ