2章1話8 旅芸人の座長
「そういや、レグルス族といえば」
昼さがりの天幕群を、ケネルがぶらぶら歩いていく。
「族長が先日倒れたとか。その代理で来たのは確か──」
「ローイ=クレバンス。レグルス族長カルバス=クレバンスの一人息子。当年とって二十五歳」
「──詳しいな、お前」
ケネルが面食らった顔で長髪を見た。
すぐに合点したようにうなずく。
「ああ、お前は興行組からの転身か。なら、ここの座長は知り合いか」
ちなみに彼ら二人とも、こっちにはまるっと無視の態度。
「そいつと引き合わせてくれないか。あいにく俺は面識がない」
足さえ止めずに長髪は応えた。「嫌だ」
「どうして」
「あれに捕まると、うぜえから」
「ファレスじゃ~ん?」
横から声が割りこんだ。
いやに張りのある男の声だが──怪訝にエレーンは振りかえる。
ひくりと頬が引きつった。
ひょろりと背の高い若い男が、夏日を浴びて立っていた。
長い茶髪を背中でくくり、口元が不敵に歪んでいる。何より、ど派手なその身なり──いや、もう、派手でくくれる次元ではない。
頭にターバン、どピンクの柄シャツ、かわいく折り曲げたズボンの裾からちらと覗く靴下は黄色と黒のシマシマか? そしてダメ押し、ポケットタイにはラブリーなお花──舞台衣装でバッチリ決めた遊民たちも真っ青だ。
ど派手男が手を広げ、ファレスの元へと駆け寄った。
「なんだよマジ久し振りだな!? 来るなら来るで知らせを寄こしゃいいのによ~!」
ただちに背けた長髪の肩をむんずとつかんで引き戻し、あくまで逃げる脳天を有無を言わせず平手でなでる。
「もー。どーしてたのよお前ってば。いきなり出てって音沙汰なしとはずいぶんツレない態度じゃねーの。心配してんの知ってるくせに、なんで便りの一つも寄越さねえ!このうすらとんかちのこんこんちきがっ! このこのこのっ! 薄情者ぉ~ん! で、元気でやってんの?」
「──まあな」
邪険に押しのける長髪をひょろ長い腕でかかえ直し、その背中をバンバン叩く。
揉みくちゃされた長髪は顔をゆがめて突っ張っているが、しっかとかかえて放さない。どうやら彼は一方的に旧交を温めているらしい。
その目を、ふと、こちらへ向けた。
ぽかん、とした顔で口をあけ、長髪を放し、近づいてくる。
エレーンは引きつり笑いで後ずさった。
「……な、なにか?」
頭のてっぺんから足の先まで値踏みするようにじろじろ見ている。ちなみに歓迎の儀式は終わった模様。
くるりと長髪を振り向いて、くい、と親指でこっちをさした。
「誰これ堅気の街の娘じゃん。お前の彼女?」
滑舌よく一気に喋る。大変気さくな御仁である。
げんなり長髪が顔をしかめた。
「北方領家の、奥方の顔くらい覚えておけよ」
「奥方?」
ど派手男が柳眉をひそめた。
ぶらり、と肩で振りかえり、ずいと顔を近づける。
至近距離で見つめられ、エレーンはたじろぎ、うろたえた。
夏日をさえぎり、ど派手な長身が覆いかぶさる。彼の明るい茶色の髪が、肩でしなやかに日ざしを弾く。端正な顔に表情はない。
そう、奇抜な風体が目を引くが、顔の造作は整っている。むしろ、美形中の美形といっていい。だが、茶色の瞳は心が読めない。
彼の明るい茶色の髪が、衣装の肩に落ちかかった。
きれいに梳いたしなやかな髪、大きな帽子のつばの陰、長いまつげがゆっくりまたたく。
「──へえ」
薄い唇の端が持ちあがった。
「これが例のメイドあがりね」
「──はあ!?」
むっ、とエレーンは顎をあげた。
無礼&馴れ馴れしい態度だ!
ひょい、とど派手男が上背をかがめ、顔を覗いて、にっこり破顔。
「かっわいいなあ、あんた」
……あ?
「かっ、かわ──?」
なんと。予期せぬ事態が発生。
「そーか。これが奥方様かあ~」
ぴたり、とエレーンは口を閉じた。気になる言葉があったから。
「おねーさん、お名前は?」
彼はたいそう愛想が良い。
「エレーンよん! よろしくねんっ!」
お、お、おねーさんって言った──!?
おい! 聞いたか、そこの二名!
この無粋な朴念仁どもに、爪の垢煎じて飲ませてやりたいっ!
うるうる手を組み、見つめていると、ど派手男が人なつこく笑った。
「そ。俺、ローイっての。こっちこそよろしくな、奥方さま」
「え、ええん──っ!」
ぽー……っとのぼせた赤面で、へらへら何度も彼にうなずく。
ど派手男、改めローイが、あっさり隣を振り向いた。
「で、そちらさんは?」
さばさば尋ねたその先には、呆気にとられた顔つきのケネル。
長髪が呆れ顔で見返した。
「本当に何も知らねえんだな、お前。そんなんでよくも務まるもんだ、族長の息子なんて大任が」
つくづくというように嘆息し、ケネルの顔を顎でさす。
「奴があのケネルだよ」
「ケネルさん?」
だから何、とローイは見ている。
長髪がげんなり額をつかんだ。
「──だから、ロムの頭だろうが」
「じゃあ何」
ぶらりと肩で、長髪を振り向く。
「総大将自らわざわざお出まし下さったっての? お前、冗談も休み休み──」
「こいつの顔くらい覚えておけよ。腐っても族長の息子だろうが」
ローイが不貞腐った顔をした。
「仕方がねえだろ。俺だってまさか思わねえもんよ。かくしゃくとしてたあの親父が、ぱったり倒れて寝付くなんてよ」
白いブラウスの腕を組み、一瞥の端でケネルを見やる。
一転、真顔が破顔した。
「あんたがロムの大将かい。よろしくなケネルっ!」
遊び仲間のような気安さだ。
「……あ、ああ。どうも」
日ごろは不愛想で仏頂面のケネルも、さすがにたじろぎ、押され気味。
だが、そこは隊長らしく、すぐさま態勢を立て直した。
「早速で悪いが、用件に入らせてくれ」
「かのロムの総大将が、俺らなんかになんの用よ」
「協力の要請にきた」
「……協力」
組んだ腕をゆるりと下ろして、ぽかん、とローイが己を指す。
「協力? 要請? この俺に?」
瞳を輝かせて、手を広げた。
「おお! ロムの大将が要請ってか! おうよ、わかった任せとけ! 何でも言ってくれよこの俺に!」
「……た、助かる」
ほんの若干、ケネルが珍しく後ずさる。
頃合いを見計らっていたらしい長髪が、そろりと出口へ肩を返した。「……じゃあな」
「帰るのか!」
はっし、とケネルがその腕をつかむ。
長髪がうるさそうに顔をしかめた。「──引き合わせたろうが、言われた通りに」
「──もう少し付き合えよ。こういうのは俺はちょっと──」
「行くとこあんだよ。俺はこの後」
言葉半ばでにべなく一蹴。早く退散したいらしい。
恨みがましくケネルが見やった。
「……また、女の所かよ」
「わかってんなら一々訊くな。じゃあな」
こそこそ引き留めるケネルの手をついに邪険に振り払い、けんもほろろに背を向けた。
ざわざわ行き交う舞台衣装に、すぐにその背がまぎれていく。
「で、協力ってなに。俺、どんなこと、すりゃいいの?」
む? と振り向いたケネルの前で、ローイがあっけらかんと口を開いた。
ケネルの話を聞き終えるや否や、ローイが勢い込んで胸を叩いた。
「よっしゃ! このローイ=クレバンス、確かに依頼を請け負った!」
「……どうも」
テンション低く、ケネルは逃げ腰。彼にしては珍しく、あいまいなたじろぎ笑い。
天幕群を取り仕切る座長、ローイ=クレバンスはからから笑う。
「そうとなれば、大船に乗った気でいてくれよ!──と、その前に」
くるり、とローイが振り向いた。
急に視線を向けられて、エレーンはぱちくり目を瞬く。
「──は?──なに? あたし?」
じぃっとローイが顔を見ている。
なんだろう、真面目な顔つき……?
「あんた、ちょっと、うちの連中に会ってかない?」
言うなり、腕を引っつかまれた。
ほらほら、あっちねー、と笑って引っぱる。
「な~に心配しなくていい。気のいい連中ばっかだよ」
「じゃ、俺もこれで」
やはり頃合いを見計らっていたらしいケネルが、そろりと出口へ踵を返した。
そそくさ逃げる上着の端を、エレーンはむんずと引っつかむ。
「……なんだ」
不承不承振り向いた、舌打ちの一つもしたかも知れない、実に嫌そうなケネルの顔を、じっとり半眼で睨めつけた。
「まさか、あたしだけ残して帰るとか、薄情なこと言うんじゃないでしょうね」
「そうだが?」
「置いてっちゃいやっ! 一緒にきてっ!」
「どーして俺が!」
叫んでケネルがつっこんだ。
「勝手についてきたんだろうが! 俺はあんたのお守りじゃないし、あんたを連れてきた覚えもない!」
じぃっ、とエレーンは凝視した。ケネルの上着をしっかとつかんで。
ケネルも腕組み&仏頂面。
どちらも一歩も引かない構えだ。
「……まあいーじゃん」
ローイがぽりぽり茶髪を掻いた。
「大将さ~。せっかくだから、あんたも来なよ」
「なんで俺まで!」
たちまち牙を剥いたケネルの怒声に、肩をすくめて両手を広げる。
「大体うちの連中だって、あんたの口から言った方が、ちゃんと話を聞くってもんだよ。それともロムの大将さんは、俺らなんか下っ端とは、おかしくって話もできないってわけ?」
む、とケネルが恐い顔で停止した。
それから五分と経たぬ間に、"お立ち台"に立っていた。
木箱を寄せ集めたお立ち台の眼下に、招集をかけられた遊民たち。
みな顔を見交わして、いぶかしげな顔つきだ。面倒そうで、迷惑そうな。
近くの仲間に促され、面倒そうに向かう者あり、天幕の覆布を片手で払い、あくび混じりに出てくる者あり。中には踊り子も入り混じる。薄い絹の透けた衣装で、若くしなやかな肢体を包み、絹のような長髪を、頭のてっぺんで結いあげている。目元はややきつめだが、顔立ちは一様に整っている。
わらわら出てくる大勢にたじろぐ。
……ん? とエレーンは肩を見た。なぜにローイの手が載っている?
「みんな、よく聞け!」
昼の凪いだ天幕群に、張りのある大声がとどろく。
ぐい、とローイに肩を押された。
「クレスト領家の奥方が、わざわざ挨拶に来てくれた! 紹介しよう! エレーンちゃんだ! みんな、仲良くするように!」
は? と瞬き、頬がひくつく。
(エレーンちゃんだァ?)
なんという気安い紹介。小馬鹿にされた感も否めない。
ここは断然、抗議の場面だっ!
拳固で顔を振りあげる。
「……へえ。領家の奥方が、わざわざ俺らなんかのとこに」
戸惑いを含んだ声だった。
不意に耳に飛び込んできたのは。
(……え?)とエレーンは彼らを見やる。
いぶかしげなざわめきが、水を打ったかのように静まりかえっている。
(な、なに、これ。 どうなってんの?)
なぜか凝視されていた。眼下に集った一同に。
真摯な注目を浴びている……?
眼下の人だかりが、どっと沸いた。
「いやあ! 商都の人間は垢ぬけてんなあ!」
「ここらの田舎もんとはえらい違いだ!」
ピーピー口笛飛び交って、やんややんやの熱烈歓迎。
エレーンはぱちくり瞬いた。彼らの顔をきょろきょろ見回す。
「ほーんと可愛いわあ! キャー奥方さまあっ!」
「……いっ、いやーん。そんなあ。かわいいだなんてー。もー、そんな本当のことん──!」
えへら、とただちに相好を崩し、くねくね身をくねらせる。
このところ事あるごとに「メイドあがり」と馬鹿にされ、色々苦汁をなめてきたから、こんな快挙は久方ぶり。
「あーいやいや。俺らは色んな街に行くから、そういう違いはよっく分かる!」
「そ。べっぴんさんな上に、気配りも抜群! 今度の領主はまったくいい嫁さんをもらったもんだな!」
「んーっ! こ~んな可愛い奥方さまは、あたしもほんと初めて見るわあ!」
ピーピー口笛、やんやと囃す。
「も、もうっ! よく分かっているじゃないのお~! あんた達ったら見る目があるわね! もおーこの~ぉ!」
なんということ。一躍みんなの人気者。
一人が気づいた顔で顎をしゃくった。
「で、そっちの無愛想なにーちゃんはなに」
"にーちゃん"? とエレーンは停止した。そっちの方にいるのは確か……?
ローイが笑顔で振り向いた。
「あー、この人はロムの総大将だよ。俺らに頼みがあるんだそうだ」
ぴたり、と眼下が口をつぐんだ。
みな顔を見交わしている。
「……総大将って、まさか、あの」
ざわめきが暗く立ち込める。
「そういや見たぜ。草原でロムのでっかい馬を」
皆の顔から笑みが消えた。
どの頬も見るからに強ばっている。
エレーンは戸惑い、見まわした。
一体どうしたというのだろう。ケネルを紹介した途端、和やかな空気が張りつめた。
ざわめく一同の表情は、動揺と不審。いや、警戒が強いだろうか。
「……ど、どしたの? いきなり」
おろおろ仰いだその矢先、ケネルが肩を押しのけた。
「頼みというのは、他でもない」
ローイのそれとはまた違う、凛とした声が響きわたる。
眼下の一同を見渡して、ケネルがおもむろに切り出した。
「あんたら興行組の手を借りたい。先日の敵襲は周知と思うが、あいにく人員が出払っている。本件は、統領代理の意向でもあるので、ぜひとも協力願いたい」
「というわけだ」
ぱんぱん、ローイが手を叩き、そつない笑顔で一同を見た。
「俺らは以降、この大将の指揮下に入る。御大自らこうして出向いてくれたんだ。ここはひとつ、こころよく協力しようじゃないか! な、みんな、よろしく頼むな!」
天幕群の出口へ歩きつつ、エレーンはるんるん首を振る。
「ローイってほんと、いい人よね~! みんなもとっても明るくて! 遊民の人があんなに気さくで親切だなんて、あたし、ちーっとも知らなかったわあ!」
「──あいつらは口が上手いんだ。チヤホヤされたくらいで、いい気になるな」
横を行くケネルはしかめっ面。
彼はたいそう不機嫌だ。あの後ローイに捕まって、散々話を聞かされたから。実のない話を延々と。
だが、頼みごとをした手前、ケネルも無下にはできなかった模様。
荒んだケネルを盗み見て、エレーンはやれやれと肩をすくめる。
「なによケネルってば、すねちゃって。自分のウケが良くなかったもんだからー」
ぎろり、とケネルが振り向いた。
「お前みたいに浮わっついたのが一番危ないんだ! 今がどんな時だか分かっているのか! へらへらしてて、おっ死んだって知らないぞ!」
「──あっ、でもでも? それに引きかえ、なんでかな~」
話の流れは全面無視で、エレーンは上目使いで首をかしげる。
「ケネルたちって、なんか遊民っぽくなくない? みんなみたいに派手じゃないし、陽気じゃないし、むしろ暗いし」
「あんな極楽とんぼと一緒にするなっ!」
ついにケネルが怒鳴りつけた。
地面を踏んづけ、ずんずん歩く。
エレーンは鼻歌でその背に続いた。
今日は良い一日だった。みんな笑顔で迎えてくれたし、たっぷり褒めてもらえたし、いつも怖い仏頂面の、あわてた顔も見られたし。ケネルとたくさん喋れたし。
小首をかしげて、くふふ、と笑う。
(これで、なんとかなった、かな……)
後半、雲行きが怪しくなったが、ローイの機転で協力は得られた。
頼みの綱の傭兵たちも、ケネルが率いてくれるはず。
──けれど、
胸のざわめきに唇を噛み、エレーンは薄青い空を仰ぐ。
そして、非協力的な貴族たち、動揺しきりの住民たちと、不安な要素をかかえながらも、侵攻軍との開戦の時は刻一刻と迫っていた。