2章1話6 市民たち
「あんたがまいた種だろう!」
「そうだ! 回避できたろう! 使者を追い返したりしなければ!」
「ディールに楯なんか突かなけりゃ、巻き込まれなくて済んだのによ! まったく、なんて余計な真似を!」
人々の剣幕にたじろいで、エレーンはあわあわ後ずさった。
ノースカレリアの住民の支持と協力を取りつけるため、状況を説明したのだが、人々の反応も芳しくなかった。
そして、彼らが一斉反発したポイントは、貴族たちのそれと同じだった。
── 街の防衛に遊民を配し、彼らに武器を携行させる。
「要するに、あんたのせいだろう!」
「そうだ! そうだ! どうしてくれるんだ!」
住民に吊し上げられて、エレーンはぎこちなく笑みを作った。
「あ、ぃや──でも、ですね? ここでディールに屈したら、みーんな戦地にやられちゃうし。それって、やっぱ、まずくない? そしたら街が乗っとられて、みんな、ディールのいいように──」
「遊民に武器なんぞ渡したら、どうなるか、あんた、わかってんのか! たちまち街が占拠されるぞ!」
住民の一人が激昂し、口角泡を飛ばして言い募る。
「そうしたら、あんた、どうやって責任をとる気だい!」
「……せ、責任?」
「一体てめえは何様のつもりだ!」
精一杯の引きつり笑顔で、エレーンはぎこちなく小首をかしげる。「え? え? ナ、ナニサマって言われても、その──」
まさに非難の矢面だった。
そして、その憤懣を直にぶつける住民たちは、文句は言っても体裁を気にする、貴族たちより凄まじい。
「たく! 話にも何もなりゃしねえよ!」
一人が舌打ちして椅子を蹴った。
「これだから女は駄目だってんだ! 遊民なんぞにたぶらかされやがって。おう! 領主を出せ! 領主をよ!」
腕ぐみで椅子にふんぞり返った、別の男もねめつける。
「そうだ、今度の領主はどうした! さっさと、ここへ連れてこい!」
「──あ、いや。それはそのぉ~……」
エレーンはしどもど、斜め上へと目をそらした。
実は、その当人は、今話題のディールの捕虜に早々と収まっているのだが、とても言える状況ではない。しかも、用もないのにうろついて、トラビアでとっ捕まった、とは。
エレーンは一同の激昂を前に、冷や汗たらたら、上目使い。「あ、あのぉ~……主人は今、ちょっと出かけておりまして──」
「あァ? 出かけてるぅ?」
声をひくつかせた復唱が飛び、激しく椅子を蹴る音がした。
「こんな時に、なに遊んでんだボンクラがぁ!」
一同がツカツカやってきて、エレーンはあたふた後ずさった。後ろの壁に張りついて、キョロキョロすばやく逃げ場を探す。
ぐい、と首根っこつかまれた。
「いねえってのは、どういうことだ! こんな肝心な時によォ!」
「まったくだぜ! お陰でメイドあがりがしゃしゃり出て、好き勝手しくさって!」
憤然と詰め寄られ、エレーンは涙目で引きつり笑う。「あ、あのっ、皆さん? 落ち着いて? あのっ! その、だからですね、あの──!」
「トラビアから北への移動に、一体何日かかると思う」
声が、喧騒に割りこんだ。
非難とは異なる落ち着いた声音に、一同、怪訝そうに振りかえる。
そよ風吹きこむ開け放った窓辺で、ケネルが腕を組んで眺めていた。
ジロジロ眺める人々の顔を、ケネルはおもむろに端から見渡す。
「本隊のある商都から、大陸北端へ移動するのに、一体何日かかると思う。馬を駆って五日の距離、進軍するなら更にかかる。だが、今回、交渉決裂から支隊到着まで、わずか三日の短時間だ。意味するところが、あんたらに分かるか」
人々が戸惑ったように目配せした。
ケネルは続ける。
「つまり、ディールは、端からこの街を叩く気だ。あんたらの返答にかかわらず」
「──たく。いい加減なことを言ってんじゃねえよ。」
腕を組んで見ていた一人が、苦々しげに声をあげた。
「ディールがわざわざ北方へ来たのは、少しでも味方が欲しいからだろ。なのに、俺たちを叩くはずが──」
「合意が成れば、統率が楽だ。無理に引っ立てるより、はるかにな」
人々が鼻白み、ざわめいた。
ケネルの答えは思いがけないものだったのだろう。皆、戸惑ったように眉をひそめ、困惑した顔を見合わせている。
構うことなく、ケネルは続ける。
「カレリアには兵力が少ない。だが、その点、あんたらなら好都合だ。元々数に見込んでいないし、商都陥落にこぎつければ、ここは潰す肚だろうしな」
「──な、なんで俺たちが、潰されなけりゃならないんだ!」
初老の店主が、動揺に声をわななかせた。「俺たちは、無関係だぞ! 誰にも、何もしていない! ディールを怒らせることなんか何一つ」
「そうとも! そんな馬鹿な話があるもんか! 俺たちのどこに、潰される理由があるってんだ! そもそも、これはラトキエとディールの戦じゃないか! それがどうして──」
「ディールの首都は、トラビアだ」
ケネルがそっけなく口をはさんだ。
「ディールが国を治めるなら、ここは距離があり過ぎる。監視の目の届かない地方の都市を放置するのは、反乱の芽を育てるようなもの、つまり、危ないからな」
「そっ、そんな──そんな勝手な! 反乱なんて、俺たちは、そんな──!」
「商都を落ち延びた残党は、一体どこへ向かうと思う。国境はディールが押さえているから、隣国へは脱出できない。このカレリア国内で、余所者が混じっても目立たない規模の大きい都市は三つだ。敵地トラビア、商都カレリア、そして、ここノースレリア。敵陣トラビアは言うに及ばず、接収される商都も除外。となれば、ここノースレリアを残すのみ。つまり、ディールにしてみれば、残党が結集するだろうノースレリアはアキレス腱だ。そんな物騒な代物を、みすみす放置すると思うか」
一同、愕然と息を呑み、シンと広間が静まりかえった。
皆、蒼白な顔でわなないている。
「品行方正なあんたらには、ケチをつけられる謂れはないんだろうが、ここは既にディールの経略に組みこまれている。つまり、これはあんたらにとっても、対岸の火事じゃないってことだ。ディールに見つかったのが運のつき、そう思って諦めることだな」
人々は言葉もなく、呆然として立ち尽くしている。
ケネルに動じた様子はなかった。事もなげに言葉を紡ぎ、淡々と現実を知らしめている。
表情一つ変えるでもなく。腕さえ、ゆるりと組んだままで。
「仮にディールに味方するにせよ、あんたらの行く末は知れている。商都を攻める捨て駒だ。ディールが欲しいのは商都であって、この街でも、あんたらでもない」
「だ、だが、それはまだ分からないんじゃ──」
「ディールの奴隷になりたいのか!」
ケネルの一喝が響き渡った。
人々はすくみ、目をみはる。青ざめた彼らに、ケネルは続ける。
「あんたらは、むしろ感謝すべきだ。このクレストの奥方に。ディールの要請を突っぱねなければ、あんたら今頃どうなっていたと思う。いい加減に現実を見ろ。今となっては否も応もない。逃げ道なんざ、とうにない。まともな暮らしを続けたいなら、死守して、敵を退けるしかない。あんたらのその手で。全てを賭けて」
静まり返った客間の床を、薄日が白々と照らしていた。
人々は顔をこわばらせて立ちつくし、口を開く者はない。
逃れる道は、既になかった。
ディール襲来の現実は、夢でもなければ幻でもない。
ディールは現に攻めてきたのだ。
「泣こうがわめこうが、この現実に変わりはない」
静かになった人々に、ケネルは淡々と目を向けた。
「腹をくくって覚悟を決めろ。採るべき道は二つに一つだ」
大ラトキエに楯突いて死ぬか、自分の街を守って死ぬか。