2章1話5 貴族たち
その日の午後のクレスト領邸。
椅子を並べた大広間の、壁一面の連窓から、うららかな日差しが射している。
皆、冷淡な態度だった。
ある者は革張りの椅子にもたれ、ある者は肘かけに頬杖をつき──。仮面でも被っているかのように、眉のひとつも動かさない。
黒の正装で座っているのは、屋敷の由緒ある肖像画から抜け出してきたような人々だ。
いずれもフロック・コートに白手袋、椅子の肘かけにはステッキを置き、筒型のトップハットを携えている。
糊のきいた純白のシャツ。首元を締めるブラック・タイ。きっちり油でなでつけた頭髪。
十余名の紳士たちが、広間の椅子に腰をかけ、眉をひそめてながめている。
「ノースカレリア貴族院」の構成員、施政権限をもっている、この地方の名士たちだ。
「──要点は以上だ」
一同の前に立ったケネルが、端から視線をめぐらせた。
「敵の街への侵攻は、近郊で食い止めるつもりだが、いかんせん数が多い。突破された場合に備えて芸妓団を巡回させるが、それには武器が必要だ。了解しておいてもらいたい」
「わかった。携行を認めるわ!」
エレーンはすかさず頷いた。
貴族は相変わらず無反応だが、反対を表明しないなら、同意とみなして切りあげる。
「じゃあ、手配を今すぐに──」
「お待ちください、奥方様」
声が、おもむろにさえぎった。
廊下側の壁際からだ。
口ひげをたくわえた初老の紳士が、こほん、とひとつ咳払いをする。
「それはいかがなものですかな。私はいささか早計ではないかと」
「私も同意いたしかねます」
隣の紳士も、たしなめるように顔をしかめる。「ご再考を。奥方様」
「なにせ、あの遊民ですからな」
「ええ。武装させるなど、以ての外です」
置物の人形か何かのように口をつぐんでいた一同が、息を吹き返したようにざわめき出す。
エレーンは眉をしかめて嘆息した。
(んもう! 又なの? いい加減にしてよ)
何度、これと同じことを、くり返してきたことか。
エレーンが口をひらいた途端、紳士たちはざわめきだす。そして、ケネルが話をすると、ピタリと一斉に口を閉ざす。
下賤の者とは口をきくに及ばず、と言わんばかりの態度だった。
その不愉快そうな面持ち曰く、
「こんな怪しげな下賎の者が、なぜ、さしでがましく指示などするのか」
「こんな薄汚れた傭兵風情が、なぜ、講釈なんぞを垂れているのか」
「使用人あがりの小娘に、なぜ、呼びつけられねばならんのか」
由緒正しきこの私が。
彼らの不興の一因は、ケネルの身なりにもあるだろう。
正装で訪れた彼らに対し、粗野な普段着は礼を失する。そもそもケネルは、彼らにとって、見たこともない下層に属する別世界の生き物なのだ。
だが、理由は、そればかりでもあるまい。
皆に一目置かれる彼らに対し、ケネルは敬意を払わない。
愛想笑いさえ浮かべない。事件の経緯と現状を伝え、苦戦になるだろう予測を話し、対処法を指示するのみだ。
まして、意見など求めはしない。
相手がこの地方を牛耳り、大抵のことを決裁してきた有力者であろうとも。
大窓の外の青い空に、雲がぽっかり浮いていた。
屋敷の縁の植え込みが、青い梢をゆらしている。
エレーンはじりじり爪を噛んだ。もう猶予はないというのに。
あれから状況が一変していた。
二百と見こんでいた敵兵は、報せによれば一千超。
対する味方はわずかに三十。実に三十倍超の勢力だ。
ここまで戦力に開きがあれば、数で押されて一巻の終わり。
占拠されるのは時間の問題──。
瀟洒なグラスを卓から取りあげ、紳士の一人が喉を潤す。「奴らに武器など持たせては、何を始めるか知れたものではありませんぞ」
「まったくですな」
「街と心中したけりゃ勝手にしろ」
歓談を始めた声をさえぎり、ケネルが壁から背を起こした。
「だったら、俺たちは、この件から降りる。連中にしても命は惜しい。万全の装備の軍兵と素手でやり合え、と言われれば、さすがに協力を渋るだろう」
辟易としたように言い捨てて、広間の出口へ歩いていく。
エレーンはあわてて駆け寄った。「ま、待って、ケネル! ちょっと待って!」
ケネルが足を止め、溜息まじりに振り向いた。
エレーンはおろおろ顔をうかがう。
「あ、あの、ダドリーが前に言ってたの。いつか、あなた達に戻ってきてもらおうって」
「──奥方様」
窓辺の席の紳士の一人が、嘆かわしげに首を振る。「今は、そのような夢物語を語っている場合では」
「夢なんかじゃないわよ!」
エレーンはまなじり吊り上げた。
「みんなで街を創っていくのよ! 一緒に街を創っていくの! ダドリーだって、そう言って──」
「しかし、奥方様。それとこれとは話が──」
「同じよ! たく、わかんない人達ねっ! だから、彼らも、街の一員だって言ってるのっ! ケネル、武器の携行を認めるわ!」
「しかし、相手が相手ですからな。遊民は信用なりません」
「そうですとも。それは無謀というものですぞ。この機に乗じて占拠されたら、いかがなさるおつもりか。そんな失態、目も当てられません」
「──んもう! だからっ!」
エレーンは苛立ち、拳を握った。
「いつまで寝ぼけたこと言ってんの! だいたい心が狭いわよ。愚にもつかない見栄はって! こんな事でモタモタしてて、ディールに負けたら、どうしてくれんのっ!」
ケネルは、油彩画が架かった壁にもたれて、呆れた顔で眺めている。さすがに嫌気がさしたらしい。
エレーンは紳士たちと張り合いながら、もどかしい思いで唇を噛んだ。
ああ、まったく埒があかない。
こんな小競り合いをしている間にも、敵は着実に近づいているのに。
正装で着飾ったこの人たちは、事態をまったく分かっていない。
ケネルに助けてもらえなければ、むざむざ降伏するしかないのに。
なんの備えもない街は、自力で軍隊など排除できない。
降参すれば、所領は没収、貴族の生活も立ちゆかなくなる。こうも自明で簡単な理屈が、どうして理解できないのか。
この風雅な貴族どもには!
「早く結論を出してくれ」
ケネルが壁で嘆息した。
「俺はどちらでも構わない。助力は不要と言うのなら、俺たちは一切手を出さない」
「──信用するわ!」
エレーンは勢いこんでケネルを見た。「だから、お願い! 手を貸して!」
「奥方様!」
たちまち諌める声が飛ぶ。
エレーンは癇癪を起して振り向いた。
「だったら、なにか妙案があるわけ? あんたなら、どうにかできるわけ!」
諌めた相手に、指をさす。
「だったら、あんたがどうにかしてよ! 現にディールは、軍を差し向けてきてるのよ!」
名指しされた紳士がひるんだ。
そわついた様子で目をそらす。
「──急に、そのようなことを言われましても」
え? とエレーンは面食らった。あんなに頑固だったのに。
はたと理由に気がついた。
椅子に腰かけて居ならんだ紳士に、次々指をつきつける。
「だったら、そっちのあんたはどうよ! だったら、あんたは! そこのあんたは!──ほらあ! どうしたのよ。素晴らしい案があるんでしょ? だったら、それを聞かせてよ!」
一同、鼻白んだように目をそらした。
やはり、とエレーンは確信する。集団ならば、威勢がいいが、個別に攻撃を受けると、弱い。常に何かに守られている貴族は、矢面に立つことに慣れていない。
紳士たちが眉をひそめて、不承不承口をつぐんでいた。
彼らの勢いを明らかに削いだ。だが、彼らにも矜持がある。自身の地位に立脚する矜持と意地は壁となり、たちまち往く手に立ちはだかる。
ならば、戸惑っている内に。貴族が息を吹き返す前に。
やるなら、今だ。
──今しかない!
壁で見ているケネルへと、エレーンは畳みかけるように振り向いた。
「信用するわ! あなた達を信用する。だからお願い! 力を貸して!」
口をつぐんだ紳士らを見渡し、ケネルが溜息まじりに背を起こした。
「話はついたか」
「お願いするわ! あたし達を助けて!」
「なら、あんたの領民にも、指示に従うよう言ってくれ」
言い捨て、ケネルは歩き出す。
出口へ向かうケネルの背を、エレーンもあわてて追いかけた。
「わ、わかった! すぐに集まってもらうわ!」
壁で控えた執事を呼びつけ、領民たちの代表を、早急に集めるよう指示を出す。
領民を説得することに、気持ちはすでに向いていて、だから、それに気づかなかった。
不愉快そうな面持ちで、彼らが鼻を鳴らしたことに。
会釈一つなくとり残されて、貴族らが目配せしたことに。