表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/51

2章1話5 貴族たち

 その日の午後のクレスト領邸。

 椅子を並べた大広間の、壁一面の連窓から、うららかな日差しが射している。


 皆、冷淡な態度だった。

 ある者は革張りの椅子にもたれ、ある者は肘かけに頬杖をつき──。仮面でも被っているかのように、眉のひとつも動かさない。


 黒の正装で座っているのは、屋敷の由緒ある肖像画から抜け出してきたような人々だ。

 いずれもフロック・コートに白手袋、椅子の肘かけにはステッキを置き、筒型のトップハットを携えている。

 (のり)のきいた純白のシャツ。首元を締めるブラック・タイ。きっちり油でなでつけた頭髪。

 十余名の紳士たちが、広間の椅子に腰をかけ、眉をひそめてながめている。

「ノースカレリア貴族院」の構成員、施政権限をもっている、この地方の名士たちだ。


「──要点は以上だ」


 一同の前に立ったケネルが、端から視線をめぐらせた。


「敵の街への侵攻は、近郊で食い止めるつもりだが、いかんせん数が多い。突破された場合に備えて芸妓団を巡回させるが、それには武器が必要だ。了解しておいてもらいたい」


「わかった。携行を認めるわ!」


 エレーンはすかさずうなずいた。

 貴族は相変わらず無反応だが、反対を表明しないなら、同意とみなして切りあげる。


「じゃあ、手配を今すぐに──」


「お待ちください、奥方様」


 声が、おもむろにさえぎった。

 廊下側の壁際からだ。

 口ひげをたくわえた初老の紳士が、こほん、とひとつ咳払いをする。


「それはいかがなものですかな。私はいささか早計ではないかと」


「私も同意いたしかねます」


 隣の紳士も、たしなめるように顔をしかめる。「ご再考を。奥方様」


「なにせ、あの(・・)遊民ですからな」


「ええ。武装させるなど、もっての外です」


 置物の人形か何かのように口をつぐんでいた一同が、息を吹き返したようにざわめき出す。

 エレーンは眉をしかめて嘆息した。


(んもう! 又なの? いい加減にしてよ)


 何度、これと同じことを、くり返してきたことか。

 エレーンが口をひらいた途端、紳士たちはざわめきだす。そして、ケネルが話をすると、ピタリと一斉に口を閉ざす。

 下賤の者とは口をきくに及ばず、と言わんばかりの態度だった。

 その不愉快そうな面持ちいわく、


「こんな怪しげな下賎の者が、なぜ、さしでがましく指示などするのか」


「こんな薄汚れた傭兵風情が、なぜ、講釈なんぞを垂れているのか」


「使用人あがりの小娘に、なぜ、呼びつけられねばならんのか」


 由緒正しきこの私(・・・)が。


 彼らの不興の一因は、ケネルの身なりにもあるだろう。

 正装で訪れた彼らに対し、粗野な普段着は礼を失する。そもそもケネルは、彼らにとって、見たこともない下層に属する別世界の生き物なのだ。

 だが、理由は、そればかりでもあるまい。


 皆に一目置かれる彼らに対し、ケネルは敬意を払わない。

 愛想笑いさえ浮かべない。事件の経緯と現状を伝え、苦戦になるだろう予測を話し、対処法を指示するのみだ。

 まして、意見など求めはしない。

 相手がこの地方を牛耳り、大抵のことを決裁してきた有力者であろうとも。


 大窓の外の青い空に、雲がぽっかり浮いていた。

 屋敷の縁の植え込みが、青い梢をゆらしている。

 エレーンはじりじり爪を噛んだ。もう猶予はないというのに。


 あれから状況が一変していた。

 二百と見こんでいた敵兵は、報せによれば一千超。

 対する味方はわずかに三十。実に三十倍超の勢力だ。


 ここまで戦力に開きがあれば、数で押されて一巻の終わり。

 占拠されるのは時間の問題──。


 瀟洒なグラスを卓から取りあげ、紳士の一人が喉を潤す。「奴らに武器など持たせては、何を始めるか知れたものではありませんぞ」


「まったくですな」


「街と心中したけりゃ勝手にしろ」


 歓談を始めた声をさえぎり、ケネルが壁から背を起こした。


「だったら、俺たちは、この件から降りる。連中にしても命は惜しい。万全の装備の軍兵と素手でやり合え、と言われれば、さすがに協力を渋るだろう」


 辟易としたように言い捨てて、広間の出口へ歩いていく。

 エレーンはあわてて駆け寄った。「ま、待って、ケネル! ちょっと待って!」


 ケネルが足を止め、溜息まじりに振り向いた。

 エレーンはおろおろ顔をうかがう。


「あ、あの、ダドリーが前に言ってたの。いつか、あなた達に戻ってきてもらおうって」


「──奥方様」


 窓辺の席の紳士の一人が、嘆かわしげに首を振る。「今は、そのような夢物語を語っている場合では」


「夢なんかじゃないわよ!」


 エレーンはまなじり吊り上げた。


「みんなで街を創っていくのよ! 一緒に街を創っていくの! ダドリーだって、そう言って──」


「しかし、奥方様。それとこれとは話が──」


「同じよ! たく、わかんない人達ねっ! だから、彼らも、街の一員だって言ってるのっ! ケネル、武器の携行を認めるわ!」


「しかし、相手が相手ですからな。遊民は信用なりません」


「そうですとも。それは無謀というものですぞ。この機に乗じて占拠されたら、いかがなさるおつもりか。そんな失態、目も当てられません」


「──んもう! だからっ!」


 エレーンは苛立ち、拳を握った。


「いつまで寝ぼけたこと言ってんの! だいたい心が狭いわよ。愚にもつかない見栄はって! こんな事でモタモタしてて、ディールに負けたら、どうしてくれんのっ!」


 ケネルは、油彩画が架かった壁にもたれて、呆れた顔で眺めている。さすがに嫌気がさしたらしい。


 エレーンは紳士たちと張り合いながら、もどかしい思いで唇を噛んだ。

 ああ、まったく埒があかない。

 こんな小競り合いをしている間にも、敵は着実に近づいているのに。


 正装で着飾ったこの人たちは、事態をまったく分かっていない。

 ケネルに助けてもらえなければ、むざむざ降伏するしかないのに。


 なんの備えもない街は、自力で軍隊など排除できない。

 降参すれば、所領は没収、貴族の生活も立ちゆかなくなる。こうも自明で簡単な理屈が、どうして理解できないのか。

 この風雅な貴族(ばか)どもには!


「早く結論を出してくれ」


 ケネルが壁で嘆息した。


「俺はどちらでも構わない。助力は不要と言うのなら、俺たちは一切手を出さない」


「──信用するわ!」


 エレーンは勢いこんでケネルを見た。「だから、お願い! 手を貸して!」


「奥方様!」


 たちまち諌める声が飛ぶ。

 エレーンは癇癪を起して振り向いた。


「だったら、なにか妙案があるわけ? あんたなら、どうにかできるわけ!」


 諌めた相手に、指をさす。


「だったら、あんたが(・・・・)どうにかしてよ! 現にディールは、軍を差し向けてきてるのよ!」


 名指しされた紳士がひるんだ。

 そわついた様子で目をそらす。


「──急に、そのようなことを言われましても」


 え? とエレーンは面食らった。あんなに頑固だったのに。

 はたと理由に気がついた。

 椅子に腰かけて居ならんだ紳士に、次々指をつきつける。


「だったら、そっちのあんたはどうよ! だったら、あんたは! そこのあんたは!──ほらあ! どうしたのよ。素晴らしい案があるんでしょ? だったら、それを聞かせてよ!」


 一同、鼻白んだように目をそらした。

 やはり、とエレーンは確信する。集団ならば、威勢がいいが、個別に攻撃を受けると、弱い。常に何かに守られている貴族は、矢面に立つことに慣れていない。


 紳士たちが眉をひそめて、不承不承口をつぐんでいた。

 彼らの勢いを明らかに削いだ。だが、彼らにも矜持がある。自身の地位に立脚する矜持と意地は壁となり、たちまち往く手に立ちはだかる。

 ならば、戸惑っている内に。貴族が息を吹き返す前に。

 やるなら、今だ。


 ──今しかない!


 壁で見ているケネルへと、エレーンは畳みかけるように振り向いた。


「信用するわ! あなた達を信用する。だからお願い! 力を貸して!」


 口をつぐんだ紳士らを見渡し、ケネルが溜息まじりに背を起こした。


「話はついたか」


「お願いするわ! あたし達を助けて!」


「なら、あんたの領民にも、指示に従うよう言ってくれ」


 言い捨て、ケネルは歩き出す。

 出口へ向かうケネルの背を、エレーンもあわてて追いかけた。


「わ、わかった! すぐに集まってもらうわ!」


 壁で控えた執事を呼びつけ、領民たちの代表を、早急に集めるよう指示を出す。

 領民を説得することに、気持ちはすでに向いていて、だから、それに気づかなかった。


 不愉快そうな面持ちで、彼らが鼻を鳴らしたことに。

 会釈一つなくとり残されて、貴族らが目配せしたことに。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ