第六十五話
嘘は至る所にある。それを暴く事が幸せなのだろうか?それともそれらに耐え抜くことが不幸なのだろうか?
「昨日はすまなかった…。」
「え?」
いきなり部長が僕に頭を下げてきてた。昨日の事は一体何だったのだろうか?たまたま本社に来ていた部長に聞こうとした矢先、唐突に頭を下げられたからびっくりした。
「お前とK美の事は知ってるよ…。二人には会社としても是非上手く行って欲しいと思っている。けれどな…。あいつは色々抱えてるだろ?だから相談に乗ってやってるんだ。」
「色々抱えてる…とは?」
「なんだ~知らないのか?あいつはこの間親父さんが死んだんだよ。」
K美さんのお父さんが…。知らなかった。どうしてそんな大切なこと教えてくれなかったんだろう。
「あいつは今、色々な事が身の周りに起きて、本当に心が不安定なんだ。だからこそ、お前が男らしくあいつを支えてやって欲しい。俺からも、宜しく頼む…。」
また、部長が僕に頭を下げ、神妙な面持ちでいる。でも、僕には一つだけ気になる事があった。でもそれをハッキリ聞く勇気は無い。手は震えていたが、聞かずにはいられなかった。
「部長…。K美さんは、部長にとって、どういう存在…なんですか?」
「そうだな…。あいつは可愛い部下、いつだってあいつの幸せを願っている、それだけだ…。」
僕はその言葉を聞いても、彼女の見せてくれた手首の傷が、頭から離れる事はなかった。
昼休みになり、僕は課長と近くの蕎麦屋へ二人で昼を食べにいく事になった。課長から結局昨日は連絡が無かったままだからだ。
「ざるそば二つね~。今日は俺の奢りだ。」
「ありがとう…ございます…。」
「昨日は連絡出来なくて悪かったな。」
「いえ…。」
「あの後な、K美は会社を辞めると言い出したんだ。」
「ええ?!」
「もちろん二人で引き留めたさ。けれどな、ああなってしまうと、あいつは頑固で一歩も譲らない。説得するまでに明け方まで掛かったんだよ。だから今日は休んでもらってるんだけど。」
「…。」
しばらくの沈黙の後、景気良くざるそばが二つ届いた。僕はどうも口にできる気分じゃ無かったけど、でも課長の奢りだから、仕方なく口にした。
「しかし、ここの蕎麦はよくひっつくな~。」
「…。」
僕は黙々と蕎麦を口に運んで、喉越しを潤した。そんな様子に見兼ねたのか、課長はポツリと呟いた。
「あのな…。こんな事、俺の口から言う事じゃ無いが、お前は本当にあいつと結婚したいと思ってるのか?」
「ええ、もちろんです。どうしてですか?」
「そりゃ、相手と約束したのは分かるさ。だからと言って結婚はいくらなんでも早くないか?」
「だって!僕はK美さんに一生守ると約束したんです!裏切るわけにはいきません!」
「そうだけど…。」
「K美さん、僕には教えてくれませんでしたが、お父さんが亡くなったみたいですね。」
「知ってるよ。」
「そのうえ不倫だなんて、あまりにも不幸で可哀想じゃないっすよ。」
しかし、課長は少し睨みを効かせて言葉を放った。
「そんな風に…お前はK美を見ていたのか?」
「え?」
「自分より不幸で可哀想だから、自分がなんとかしてあげたい…と?」
「もちろんK美さんを、心から愛しているからです…。」
「それじゃ、お前にとって愛してるとは何なんだ?」
「え…。それは…。」
「いいか…。お前が正しいと思ってる答えが、決して世の中で正しいってわけじゃないんだ。」
僕は急に蕎麦を食べる手が止まった。
「あいつの気持を気遣う気持は分かる。けどな、あいつにはあいつの正しさがあって、それはそれで一つの正しさなんだよ。」
「…。」
「お前は若い。自分の考えに疑う事などないかもしれないから、なかなかそれを理解する事は大変かもしれないがな。」
「課長は…。一体部長に何を…迷惑掛けたのですか?」
その時、課長は普段の笑顔に戻った。
「やらかしちゃったのさ。いつもの事だ。がはははは~!まぁこのままじゃお前も腑に落ちないだろ?どうだろう?K美と今から話してみるか?」
「今からですか??」
「ああ!鉄は熱いうちに打てって言ううだろう?あいつだって色々あるけど、お前の優しさに救われているのは確かだ。ただ、ルールは細かいから大変かもしれないがな。今、あいつは訳あって俺のアパートにいる。」
「課長の…アパートですか…。」
「心配するな。うちの婚約者も一緒だ。これが、電話番号だ。今すぐ掛けてこいよ。」
「はい!!」
僕は蕎麦を食べ残したまま、勢いのままジャケットを羽織って、公衆電話を探しに外へ出かけた。その時、右胸に昨日アケミさんから拝借しちゃった果物ナイフが当たった。なんでこんな物を持ってきちゃったんだろう…。まいっか…。
以外に公衆電話を探すのは難しく、みんな電話していないでポチポチボタンを押している人が多く、行列ができている。どうやらポケベルらしい。ようやく見つけたのは、街角にある小さなタバコ屋にあったピンク電話だった。
「もしもし?」
「あ、自分は課長の会社の後輩で…。」
「あら、いつもお世話になってます。」
「あの~K美さん、いらっしゃっいますか?」
「あ、はいはい。ちょっと待っててね。」
電話の奥の方で人が変わる音が聞こえた。
「K美さん?」
「何か?」
またあの鋭利な刃物の様な言葉で、僕の勇気という名の心臓を抉った。
続く




