第六十三話
《無慈悲なき巨塔》
突如として、『僕』と『俺』にある左手首の傷が光り出した。その光の輝きと共に、今迄自分達に能動免疫と化していた、黒いタール液のような本能エネルギーが離れ始めた。
「どう…いう…事だ!?」
微かに見える視界の中で、『僕』に起因を訪ねた。『僕』背筋を真っ直ぐに伸して、どうやら牙で砕かれた左腕を取り戻していた。
「簡単な事だ…。本能エネルギーには常に防衛本能の集合体に守られている。だが、俺達のこの傷はそんな防衛本能に逆らおうとした記憶の結果だ。奴らにとって俺たちの傷は一番の恐怖であり、精神が死なれては困るから、お前を能動免疫化して取り込もうとした。」
「くそ…。奴らの…自意識兄弟の目的は…、やはり精神の支配か…。」
「本能エネルギーを抑えるには、記憶や体験や知恵だ。火傷すれば近づかないし、飼い犬として愛されれば、いくら獣だといっても知恵は身につく。あの愛犬アンディーがそうだった様に…。」
「クッ…。お前は…憎らしいほど…どんな時でも、ポジティブな…人間だよ。」
『俺』の周りの本能エネルギーも、まるで雪を砂糖を溶かす様に拒絶反応をし始めた。
「きっと、お前の巨塔だけにある絶望の水があるからこそ、『僕』も傷を曝けだせる勇気が芽生えたんだ。」
「絶望感と希望は表裏一体…。絶望なくして希望も生まれず、希望なくして絶望も味わえず…か。」
「あの本能エネルギーが昔の記憶をお前に見せ始めた時、懐かしさのあまり心地良さを感じてはいないだろうな?」
「正直…感じた。この居場所から、無理して出なくても、誰にも分かってもらわなくても、俺は良いのかもしれないと…。」
その瞬間、そいつは凄まじい勢いで俺を殴りつけてきた。運良く瞬時にそいつの拳を交わし、奴の拳は俺の横をそれて巨塔の壁にめり込んだ。俺は奴を睨みつけ問いかけた。
「何の…つもりだ…?」
「甘えるな!」
「あぁ?!」
「普段は偉そうに物を斜めから見て、神目線で絶望感を撒き散らしている貴様が、少しでも心地良いことがあれば、そこに留まりたいだと?!」
「何が悪い。俺にそんな感情さえも持つなというのか?俺が俺の事をどう思うが、俺の勝手だろう?」
「それが甘えているんだ!お前達の弱さはそこにある。自分だけは傷つきたくない、自分だけが馬鹿を見たくない、でも他人に多少理解されなくても構わない。何故なら自分は分かり切っているからだと?ほざくな!!」
そいつは激しい剣幕で俺の首元を掴んだ。
「冷めてれば偉いのか!?現実を見据えていれば立派なのか?!理想を持った人間を小馬鹿にしているくせに、熱意のある人間を避け、その絶望感に度胸も勇気も失ってニヒルに構えるんじゃねぇぞ!!待ってるだけのワガママな腰抜け共に、何かを語る資格は無い!」
「…言いたい事はそれだけか?」
俺は奴の調子に乗った態度がムカついた。
「それがお前の語る、愛や正義や理想や夢か?軽いな。確かに助けてもらった事は感謝している。ありがとう…。だからといってお前の信念とやらを押し付ける理屈にどうしてなるんだ!?」
「…。」
「この世は不変だ。飾り立てられた目映りの良い物は多くあるが、本質は何も変わってはいない。そんな事は誰もが感じている事で、そこから逃げ出したい人間が、目新しさに心を奪われたり、現状を拒絶して懐古主義に走るのだ。だがそれは人として当たり前の事じゃないか!世の中は理想だけでは機能しないんだ!」
「それは理想さえも持てない、クズ共の言い訳だ!逆境の中でも、人はあらゆる物を輝く事ができる。僕達のこの傷を見てみろ!これは誰の物でもない。僕達の物なんだ。だが同時にこれは、留まる物でも、また無ければ良かったと嘆く物でもない!」
「守るべきプライドはある!」
「守りが必要なプライドは意地だ!」
『僕』は『俺』が許せなかった。決して彼には同意など出来なかった。
《1993年 夏の記憶の狭間》
『吾』はゆっくりと目を閉じてニヤついてる。
「わりと理想ちゃんが降りてきたのは早かったが、まぁ一筋縄ではいかねぇだろうな?へっへ。」
「奴らがこちらへ到達する可能性は?」
「『我』、それは残念ながら…ありねぇ~だろうな。絶望くんの『俺』様も、理想ちゃんの『僕』様も、言わば硬直状態で一歩も引かない所見れば、てめぇの主人がどうなろうが構わねぇって。考えてもみろ?イデオロギーで武装した奴らの末路を。妥協なんて物は、必ずその背景にねじ伏せた者と、ねじ伏せられた者が存在する。力のバランスが崩れば、いくらでもどちらの立場にもなれるもんさ。結局、根本は食い物の好き嫌いと変わらねぇのによ、信念や真実や正義なんか振り回してるから、腹減って叫んで相手を排除しようとする。やってる事は動物と変わらねぇって。」
『吾』は勝ち誇ったような表情で話し続けていた。
「この『自神』とやらが溺れている失恋の記憶もそうさ。正しき物や美しき物なんて存在しねぇし、所詮恋愛なんてゴミは人間が生きていくための暇つぶしでしかないのによ。」
「だが…。それ故にこいつは一度、命を自ら断とうとしている。それでも暇つぶしと言えるのだろうか?」
「『我』…。どういう意味だ?」
「こいつが『壁』として、他人を拒絶する人間ならば問題ない。『壁』を作る人間は臆病なだけでトゲを出すだけしか能が無い。だが、もし『橋』として自壊を求める人間ならば、精神の支配どころではない…。」
「…。」
「今度こそ本当に死なれたら…。」
「黙れ!そんな事はさせねぇ!だから、俺が理想のK美を与えて、奴の魂だけはぬるま湯につからせて救ってやるんじゃねぇか。ケッ!!『我』!お前と話していると胸糞悪くならぁ~!子供喧嘩している馬鹿共がこっちへこないように、そこで見張ってろ!」
「御意…。」
だが…。『吾』の考えに『我』は少なからず不安を抱いていた。そして、その不安は一つの迷いを生み出しつつあった。支配されているのは、自意識兄弟である自分達ではなかろうか?と…。
続く




