第四十九話
「俺」と自称する人物に、自分は言われるがまま連れて来られた『無慈悲なき巨塔』。その内部はまるで神秘的な表情を見せていた。
「この巨塔は、『自神』呼ばれる絶対的な存在の為に、全てが機能している多層構造物を具現化したものさ。」
「『自神』…なんだなそれは?」
「さぁ…。ヤツが物なのか?それとも人なのか?具体的には表現できない存在である事は確かだ。」
まず最初に目に映った物は、五つの滝。それらはエッシャーの透視法で描かれたような水路で、重力を無視して上へ下へと複雑に絡み合いながら流れている。天井は半球状のドームになっており、そこから巨塔外の移り変わりが激しい天候を、塔内部全体で感じ取る事ができる。今は明るい日差しが差し込んでいる。
「この滝は…?」
「『五神の聖路』と呼ばれている。おもに視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を司る神から贈られてきた、あらゆる記憶が縦横無尽に流れている。」
中心部にある錆び付いたブラス素材の螺旋階段は、永遠と思える様な深い底まで長く続いていた。
「あの真ん中にある螺旋階段はなんなんだ?」
「『自意識の螺旋階段』と呼ばれている。自神にとって五神から贈られた記憶の中で、自神に捧げられた記憶から、不必要とされた記憶が回帰する際の帰路。一度、自神の手にかかった記憶には意識が刻印される。それが意識的であるが、無意識的であろうがな。」
「無意識的に…でもか?」
「ああ、わかりやすくいえば、いかなる状況においても、緊急事態に応じてファイルを自動保存してしまうプログラムの様に、記憶には意識が刻印されてしまうのさ。」
「刻印…まるで豚の家畜みたいだ。」
今は自意識の螺旋階段には何も存在していなかった。すると、天井にある半球状のドームから日差しは消え、代わりに怪しい雲が激しい速度で塔内部を灰色に染めた。
「豚の家畜ならまだいい。不必要とされた記憶は非常に危険な因子であり、被害者意識や脅迫概念の起因となる場合もある。」
「起因?」
「お前が分かりやすい、具体的な例を歴史的に挙げれば、ある入水自殺した小説家は、不必要と判断された全ての自意識を常に疑い、ある精神崩壊した哲学者は、全ての自意識を愛いした。結果、どちらも奴らをコントロールすることは出来ず、奴等自身の手によって葬り去られた。」
「太宰とニーチェってことか…?」
「そう思いたければ、そうすればいい。」
天井にある半球状のドームから、塔外部の天候が変わった。今度はゆっくりとした木枯らしが吹いている。
「この世の中を複雑化する見解の相違ってヤツが存在する以上、俺はそこまで限定する気はない。下に広がるあの『潜在意識の大欲槽』にしたってそうだ…。」
「『潜在意識の大欲槽』…?」
「フロイトの説いたEs。つまり無意識に相当する無意識的防衛を除いた感情や欲求、衝動や過去における経験が集められた本能エネルギーの保管場所さ。」
自分はブラスの柵越しに覗いて見たが、暗闇で何も見えなかった。
「無神論者のフロイトは『ごみ捨て場』と呼び、牧師の家に生まれのユングは『人類の歴史が眠る宝庫』と呼んでいた。そして、ここ『無慈悲なき巨塔』にいたっては、『潜在意識の欲槽』と呼ばれているわけだから、それだけも何かを限定する事は無意味だってことだ。」
「浴槽ではなく、『欲槽』か…。うまい事当て字をつけてるよ。」
再び、半球状のドームからは、怪しい雲が激しい速度で塔内部を灰色に染めた。
「所詮、人の『考え』や『思想』、『イデオロギー』や『価値観』なんて物は、好みの問題であって、それ以上でもそれ以下でも無い。意識が刻印され、他者に対する主張として介在している以上、好き嫌いの範疇なのさ。それをさも意義ある様に取り繕ったり、権威や権限で押し付けたり、はたまた砂糖や油で誤魔化したりしているだけだ。」
気がつくと、塔内部には雨がポツポツとちらつき始めた。次第にいたるところでその雨音は鳴り響いている。
「それで…自分達が何処に住んでいるのかは分かった。では、一体ここでの自分達の役割はなんなんだ?」
彼は目を細めながら半球状のドームを見上げ、、小降りの雨を浴びながらゆっくりと口を開いた。
「『ギリシャ心話』と同じようなもんだ…。」
「『ギリシャ神話』じゃないのか?」
「『心話』も『神話』も同じだ。」
続く




