第三十一話
まともでいろというのが無理な話だ…。
人の死を間近で刻み込まれ、その脳裏に残ったあの砕ける音を消し去るまで、どうやったらまともでいられるのだ。その後あの二人をなぜ叩いたのかも分からないまま、再びまともな人間になれるのか?
毎晩酒を浴び、明け暮れた。自分から近づいた。積極的に躊躇わず、ルールなど無視して、何度も泉を探して、何度も湧き出る泉を見つけていた。
実の生活に実を感じる場所はない。だが女性とは別だ。目の前にあれば、手にとって奪う瞬間が実を感じる。今の俺には不誠実な礼儀が必要だからだ。それが嘘であれ夢であれ憧れであれ、彼女達を褒め称えなければいけない。それが俺のような自堕落な人間の最後の理性で、唯一まともになれるんだ。
「今度はいつ会えるの?」
味わえたものはそのままにしておくこと必要がある。仮に旨味のある果実だとしても、何度も味わえば相手は情を持つ。興味のある素振りが礼儀。
「何処かに連れてって」
それはこちらの台詞だ。しかし相手は決してこちらの心に触れてはこない。だから夢見心地な気分へ誘うのが礼儀。
「二度も抱けると思わないで」
元々二度も求めてはいない。一度目の実を得たときに、全ては終わっている。だから何度も求めているふりをし、相手にこちらを断らせることも礼儀。
「本当に自分勝手だね」
当然だ。賢い奴は決して近寄らない。だから言いたいことを言わせてあげて、こちらのせいにしてあげるのが礼儀。
「自分しか興味ないんでしょ?」
自分のことなど考えたくないから、泉に興味を持っただけ。興味がなければ、近寄りもしない。だからそう思わせるのが礼儀。
気が付けば、誰がどんなやつで、年齢がいくつかなんてこともごちゃごちゃになっている。それでも街を歩けば人は俺に目を寄せる。一生懸命理性で抑えながら。
人間とそれ以外の区別はどこにあるのだろう?蜜蜂達にでさえ社会主義があるのだ、本来俺達が理性と名付けているものでさえ、人間という隠された全体主義の中で生きていくために必要な本能なのかもしれない。でなければ、こんなに辛いわけがない。
未だに俺の信者に残したK子の最後の言葉が見つからない。だが、心の奥では次第に、彼女は自殺ではなく、壁しかもたないわがままな人間に殺されたのだという想いが強くなっていった。
続く




