第十三話
大丈夫なのか?飲み過ぎだぞ。大体、酒は俺よりも強かったはずだろ?いいか?もう一回指を突っ込むから、我慢しないで出すんだぞ。酒を飲み過ぎた相手はK。今夜はテキーラを浴びるように飲み、介抱しているところだ。
事の成り行きはいたってシンプル。突然の電話と誘い。まるで今までの沈黙していた期間は、暗黙の元になかったこととされ、また再び芸術論となっていた。だが、彼女の根本的な性質は変わらない。いずれ自分は注目を浴び、テレビの取材を受けたがっていた。それが彼女にとっての成功なのだ。いや、本人は否定するだろうけれど、根本は変わらない。
俺はおもいっきり否定した。いったい何を見ているのだと。ならば芸術などという言葉を軽々しく使わないでほしい。だが彼女は芸術という言葉では食べていけないと。確かにそうだ。俺も自分だけの絵画ではまるっきり食べていけない。だが、それが何だというのだ。一度踏み入れた感性という場所には、妥協も共和もない。ただ有り余る自分の沸き上がる情熱に従い、描きたいもの、作りたいものに追われながら身を削るんだ。
友人に面白い事を言っていた奴がいた。彼は音楽も絵画も彫刻も、芸術とは同じ血脈に流れていて、世界を神の如く描く詐欺なんだと。知りすぎて評論家と成り下がった愚か者や、器用すぎて独創性を失った者や、これだけには叶わないと観念した者や、固定概念をもった弱き者には、決して世界を描く扉は開かないと。最高級のエゴイズムを心に秘めつつ、謙虚に常に模索しているものなんだと。その話をKにしてやった。
少し苛立ちを見せながらも、俺の話をまた何となく分かると言いたげな顔で聞いていた。だが求めているのは違っていたのは明らかだった。彼女は商売にしようとしていたからだ。仕方ない。それならば俺の言葉は何も響かないのだろう。
いつの世もそうだ。先を越された哀れな創作家は、その時代に耳を傾けてもらえず、ただゆるりと取り残されていく自分と、流れていく世界を眺めている。そして自分の子供のような作品達を人身売買のように売り付けることには、常に心を痛めてしまう。なんとか俗世の繋がりを持たねばと、孤立無援で奮闘してみるが、結局のところ言い訳でしかない。彼女と俺の虚栄心は別のところにあるようだ。Kはこの話には疲れた様子で、別の話をしたがっていた。よし、話を変えよう。傾けたグラスにワインを注いで、彼女の話に耳を傾けた。
最近、K子が元気があるそうだ。しかもKに説教までしてくるそうだ。明らかに今までのK子とは違って、自信に満ち溢れており、何かといえば、俺に言われたとK子は語っているらしい。Kはそのことが不思議で、実はこれが今夜の誘った理由だったらしい。
そんなことか…。まだまだ何も分かっていないんだ。分かったふりをして、この灰色の世界には、足を踏み入れたりはしていないんだ。
その時、何かの匂いがした。
続く




