レイン・ワーズ
この街には、雨の代わりに単語が降る。
「うわっ、降ってきた」
真っ暗な空の下、自宅へ急いでいた僕のもとに、どっと単語が降ってくる。
ペットボトル 動く 相模 ソプラノ あなた
ユーバーマンシュ 倭国大乱 タンシチュー エラスモテリウム 東尋坊 でもね 元気 ズィンク フクロウ そして シャーガス病 学習
単語が降るというのは実に厄介なものだ。雨と違って服は濡れないものの、単語は心を濡らしてくる。精神が風邪をひいたら、どれほど軽くても丸2日は学校も出席停止で、寝床で単語の残響に引きずられながら、辞書をめくり続けるハメになる。
「あー……困った、今日のは脈絡無いぞ」
すんでのところでコンビニの軒下に駆け込む。単語の降り方がどうであるかを、この街に住む人ならちゃんと見分けられる。単語の降り方というのは、穏やかならばある程度の範囲にまとまった、関連のある語にまとまってくる。歴史に関わる単語のみとか、去年の梅雨時、停滞前線にともなってラーマヤーナが1週間かけて全文振り注いだりした。
そして激しい降り方というのは、単語どうしの関連が薄くてバラバラの方向性の単語が脈絡なく降ってくるのだ。
ライデンフロスト効果 やわらかい しゃぶしゃぶ 二槽式洗濯機 窒素 アッシュルバニパル
(あーあ……止みそうにないな)
単語の降り方はまさに土砂降りといった感じだ。この中を突っ切って帰るのは、風邪を引いて徹夜で辞書漬けになっても構わない狂人だけだ。僕はごめん被るので、コンビニの中に入ることにする。
「いらっしゃいませー」
コンビニの店員さんもこの街の人なのだろう。降りしきる単語の轟音にも驚かない。驚かないどころか、あまり気にかける様子すらない。コンビニの中には僕の他にもう1人、壮年の男性がいて、多分この人は街の外から来たのだろう。いかにも高価そうなカメラで、降り注ぐ単語の様子を店の中から何度も写真にとった。シャッターを切るたびに、パチッ、パチッという音が、単語の降る轟音の中にかろうじて掻き消されずに響く。
「ね、君、この街に住んでるの」
壮年の男性は、目が合うと僕にそんなふうに話しかけてきた。僕は、はい、と答えた。この街で生まれるとこんなふうに話しかけられることはよくある。外から来た人は、単語が降るというこの天気を珍しがる。僕としては、雨が降ることのほうがよほど特別なのだけれど。
「大変じゃないかい、単語が降るとさ、道路も埋まっちゃってさ」
「ええ、まあ。でも、降った単語って1時間もしないで崩れて形なくなっちゃうんで」
そう。本当にとてつもない量が降れば車が通れなくなったりもするが、この街に降った単語はどれほど積もってもすぐ崩れて大気へ昇華していく。
「外から来た人はみんな、驚きますけどね。どうなるか分かってて、それが繰り返されると、慣れちゃいます」
大きな黒縁の眼鏡の奥、カメラおじさんの瞳は好奇心でいっぱいのように見える。空からどんどん降ってくる単語を見つめながら、おじさんはへえ〜と感心したような声をあげた。
「この街の外は、雨が降るんですもんね」
「えっ、うん、そうだね、雨雲が湧いて、雨が降るよ」
不思議だ。この空の下、単語が降らない場所のほうが圧倒的に多いだなんて。普段ここに暮らしていると、単語が降る天気のほうが普通だから、街の外のほうが僕にとっては珍しい。
どんな暮らしなんだろう。クローゼットの中の防災セットに、広辞苑がいらない生活。雨が降っても傘を差せばその中を平気で歩けたり、でも、桁外れの量が降れば洪水になって、家が水に浸かったり、流されてしまって亡くなる人もいる。この街だと、不用意に外に出て何万語、何十万語もの単語に打たれてその後の人生を来る日も来る日も辞書を読むだけの生活を余儀なくされる人も何年かに1人くらいは出る。それらはどれくらい似ていて、どれくらい違うのだろうか。
激しい降語はまだまだ、止みそうになかった。
基本的に、私たちの日常生活に必要な単語数というのはそう多くはない。
私たちがものを書きたいと思って吸収する語彙はたいてい、実用性を全く持たない妙ちきりんなコレクターズアイテムのようなものだ。
その違和感や不思議さを、何かの形で書こうと思って文章をいじっていたら、なんと気象現象としてそれを書き始めていた。
理屈などは一切考えないで全く感性だけで書きすすめると、たまに自分で振り返っても不思議な発想に着地したりするから面白い。




