侵略者
夕刻。
「雨…やまないわね…」
綾子がポツリと呟く。
時折ゴロゴロと雷鳴が鳴り響く。どんどんと近づいている。
「ここは山間だからね。コロコロ天気が変わる。」
洋平が雨合羽を脱ぎながら答える。最後まで畑のかたづけをしていたのだ。
そんな洋平に叶恵はタオルを差し出しながら言う。
「お風呂入ってきたら?」
「その前に、子どもたちでひどく濡れた子は?」と洋平が返すと叶恵は短く「いないわ。今は食堂に暖房も入れたし。」と答える。
「そっか。じゃあちょっと行ってくる。この時期の雨は冷えるな」と洋平は大浴場へと向かって行った⸺刹那。「クシュッ」と小さなくしゃみ。柊だった。
洋平は笑いながら「柊さんも良かったら、どうぞ。客人に風邪はひかせられませんから」とタオルを差し出す。
柊は綾子を見る。綾子は軽く笑いながら
「ぜひ頂いてきて。私もあなたに風邪をひかれては困るから」と言った。
大浴場。
そこは白一色の空間とは違い、パステルカラーの色とりどりのタイルがあしらわれている。浴槽の上の高い高い窓にはやはりステンドグラス。東方の三賢者が描かれている。
洋平と柊は肩を並べて湯に浸かり、他愛もない話をしていた。
「郷土史のほうは順調で?」と洋平が尋ねる。
「ええ、まぁ。」と柊が言葉を濁すと洋平は笑いだした。
「主の御前で嘘はいけませんよ、柊さん。叶恵から全部聞きました。あなたがどうして綾子姉ちゃんと一緒にいるのかも。」
一瞬の静寂。
柊は「すみません、俺⸺ここに来てから嘘ばかりついてます。事情はおそらく叶恵さんから聞いたもので正しいと思います。」と頭を下げた。
洋平は浴槽から出て髪を洗い始める。
「いいんですよ。それだけ切実な事情があったんでしょう?自分たちは、迷える子羊を見捨てたりはしませんから。」そこまで言うと泡だらけの頭で柊の顔をじっと見つめる。
まだ若い二十歳前後の幼さの残る顔。それでも瞳はとても真剣な眼差しでこちらを見ている。
洋平は意を決したように、柊にも尋ねた。
「柊さんは、綾子姉ちゃんのこと、好きなんでしょう?」
少しの間。
柊は黙って頷く。
洋平は「やっぱり」と短く言うと頭の泡を流していく。
そして続けた。「自分は、叶恵と同じなんです。ただただ綾子姉ちゃんの幸せを願ってる。綾子姉ちゃんはかつての崎山こども園で最年長ってだけで…俺達に色々してくれて…」少し上ずった声で洋平は言葉を止める。
そして洗面器にためたお湯を思い切りかぶるとはにかみながらこう言った。
「とにかく、叶恵も自分も、あのときいた皆が綾子姉ちゃんのこと大好きだったってことなんですよ」
風呂から出てガシガシと髪をタオルドライしていると、子どもたちがおろおろと綾子を囲んでいる。
綾子は1枚のメモを手に持ち震えている。
洋平が異変に気づく。
「どうしたんだ、お前たち。」
その中でも年長の子供が洋平に、目にいっぱいの涙を溜めてすがりつく。
ただごとではない。
「あのね…あのね…洋平お兄ちゃん…さっきお客様が来てね…それで叶恵お姉ちゃんが出ていったの…でもね、なかなか帰ってこなくて…それでね、綾子お姉ちゃんと見に行ったら…叶恵お姉ちゃんの傘が落ちてて…それでね…」そこまでたどたどしく言うとその子はついに泣きだしてしまった。つられて他の子どもたちも泣き出す。
柊は綾子のもとに近寄る。顔色は真っ青だ。震える手でメモを持っている。
「綾子さん」と声をかけるとハッと気づいたように柊を見る⸺刹那。
綾子の目からもボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「私…私のせいで…柊さん…叶恵ちゃんが…」
柊は震える綾子の手からやや強引にメモを奪い取る。
そこには雨に滲んでこう書いてあった。
「聖マリアンナ子ども園様
貴園の大切なシスターをお預かりしております。
早乙女綾子及びその連れの者と引き換えにお返しします。旧崎山こども園跡地にて待つ。T」
雨は一層ひどくなっていた。バチバチと音を立てて鳴る雨粒が、事態の重さを物語っていた。




