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夢の監獄  作者: 杜 妃湖
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その騎士の誤算

時は少し遡る。

隆弘は苛々とその看板を眺めていた。

「売地」と大きく赤字で書かれた文字。

かつての崎山こども園は見る影もなく更地になっていた。


思考を巡らす。

綾子なら。あの頭のいい女なら。

何か掴んだ上でここまで来たのに違いないのだ。


「どこだ…綾子…。どこにいる…!?」

しばらくウロウロと歩き回る、が何も得られるはずもない。

「チッ…」

舌打ちを一つすると隆弘は再び車に乗り込み走り去っていった。


10分ほど走ったところにある小さな一軒家の前で隆弘は再び車を停めた。

表札には「早乙女」の文字。

庭は荒れ放題でそこに久しく住人が居ないことを示していた。


隆弘はポケットから鍵を取り出すと、家に入ってゆく。

しんと静まり返ったリビング。水道もガスも通っていないキッチン。もちろん電気も通ってない。隆弘はスマートフォンのライトをつけ、かつての自分の練習部屋へと足を運ぶ。

そこには、黒い布で覆われた小さなピアノが置かれていた。

どこにでもあるピアノ。

かつての自分が何度も何度も練習を繰り返したピアノ。

隆弘はピアノを覆っている黒い布をバサリ、とやや乱暴に外す。

そこには確かにピアノがあった⸺が。

そのボディと鍵盤には、幾つもの深い傷がつけられていた。

そのうちの一つに触れる。と、チクリと鈍い痛みが走る。傷の断面から覗く木材はささくれて、幾つもの棘が出来ていた。

指先から流れる血。それを見た隆弘は狂ったように笑いだした。

「フフ…フハハハ…ハハハハハ!!!!!そうか!!お前までも俺を拒絶するか!!そうだよなぁ?お前をそんな姿にしたのは他ならぬ俺だからなぁ!!!!?」

クックッと笑いながら仏間へ向かう。

仏壇に飾られた両親の遺影。

どこか気の弱そうな父親と、草臥れきった顔をした母親の写真が並べられていた。

参る者がいないそこは、腐った水と枯れた花が嫌な匂いを発している。

「そもそもの間違いが、お前らなんだよ」

隆弘はそう言うと先程懐にしまった警棒を取り出し、まっすぐに仏壇に振り下ろす。ガラスの割れる音。木材のひしゃげる音。それはまるで写真の老夫婦の悲鳴のように響き渡る。

「お前が、お前らがあんなことしなければ!綾子も俺もずっとずっと幸せだった!!みんなみんなお前らのせいだ!!この人殺しめ!!!」

ハアハアと息が切れるまで仏壇を痛めつけると、隆弘はくるり、と踵を返し家をあとにした。車に乗り込むと、

「こんなもん、もういらないな」と窓から鍵を投げ捨てて、隆弘は去っていった。

そして、近くのコンビニに車を止めると目を瞑り、そのまま少しの眠りについた。


翌朝。

隆弘は持ってきたスーツに着替えて電気シェーバーで髭を剃ると、髪をきちんと整えた。

どこからどう見ても一流のサラリーマンの仮面をかぶると、そのまま少し街を歩く。

木枯らしが吹く。都内に比べてここは冷え込む。

「俺の綾子…悪い子だ。風邪でもひいたらどうするんだ?」と呟きながら歩いていくと公園に差し掛かった。その中にとぼとぼとカートを押しながら歩く老婆を見つけると、隆弘は優しい笑みを浮かべ話しかけた。

「⸺すみません。ちょっとよろしいですか?」

老婆は振り向くと少しの警戒心の浮かんだ顔で隆弘を見やる。無理もない。老人相手の詐欺が横行している昨今、その反応は正しいものだった。

「何かご用?」と返す老婆に隆弘はニコリと微笑みかけてつとめて優しく語りかける。

「呼び止めて申し訳ない、ご婦人。怪しい者ではありません。以前この街に住んでいたんです⸺もう20年以上前ですが。久しぶりに帰ってきたら色々と変わってしまっていて…。崎山こども園、ご存知ないですか?」

そこまで言うと隆弘は沈痛な面持ちを浮かべる。

「大切な、大切な人がそこにいたんです。でも行ってみたら更地になっていて⸺連絡を取ることもできなくて…」更に目をぎゅっと瞑り、哀れな男を演じる。

「ご婦人。もし何かご存知でしたら教えていただけませんか?本当に、本当に大切な思い出なんです。なんでもいい。何か少しでも覚えていることがあれば⸺」


老婆は先程までの警戒を解き、哀れそうに隆弘を見つめている。

そして口を開いた。

「崎山こども園ね。たしかにこの街にありましたよ。でも老朽化で取り壊されちゃったのよね…。」

(そんなことは知っている。もっと何か情報はないのか)

「そうですか…。もう僕はあの子に会うことは、出来ないんですね…。」一層の悲壮感を帯びた顔を老婆に向けると老婆は少し考え込んでからこう言った。

「待って、待ってちょうだいね。確かそういう施設はここから少し行ったところにあるはずなの。なんて言ったかしら、キリスト教系の施設で…聖マリア…なんとかっていう…」

老婆がそう答えると隆弘はパアッと明るい顔になり、老婆の手を握り、「ありがとうございます!!ありがとうございます!!ああ、もしかしたら大切なあの子はそこにいるのかも知れない。これ、お礼と言っては何ですが…」と財布から一万円札を取り出すと老婆に握らせた。

「待ちなさい、受け取れないわ、こんな…」

狼狽える老婆に隆弘はニコリと微笑み、

「大切な人につながる情報が得られただけで、それだけで僕はとても嬉しいんです。ありがとう、親切なご婦人。」と言うと踵を返し公園を出ていった。

取り残された老婆はぽつんとただ、一万円札を握りしめていた。

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