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夢の監獄  作者: 杜 妃湖
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来訪者

薄暗い部屋でスマートフォンを握りしめながら、膝を抱えて座り込む。

(お前は…いくつになったって言うんだ、由人)

「28にもなって、職場で迷惑かけた挙句にゲロ吐いてぶっ倒れてちゃ…世話ないよな…」

紡ぐ言葉はゆるく回る扇風機に吸い込まれていく。

(明日から⸺どんな顔して行けばいい?)

もういっそこのまま隕石でも落ちてすべて消滅してくれないだろうか。

はっきり言って気分は最悪だ。安い挑発に囚われ、ミスを連発。その上だ。嘔吐して倒れて責任感の強い上司に世話になって⸺。

(誰も掌に触れなかったことが、不幸中の幸いか…)

と、自らの手を見る。


ふと一つの疑問が浮かぶ。

(俺はあのとき確かに手袋をポケットにしまった。じゃあ、なんで今俺は手袋をしてる?)

無意識にはめた…わけではなさそうだ。掌からは仄かに石鹸の香りがする。

(誰かが俺の手を洗って、そして手袋をはめた…?)


その時だ。

陰鬱な気分とは真逆の軽快な音のチャイムが客人の来訪を知らせた。


のろのろとインターフォン越しに誰か確認する。

「先生…」

そこには安アパートの光に照らされた長谷川が立っていた。



「柊。君は少し片付けというものを覚えたほうがいい。」

居室に通されて長谷川医師は散らかった部屋を一瞥する。そして視線をワタワタと大急ぎで片付けをしている柊に戻す。

「全く君というやつは…あの時と変わらんな。研究室の君のデスクはいつもこんな感じだった。」

返す言葉もない。

「まあ」と長谷川は言葉を続ける。

「アカデミアに於いては、そういう人間のほうが優秀だったりもするんだが。」

実際、修士課程にいたときの柊は優秀な学生であった。

自らの力が何かの役に立つのではないかと希望に満ちていたあの頃。自分の持つ力を長谷川先生に打ち明け、そして「否」の言葉と現実を受け入れざるを得なかったあの頃。


「長谷川先生、もしかして俺の手を洗って手袋をはめたのは…あなたですか?」

散らかしたままの衣類を抱えた柊が長谷川の目を見る。

長谷川は極めて冷静に

「他に誰がいると言うんだ?金沢くんから君が倒れていると聞いて大急ぎで駆けつけたよ。今日は空いていたのが幸いだったな。君を診る、場合によっては家に帰すから荷物をまとめてこいと言って、その間に君の手を洗い清めて手袋をはめた。今は病院の至るところにこいつがあるからな。」と言って長谷川はカバンから使い捨てのゴム手袋を取り出す。


(そうか…先生が…)

パズルのピースがカチカチとはまっていくようにすべての疑問が解けたところで、再び長谷川が口を開く。

「柊。いつまでもそんなもの抱きしめてないで、お茶の一つでも出したらどうだね?」


大慌てで片付けたワンルームには口髭をたくわえた老人⸺背丈こそ低いもののその顔とやや肥えた体躯には威厳すらある⸺と、対象的になんとか小さくなろうと努力している長身の若者。

長谷川は柊の淹れたコーヒーをすすりながらそんな柊を見つめる。

「幸いだったのは、頭を打たなかったことだな。軽く触診したが、胃痙攣くらいしか見受けられなかった。その後点滴をして、家に帰すように指示したのも私だ。全く手間をかけさせてくれたな、柊。」

柊は俯きながら

「返す言葉もありません…」

蚊の泣くような声で答える。


しばしの間。

口髭を弄りながら長谷川が口を開く。


「柊。長谷川綾子に接触したな?」


見透かされていた⸺。そう思うと顔色がさっと青くなる。思わず目をギュッと瞑る。

いや、でもこれは事実だ。叱られるのならきちんと叱られて⸺罰を受けなければならない。

「はい。あの人⸺綾子さんの方から接触がありました。過去を視てほしい、と。それで俺は何度かあの人の過去に潜りました。…俺は先生との約束を破りました。どんな罰も受けます。もし解雇されるのならそれも仕方のないことです。」

最早柊は震えていた。


が、長谷川から帰ってきたのは意外な一言だった。

「顔を上げなさい、柊。まず私は君をクビにするつもりはない。それに、クリニック側としても優秀な薬剤師を失うのは痛手だ。違うかね?」

「でも先生、俺は」

と言う柊を遮り長谷川は続ける。

「考えてみれば、君の過去視を早乙女綾子に明かしたのは私だ。それもあの人の為、というよりは自分の研究と知的好奇心もあった。言うなれば君も彼女も被害者なんだよ。この私のね。」


「それは…っ、それは違います、先生。先生は俺のために、そして綾子さんのために…!」

「いや、何も違わない。済まなかった。君のその力は隠しておくべきだとちゃんと理解していたのに。あの夏の日、君が彼女を抱えて診察室のドアを叩いたときから⸺そして視えてしまったと私に告げたときから君も彼女も私の被害者なんだよ。」

長谷川は淡々とそう告げるとまたコーヒーを啜る。


そして柊にこう告げた。

「さて、次の局面はどう出る。あの献身的な騎士は一筋縄では倒せんぞ。」

その顔はかつてアカデミアで討論をしたときのように、ほんのりと紅潮していた。



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