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夢の監獄  作者: 杜 妃湖
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木曜日のリフレイン

深夜、綾子は目を覚ました。

隆弘が貼ってくれた冷却シートが頬にずり落ちている。

(身体は、だいぶ楽ね…)

と、足元に目をやる。

そこには隆弘があの大切な空色の椅子に腰掛けて、ベッドに突っ伏していた。肩にはブランケットがかかっている。

(私のこと、ずっと見ていたのかしら)

じわり、と胸が熱くなる。

(無理して早退させて⸺ここまで見守ってくれて…。

こんなに優しいあなたを、わたしは⸺。)


綾子はつとめて優しい声で「隆弘」と名前を呼んだ。

ピク、と隆弘がその声に反応する。そして上体を起こすと「具合はどうかな」と優しく綾子に問いかけた。


胸の中がチリチリする。

でもそれは悟られてはならない棘。負うべき咎。

「夕方よりだいぶ楽なの」と綾子は枕元に置いた体温計を手に取る。

デジタルの文字が36.8を示す。

「微熱にも入らないわ。なんだかお腹も空いてきちゃった。」と笑ってみせる綾子に隆弘は夕方買ってきたレトルトのお粥を見せ、「これで良ければ温めてくる。プリンもあるぞ。」と、勧める。


時計を見やる。

深夜一時。時間帯的にあまりよくないとわかりつつも、

空腹には抗えない。

綾子は「プリン、いただくわ。あなたは何か食べたの?」と隆弘に訪ねた。

隆弘は「食ったよ。君の作った常備菜に、パックご飯、それにインスタントのスープ。ナスの煮浸し美味かった。」と綾子の髪を撫でた。

綾子は「そう」と微笑むとふらふらと立ち上がろうとした⸺のを隆弘が制し、

「持ってくるから。それと水分も摂ろう。俺に任せてって言っただろ」と立ち上がりキッチンへと向かっていった。

(こんなに護られて…わたしは…)と綾子は罪悪感に駆られる。

綾子に背を向けた隆弘が、妖しく笑っていることには気づかずに。



数日後、木曜日。クリニックの日。

綾子はキッチンの片隅で目を覚ます。厚手のブランケットがかけてある。

気づくと目の前にはいつもの空色の椅子と水のペットボトル、そしてメモ。

「好ましくないことだとしても、うろつくだけの元気は出たんだな。クリニックがあるから綾子が起きたら起こしてほしい。隆弘」


綾子はもそもそと起き上がり、そのメモを小箱に大切にしまうと献身的な夫を起こしに寝室に向かった。



その日のクリニックはやけに空いていた。

スムーズに呼ばれ、いつものようにカウンセリングが始まる。

長谷川が尋ねる。

「なるほど、疲労が蓄積していると深夜徘徊しないんだね?」金縁めがねの向こうの眼差しは優しい。

「そうなんです。ちょっと美容院に行ったりして疲れると、ベッドで目覚めることが増えてきました。」

ふむ、と長谷川が少し考え込む。

「身体もこれ以上危険だというサインを出しているのかもしれないね。少し睡眠薬を調整しよう。程よく疲労感を感じるときは軽めの物でいいだろう⸺但し、無理に疲れる必要はないよ。あくまでも綾子さんの感覚で試してみるといい。」

待合室の隆弘の元に戻ると、隆弘はスマートフォンで何かを見ていた⸺が、綾子に気づくと「どうだった?」と立ち上がり髪を撫でる。

綾子は少し嬉しそうに

「先生がね、程よく疲れたときは軽めの睡眠薬でいいかも知れないって。だからお薬が少し変わるみたい。」と

答える。

隆弘は綾子の髪に手をおいたままふむ、という顔をして

「先生が仰っしゃるならその指示に従おう。良くなっている兆候かもしれないしね。」と綾子に微笑みかけた。


調剤室。

柊はその光景を見ていた。肚の奥が何度もズクン、と反応する。自然と仕事の手が止まる。

「どう見ても完璧なカップルよね」

こそっと奥井が柊に話しかける。

その声に我に返る。綾子はこちらを見ない。

でもそれが敢えての行動なのだということはわかっていた。昨日まで二人だけの専用端末でやり取りをしていたのだから。


「きれいな奥さんに見とれちゃうのは分かるけど、手、動かしてね。」

と奥井は薬をまとめたかごを柊に差し出した。

柊は「見とれるわけないでしょう?他人の奥さんですよ…先輩。茶化すのはやめてください。ちょっと考え事してただけです」と呆れたように返す。

(三文芝居だな…)内心そう思いながら。


綾子が調剤室から声をかけられる。

「長谷川さん、お薬ができてます。」

柊の声に反応した綾子が薬を取りに行こうとすると隆弘が後をついてくる。

「薬が変わったんなら俺も把握しておきたい。」

と、綾子と共に薬の説明を柊から受ける。

柊はつとめて隆弘の方を見ないように、あくまで事務的に薬の説明をすると袋にまとめて手渡し、「お薬が変わるタイミングは副作用も変わってきます。何かあればご相談を」と一言付け加えた。

(ごめんなさい、柊さん⸺バレるわけにはいかないから…)

綾子が目でそう訴える。

その視線を柊は敏感に感じ取り、少しの安堵を覚えた⸺がそれを表情には出さずに「おだいじに」と事務的に二人を見送った。


車に乗り込み、エンジンをかける。

と、隆弘が「あれ?ないぞ?」と車の中をガサゴソと探る。

「どうしたの?」綾子が尋ねると「いや…実は今日のうちに読み込んでおきたい資料を持ってきたんだが…君を待ってる間に読んでたんだ。待合室に置いてきちまったかもしれない。社外秘なんだよ、ちょっと探してくる」とクリニックに戻っていった。


調剤室は暇だった。やることもなく、皆薬の在庫を確認したりら或いは掃除などをしている。柊も備品のチェックをしていた。

すると窓口から「柊くん、だったよね?」と声をかけられた。隆弘⸺。一瞬身構えたがきわめて冷静に対応する。

「はい。何か御用でしょうか?」と窓口まで出てきた柊に隆弘はぐっと顔を近づける。

その顔には厭な笑みが張り付いていた。

隆弘は「うちの妻の薬のことなんだけど…」とそこまで話すとクックッと笑いを漏らす。

そして耳打ちするように柊に囁いた。

「昨日、綾子を抱いたよ。君にできないことを、俺はできる。わきまえるんだな」

ニタニタと笑う目の前の男に不快感を覚えていると、男は急に態度を変え、「なるほど、よく分かりました!ありがとうございます!」と深々とお辞儀をした。


そして颯爽と去っていく。


隆弘は背中に隠した書類を取り出しながら車まで戻っていった。


柊は唖然としたままその姿を見送ることしかできなかった。



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