騎士、或いは執事の回想
ピザに舌鼓を打ち何気ない会話を交わして、食後の紅茶も楽しんだ綾子はうーんと伸びをして「ごちそうさま」と片付けに入ろうとした。
隆弘は紅茶を淹れたときのようにおどけて「おっと、お嬢さん」と綾子に傅く。
「片付けもこの私めが。」
と紳士のように⸺或いは執事のように振る舞う隆弘に綾子はまたクスクスと笑いながら「ねぇ、それいつまでやるの?」と返す。
「いいよ、今日は全て俺がやる。綾子はお風呂に入っておいで。」
と綾子が集めた食器を綾子の手から持ち去ろうとした刹那⸺ピク、と綾子の指先が動く。
隆弘が綾子の顔を見る。綾子はまだクスクス笑いながら
「わかりました。じゃあお風呂、先にただいてくるわね。」とバスルームに向かっていった。
(大丈夫、自然に振る舞えてる。俺達は何者にも揺るぎはしない夫婦。そうだろう?隆弘⸺)
隆弘はぼんやりと出会った頃の事を思い出していた。
綾子に会ったのは高校の入学式。
クラスが一緒になったのがきっかけだった。
ありきたりの自己紹介。
「橘綾子です。崎山東中学からきました。両親はいません。崎山市こども園が私の家です。ボランティア部に入ろうと思ってます。よろしくお願いします。」
一瞬、教室がざわついた。が、それは担任の大きな拍手でかき消された。気づけば教室は拍手喝采で溢れていた。
凛とした横顔が照れ笑いに変わった瞬間、目があった。このときのことを俺は忘れない。
⸺普通、だ。親がいないことを、自分が施設の出身だということを「こんにちは、良い天気ですね」みたいなテンションで言えるか?
言えないだろう。少なくとも俺は言えない。
綾子がクラスの人気者になるのにそう時間はかからなかった。
気づけばボランティア部じゃないやつらも綾子目当てにこども園に顔を出していた。
俺はなんだか悔しくて、綾子目当てに通うやつらとは違うことを証明すべくそして子供の頃からやっていたピアノを活かすべく吹奏楽部へ。毎日練習に勤しんでいた。そうやって見ないふりをしていた1学期も終わりの頃。
「早乙女くん」と綾子から声をかけられた。
「あのね、これ。クラスのみんなに配ってるんだけど…こども園でありがとう会をするの。早乙女くんも良かったら」
と手書きのチケットを渡された。
「橘さん、俺⸺別にボランティアに行った覚えはないんだけど」
とチケットを返そうとすると、綾子はにっこり笑って
「うん、知ってる。実はね…ちょっと下心もあって…早乙女くんてピアノすごい上手だよね?コンクールも出るんでしょ?園の子どもたちに、演奏してくれたらなー、なんて。だめ?あ、あのね!もちろん断ってくれていいの。練習の邪魔したくないし。でも園にね、ピアニストに憧れてる子がいて…。その…だめ、だよね?」
吃驚した。こいつ、俺のピアノを聴いていたのか。それどころかサッカー部のやつで一年生レギュラーのクラスメイトにはこども園の男の子たちにサッカーを教えてくれないかと頼んでいたらしい。それだけじゃない。家庭科部の連中にも声をかけて、一緒にクッキーを作ってくれないかと声をかけていたりと⸺つまるところ、こいつの人を見る目というのは高校1年生のそれじゃなかった。クラスの人気者のポジションを獲得しながら、園のために何かしてくれそうなやつを選んでいやがった。
全ては自分を育てて高校まで行かせてくれた園のために。
そのしたたかさと、手のひらを合わせて頼み込む姿が気に入って気づけば快諾していた。
そして⸺恋に落ちた。自分でもあっけないくらいに。
「橘さん。俺と付き合ってほしい」
夕暮れの教室。
人生で初めての告白をした。
「早乙女くん…私、お父さんもお母さんもいないんだよ?早乙女くんに迷惑かけるかもしれない…だから」
と戸惑う綾子の手をとって
「それがなんだ。ウチだって裕福じゃない。ピアノを習うのもギリギリなんだ。俺も小さい頃病弱だった俺が打ち込めるものがこれしかなかったから⸺だから続けてきた。それだけのことなんだ。君が好きだ。全てにひたむきな君が。」
ひと呼吸。刹那。永遠にも感じられる時間。
綾子はゆっくりとはにかみながら頷いた。
「私で良ければ、よろしく。」
(そうだ⸺あの頃から俺は綾子しか愛していない。綾子もあの日言っていただろう?あなたしか愛せないからよと⸺)
洗い上がった皿を拭きながらぼんやりと考える。
(誰の介入も許すものか⸺俺の、俺だけの綾子⸺それに…)
3年と少し前、事故で逝去した両親の顔が浮かぶ。
隆弘はそれを打ち消すかのように軽く舌打ちをする。
(あのことだけは⸺絶対に…バレてはいけない)
シンクまで磨き上げた隆弘はパチン、とキッチンの電気を消した。キッチンの小窓から差し込む月の光が、静かに隆弘の横顔を照らしていた。




