木曜日のクリニック
物語が進み始めます。
3年と少し。
隆弘の両親が不慮の事故で亡くなったのは、3年と少し前のことだった。
「綾子ちゃん、身体は大丈夫?上等なマフラーを見つけたの。送るわね。」電話越しの義母の声が脳裏に蘇る。
「綾子ちゃんの好きそうなチョコレートを見つけたから送るね。」照れ臭そうに電話をかけてきた翌日、義父から届いたのは高級ショコラだった。
そう言って何くれとなく色々送ってくれた義両親。優しい義両親。
でも、何故か隆弘は私に会わせたがらなかったけど。
かかりつけの長谷川医師は綾子の夢遊病は大切に思っていた義両親の死のストレスで、一過性のものだと言った。
⸺一過性?3年も経つのに?
その日も一通りカウンセリングを行い、
形ばかりの「長期戦になるかも知れないけど、きっと時間の経過と共に良くなります」の言葉を受け取ったあと綾子は隆弘と共に会計と薬を待っていた。
会計が少し混んでいるようでいつもより待たされている。何気なく天井を見上げる。
天使のモビールが目に入る。あどけない赤子の、裸の天使。綾子がここに通うようになってから幾度となく目にしてきたモビール。
3年。
この時間に何ができたろう。
子どもをもうけることもできたかも知れないし自分が働きに出て隆弘の助けになることもできたかも知れない。
胸にチクリ、ととげが刺さる感覚がして綾子はモビールから目をそらした。
ここは、嫌いじゃない。綾子の好きな空色を基調とした落ち着いた色合いの壁。床は院長の趣味なのかモザイク張りのカラフルなタイルがあちこちに施されている。
一言でいえば、「患者の目に優しい落ち着いた空間」なのだろう。
ふと、視線を感じて隣を見ると隆弘が沈痛な面持ちでこちらを見ていた。
「不安かい、綾子。」
その瞳は綾子の心を探るような⸺温かい眼差し。
この人は、私のために無理に木曜にお休みを取ってくれている。サラリーマンが平日休むというのはとても大変なことだ。不安にさせてはいけない。
「いいえ。長谷川先生はこの道の第一人者だもの。信頼関係も築けたし大丈夫よ。」
だからそんな顔しないで、と続けようとしたときに院内の調剤薬局から声がかかった。
「早乙女さん、お薬ができてます」
ふと、気づく。
いつものベテラン薬剤師の声ではない。
世間話の好きなあの初老の女性は、今日はいない。
「前任の神崎は高齢のため職を辞しました。僕は新しい薬剤師です。柊といいます。」
軽くパーマを当てた不健康そうな目の、長身の男性。綾子より少し、若いだろうか。
「柊さん、ですね。よろしくお願いします。」
ふと、柊が差し出した薬袋をに目を落とすと柊は黒の手袋をはめていた。おそらくは、シルクの。
手が荒れてしまうのかしら⸺そんなことを考えていると隆弘に声をかけられた。
「綾子。行くよ。疲れたろ、今日は外食にしよう。」
その声に慌てて振り向くと隆弘がすぐ後ろに立っていた。
「あ、ごめんね隆弘。薬剤師さんが変わったみたいで。ご挨拶してたの。今行くわ。」
パタパタと小走りで夫について行く綾子を、柊は軽く会釈をして見送った。




