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夢の監獄  作者: とみこ
18/19

ゲームオーバー

「隆弘、どうして…。」

掠れた声。綾子が紡いだ精一杯の一言。


隆弘はスーツのポケットからスマートフォンを取り出し、綾子に突きつけた。

位置情報⸺。

すっかり失念していた。

綾子が夢遊病に悩まされた当初⸺今は小さな南京錠がそれを防いでいるが⸺外まで出てしまったことがあった。その時に入れた位置情報共有アプリ。


隆弘はチラ、とテーブルにおいてある手書き伝票を見ると財布を取り出し、一万円札を置いた。


「帰ろう。綾子。」

その声には感情が一切込められていない。

「待って、隆弘。違うの、これは…。」

綾子は椅子のフチを掴んで少しの抵抗をする。

が、返ってきたのは同じ言葉。


「帰ろう、綾子。」

隆弘は柊には一瞥もくれず、ただ綾子だけを見ている。

手を引かれてよろけそうになりながら立ち上がる。そのままツカツカと小さな喫茶店のドアまで来たときに綾子は柊の方を振り返った。懇願するような瞳。


柊はただ眉をひそめ、2,3回フルフルと顔を横に振った。

ゲーム・オーバー。

喫茶店のドアベルがカランコロンと鳴る。

綾子が入ってきたときのような軽快な音ではなく、どこか乾いた音が響く。


(綾子さん⸺)

柊は天を仰ぎ、これから綾子に起きるであろうことをただ案じることしかできなかった。


綾子を乗せた隆弘の車は、そのまま日の暮れ始めた町並みを走っていった。



「隆弘!待って!ねえ!私の話を聞いて!」

空の色はコバルトブルー。鈍色の陰鬱ささえ感じさせる夜空。もう何時間こうしているのだろう。


隆弘の車は首都高をひた走っていた。


「ねえ…違うの…柊さんが好きとかそういうことじゃないの…隆弘…聞いて…。私は…」

隆弘は何も言わない。

ただ、ハンドルを固く握りしめ前だけを見ていた。


か細い声で呟く綾子を無視して車は都心のラブホテル街へ。やや乱暴に車を停めて、隆弘は綾子をひきずり降ろした。

「行くぞ」


⸺その目は、もうなにも喋るなという圧と嫉妬が入り乱れた⸺そんな眼差しだった。


チープな装飾の部屋に入るなり胸ぐらを掴まれた。

殴られる!!

そう思い思わず体が強張る。綾子は目をぎゅっとつむり歯を食いしばって衝撃に耐える準備をした。


が、痛みは飛んでこなかった。

「…ふッ…」

代わりに綾子に襲いかかったのは脳髄まで蕩かすのではないと思うほどの熱いキスだった。

出会って16年。結婚して8年。嫌というくらい隆弘は綾子の身体を熟知している。どんなふうに口付けたら綾子が蕩けてしまうのか。どこに触れたら綾子が嘉がるのか。


酸欠になるのではないかというほど長い長いキスのあと、涙目の綾子を隆弘はそっとベッドに連れて行った。


「綾子。」

全てを圧倒する重みを含んだ声。

知らない。私はこんな隆弘を知らない。

「綾子、目を閉じて。両手を出すんだ。」

言われるがままに目をそっと閉じ、おずおずと両手を差し出す。

と、手首に強烈な違和感が走った。

「⸺え…?」

綾子の両手首は、細いロープで拘束されていた。

「最初からこうしておけばよかったね、綾子。」

隆弘は微笑んでいる。否、その目は先程と同じ、狂気にも似た嫉妬を孕んでいる。

綾子の首筋は汗ばんで⸺それでも総毛立つような冷たさを感じていた。


そのまま綾子は拘束された手首を掴まれ、押し倒された。


「待って!ねえ!せめてシャワーを⸺」

「どこに触れられた?」

綾子の言葉を遮り、重たい一言が降りかかる。

「あの男に、どこを触られた?全部俺が上書きする。全部。」


ゾッとするような響きをもった声で隆弘は綾子にそう告げた。


「違うわ!柊さんには相談にのってもらっていただけ!わたしはわたしの抱えてるものの正体が知りたいの!!もう3年よ!?毎晩フラフラと彷徨って!!ねえ!隆弘!聞いて??不貞なんかしてない。誓ってしてないのよ!」


隆弘はなにも言わない。もはや悲痛な叫びをあげることしかできない綾子の⸺まるで、狩人に捕まった野うさぎのように丸くなって震える綾子の身体をほぐしていく。


「待って⸺待っ…あっ…」


快楽の波に飲まれそうになりながら綾子は必死に思考を巡らす。私だ。私がこの人を傷つけた。どうしたらいい?どうしたら…


綾子は一切の抵抗をやめた。ただ隆弘を受け入れることにした。

私がいけない。この人を、騙すようなことをしたから。私が⸺。


二人の息遣いが荒くなる。

と、隆弘の動きが止まった。


「え…?」

思わず隆弘の顔をまじまじと見つめる。泣き出しそうな子供のような顔。


「ごめん…どうかしてる、こんなの。ごめん…泣かせるつもりはなかった」


そう言われてやっと気がついた。自分の頬に涙がつたっているのを。

手首の拘束が解かれる。


「頭、冷やしてくる…ごめん…」


そう言ってシャワールームに入っていく隆弘の背中を、綾子はただ見つめることしかできなかった。

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