罪悪感、或いは高揚
その日から綾子はそわそわと、マメにスマートフォンのチェックをするようになった。⸺もちろん、隆弘の目の届かないところで。
その中でいくつかの取り決めを作った。
・柊からのメッセージは必ずミュートにしておくこと。
・隆弘の前でスマートフォンをいじらないこと
・メッセージを送るのは綾子は隆弘が出社してから帰るまでの時間に。柊は隙間をみて。
嗚呼。
なんて焦れったいの。
便利な文明の利器スマートフォン。
通知一つで心弾んだり、またはその逆だったり。
綾子は隆弘のいない時間にメッセージを送り、そわそわと返事を待つようになった。
特に理由もなく家の中をうろついてメッセージアプリを開いてみたり。
(昔は、こんなに便利じゃなかった。メッセージアプリなんてものもなかったし⸺大事な用事は何度もセンター問い合わせをしたり…それに比べたら遥かに便利になったのに。)
隆弘とメールのやり取りをしていた若い頃を思い出す。
(あのときもセンター問い合わせをしていたな…)
不意に胸にチクリ、とよぎる罪悪感。
やましいことをしているわけでは決してない。
ただ⸺私は私の過去を知りたいだけ。そこに、夢遊病の鍵があるのだとしたら自分でそれを拾い上げて、もう隆弘を巻き込んで苦しみたくない。それだけ。自分のためだけじゃない、大切なあの人の⸺隆弘のためでもあるのだから。
そう自分に言い聞かせる。
だがそう自分に言い聞かせる度に、胸の棘は消えるどころか増える一方だった。
同時刻、クリニックの調剤室。
柊は極めて事務的に綾子に連絡をする。忙しい時間の貴重な休憩を利用して、或いは狭いワンルームの自室で、綾子に連絡を入れる。
すぐに返事が来ないことは分かっている。
あの愚直なまでに過保護な綾子のナイト⸺隆弘に感づかれないために
「俺からの連絡はミュートにしてください」
そう言ったのは自分なのだから。
それでも、どうしても。
スマートフォンがブブ、と震えるたびにびくりとしてしまう。
綾子からの連絡だったときは一種の高揚感すら覚えた。
(俺は⸺彼女の助けになれるのだろうか。いやそれ以前に…俺は、彼女を助けることで自分が救われたいんじゃないのか?)
綾子のメッセージを見るたびにそう思う。
黒い手袋を外して、文字をなぞる。
無機質なその端末は何も応えはしない。
「メッセージを削除しますか?」の文字が出て慌ててキャンセルを押す。
そんなことを幾度繰り返しただろう。
そして長い長いやり取りの末に、土曜日。
木曜に休みを取っている隆弘が代わりに出社している、そしてクリニックが午前で閉まる土曜の午後に会う約束を取り付けた。
「駅の東口に小さな喫茶店があります。カフェ・リリィ。そちらで土曜の13時半に会いましょう。地図を送っておきます。確認したらこのやり取りはすべて消去してください」
散らかった自室でそう打ち終わると、柊は深いため息をついて、ソファにどっかりと身を投げた。




