冬に咲く花
真っ白く咲く、冬の花。
痛いほどに冷たい風の吹く世界。
野鳥の鳴き声も消え、虫も鳴かない、すべての生命が死に絶え、冷たい静寂に包まれたこの世界で、美しい花を咲かせるその悲しい――、生きるっていうこと――。
あの時、圧倒的に上の立場で私を見下し仲間外れにしていたあの人は、今、私よりも弱い立場になって私の前に立っていた。
人の悲しさ。それは冬の冷たさに似ている――。
ストーブのない冷たい部屋。
孤独――
「寂しくないの?」
「寂しさなんて、もう忘れてしまったわ」
この冬の冷たさにも、孤独の寂しさにも、もうどこか慣れてしまっている自分が怖い。
聞く度に、堪らなく悲しくなる曲がある。冬の冷たさに染み入るように、その曲は私を切るように切なくさせる。
でも、冬になると、なぜか私は、その曲を求めるように必ず聞いてしまう。
すべてに疲れてしまって、もう、何もできないって時、そこに冬の冷たさが追い打ちをかける。
冷たい部屋で凍えている孤児のように、私は知っている。この世界は絶望だってことを――。
だから――、私は、心に植えつけられた種が発芽し、その綿のような細い根が私を徐々に浸食して侵していくみたいに、真っ暗な冬の鬱に沈んでいく――。
豊かさは人を傲慢にする。
戦後私たちは何を手に入れたのか。
欲望を煽る色とりどりの広告たち。私たちはそんなものたちに絶え間なく無防備に晒され、魅惑されている。
心、温かい関係性、やさしさ、思いやり、安心――、物質的な何かをたくさん手に入れ、でも、もしかしたら、私たちは失うものの方が多かったのではないか・・。
最近、ふと思う。
でも、私たちは、これ以上また何かを失うと分かっていても、この行き過ぎた発展をとめることができない。
心を失っていく日々――。心を失ってしまった人たち――。でも、私の心にはまだ温かい血が流れている。
温め直したスープの温かさに癒されて、でも、この温かさは長くは続かないことを私は知っている。
そんな何かを失うことの寂しさを、私はどうすることもできずに、無力にただその場に立ち尽くし呆然と見つめている。
やさしさを失っていく自分が怖い。
あまりにも冷たい人生――、でも、あの人のあの温かい思い出があったから私はここまで生きて来れた。
私の幸せが誰かの不幸だった関係性。私の不幸が誰かの幸せだった関係性。私はそんな中で生きて来た。
私の幸せは誰かを傷つける。その罪悪感に、私は立ちすくんでしまう。
「みんな死ねばいい」
心の底からそう思ったあの時。私ははっきりと狂っていた。今ならそれが分かる。
あまりに美しい蝶は、生きたまま標本にされてしまう。それは幸せなこと?それとも不幸なこと?
もうすぐ読み終わる本。本は曖昧で漠然とした世界を言葉にしてくれる。
でも、同時に本は言葉に私たちを縛りつけてしまう。
心を失ってしまった方が楽になるのではないか。そんなことをふと考えてしまう瞬間。
私ははっきりとあなたが嫌いだった。
愛しているという闇の中に、その身のすべてを横たえて、重力に任せて私は落ちていくところまで落ちていく。
そんな人生でいいのだと、私は本気で思ったことがある。
私を冷たく捨てたあの人は、いつの日か私を少し後悔を滲ませながら懐かしく思い出す時があるのだろうか・・。
悲しくて悲しくて、あまりに悲しくて、絶望しか感じない絶望の中で、それでも生きて生きて、でも、自ら死んでいったその人を、自ら死ぬほどの苦しみに耐えたその死ぬまでその苦しみの中で生きたその人生を、その死ぬまでの時間を生き抜いたその生を、私は肯定してあげたい。
若くして、自死した芸術家の名を知ると、私は不思議と元気が出た。私も死のう。そう思えた。そこには、美しく完璧な救いがあった。
それはとてもいい映画だった。やさしくて、時にコミカルで、でも、最後はどこか寂しくて悲しい。
とてもいい映画を見ていると、たくさんの素晴らしい言葉が次々と浮かんで来る。
多分、そんな言葉たちが、美しい詩になっていくんだと思う。
先生たちの言う正しい大人になった級友たちは今、原発を動かしている。
人の痛みを知らないあの人は、今も笑っている。それが本当の笑顔ではないと一生知ることもなく。
あの本の末尾に写る哲学者の顔。それは完全に狂人のそれだった。
標準的な愛でいい。でも、それすらが今はもう手に入らない貴重品。
あの時代、そこには人がいた。でも、今はいない。人はどこにもいなくなってしまった。
みんな苦しんでいる。
何でみんな、そんなに苦しんでいるの?
心の薬を飲まなければ生きていけない毎日。
鬱になって、薬に依存して、
そして、ある日、自ら死んでいく。
何でこんなことになってしまったの?
何でこんな世の中になってしまったの?
幸せに、幸せになるはずだった戦後高度経済成長のその後――、私たちは今――、どこに立っているのだろうか――。
人間は五感でしか世界を見ることができない。私たちは本当の世界を見ることが出来ない。私たちは永遠に真実を知ることのない間違った生を生きるしかない。
今日も意味のない一日が終わっていく。虚しさしかない一日の終わり。
使用時間の過ぎたホッカイロの、でも、まだ温かいその温もりのような頼りない曖昧なやさしさに、私は時に傷ついている。
私は入口すらが分からない。友だちの入口。仲間の入口。社会の入口。大人の入口。生きていく入口。死ぬ入口。だから、私はいつも一人だ。
九十%を切ったら、私は充電器にスマホを差し込む。どうでもいい、私のルール。
私は弱い。
卑屈な愛想笑いばかり覚えて、気づけば私はそれしかできなくなっていた。私の中身は空っぽだった。
それが私の生きるってことだった。
私は、今、どこにいるんだろう。もう私は、私が今どこにいるのか分からない。
なんて悲しいんだろう。自分で自分を哀れに思う人生。
一日、一日、冬の日が過ぎて行く。しかし、そのあまりの長さに私は不安になる。本当にこの冬は終わるのだろうか。
冬の冷たさが、身に染みて辛過ぎて、辛過ぎて、もうどうしようもなくて、私は幼い子どものように震えている。
この街に漂うのは、冬の冷たさばかりではない。
私が意図せず傷つけてしまったあの人たちは私を許してくれるだろうか・・。
世界は静かに終わっていく。何の音もなく。
この冬の冷たさのように――。
おわり




