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道中

 ガタガタと、ひび割れた舗装路を走る定期バスの振動が、ハルの背中を無慈悲に叩く。車内は家畜の匂いと安物の煙草、そして人々の不安が混ざり合った、淀んだ空気が満ちていた。

「……ウィン、前を向きな。あまりキョロキョロすると、却って目立つわよ」

 ハルが銀灰色の三つ編みを揺らすことなく、隣に座る少年に声をかけた。声には抑揚がなく、まるで冬の湖面のように冷ややかだ。十二歳のウィンは、膝の上に置いた古びた鞄を強く抱きしめ、こわごわと頷いた。その鞄の中には、帝国が「輸送中」だと思い込んでいるはずの、そして今やウィンの所有物となった「シャード」が眠っている。

 通路を挟んで隣の席では、ローランドが分厚い帳簿を熱心にめくっていた。その身なりは小綺麗な商人のそれであり、先程までの食えない策士の顔は綺麗に消え失せている。

「お二人とも、リラックスを。我々はただの、病弱な妹を連れた行商一家ですからね。……おや、見えてきましたよ」

 ローランドが窓の外を指差す。前方の路上には、帝国の象徴である双頭の鷲が描かれたバリケードと、重武装した兵士たちの姿があった。

 バスが軋んだ音を立てて停止した。扉が乱暴に開かれ、軍靴の音が車内に響き渡る。

「全員、身分証を出せ! この先で軍の重要物資を積んだ輸送列が立ち往生している可能性がある。付近を通った不審な者はすべて連行しろとの命令だ!」

 指揮官らしき男が苛立ちを隠さずに怒鳴る。彼らはまだ、自分たちが守るべき「シャード」が、目の前の少年の鞄にあるとは夢にも思っていない。ただの行方不明事件の調査として、ピリついた空気が流れている。

 兵士の一人が、魔導センサーを手に車内を進んでくる。ウィンが隣のハルの服の裾をぎゅっと掴んだ。少年の心臓の鼓動が、静かな車内でやけに大きく聞こえる。彼が宿した「イドゥン」や「ミューズ」の加護が、主の緊張に呼応してマナを漏らさないか――その恐怖が、彼を震わせていた。

「次だ。お前ら、身分証を」

 兵士が彼らの席の前で止まった。ローランドが愛想の良い笑みを浮かべ、偽造された通行証を差し出す。

「はい、どうぞ。東方東方へ薬草を仕入れに行く途中でしてね。こちらは私の妹のハルと、弟のウィンです」

「……東方だと? 峠の方で何か見なかったか。巨大な装甲車両や、軍の信号弾などだ」

 兵士の問いに、ローランドはわざとらしく小首を傾げた。

「いえ、特には。霧が深かったものですから、何も見えませんでしたよ。何かあったのですか?」

「……貴様に教える必要はない。おい、その女。顔を見せろ」

 兵士が銃身の先でハルの肩を小突こうとした瞬間、車内の空気が凍りついた。物理的な温度ではなく、存在そのものが拒絶されるような、刺すような冷気。

 ハルはゆっくりと顔を上げ、兵士を真正面から見据えた。感情を一切排した、硝子玉のような瞳。

「……寒い。窓を閉めて」

 ハルが呟いた。その声はあまりに虚無的で、兵士は思わず一歩後ずさった。

「な、なんだ、こいつの目は……。人間か?」

「申し訳ありません! 妹は幼い頃に酷い熱病を患いまして、それ以来、感覚と感情が麻痺しているのです。冬でもこうして、震え一つ見せませんが、ただの病後です」

 ローランドがすかさず割って入り、さりげなく兵士の手元に数枚の硬貨を滑り込ませた。それは帝国の公用通貨ではなく「銀貨」だった。

 兵士は硬貨の感触を確かめると、忌々しそうに吐き捨てた。

「……ちっ、気色の悪い病人が。センサーを当てろ、異常がなければさっさと通せ」

 別の兵士が魔導センサーをウィンに向けてかざした。ウィンの背中に冷たい汗が流れる。

(まだ、バレてない。帝国は長虫がやられたことを知らないんだ……。なら、落ち着け。僕が普通にしていれば、この子は反応しないはずだ)

 ウィンが目を閉じて必死にシャードを宥めようとした時、ハルがそっとウィンの肩に手を置いた。

 瞬間、ウィンの身体を包んでいた緊張が、急速に吸い取られていくような感覚に陥った。ハルの「感情の欠落」が、ウィンの恐怖やマナの昂ぶりさえも肩代わりし、塗り潰しているようだった。

 センサーの針は、ピクリとも動かなかった。

「……チッ、反応なしだ。異常なし。おい、出発させろ!」

 兵士たちが降りていき、しばらくしてバスのエンジンが再び回り始めた。バリケードを通り抜け、兵士たちの姿が豆粒ほどに小さくなるまで、車内には重苦しい静寂が続いた。

 数分後、ようやくローランドが深く息を吐き出した。

「ふう……危ういところでした。帝国はまだ、長虫が鉄屑になったことも、シャードが奪われたことも『想定外』のようです。彼らにとって、あの兵器が敗北するなどあり得ないことですからね」

「……傲慢は、隙を作るわ」

 ハルが窓の外、遠ざかる検問所を見つめて呟いた。その表情に安堵の色はない。

「ハル……ありがとう。助かった」

「……お礼はいらないわ。ウィン、鞄をしっかり持って。帝国が『真実』に気づいた時、次の検問はこんなに甘くはないから」

 ハルが手を離すと、ウィンの身体にようやく体温が戻ってきた。

 帝国はまだ知らない。自分たちが誇る「長虫」が撃破され、その心臓部であるシャードが、今このボロいバスの中で揺られていることを。

 三人は束の間の勝利を胸に秘め、反撃の地となる東方アガルタへと向かって、荒野を突き進んでいった。

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