緑の継承
吹雪はやんだ。
静寂が戻った峠は、死の世界を思わせるほどに白く、そして冷たかった。遮るもののなくなった冬の月明かりが、荒れ狂う風によって削り取られた雪原を青白く照らし出している。その極寒の静寂の中で、ハルは今も低く振動音を発しているリアクターに注意を向けた。
重厚な魔導機械の奥底、鋼鉄の肺が喘ぐような低い唸り。この中には、今も魔法的な力を不自然な形で吸い出されている「何か」があるはずだ。元々、リアクターは外部からの干渉を防ぐため、物理的にも魔術的にも簡単に中身を取り出せない堅牢な構造を持っている。ましてや、先程の激闘で放たれた加護の衝撃は、リアクターの基盤を歪ませ、安全装置を物理的に固着させてしまっていた。
ハルは腰のベルトから二本目の手斧を無造作に引き抜いた。精霊の加護によって凍てつく外気から肌を護られている彼女にとって、指先を凍らせる夜風も、刃先をにぶらせる零下の気温も、ただの背景に過ぎない。彼女の瞳には、目的を完遂しようとする冷徹な意思だけが宿っていた。
刃を装甲の隙間にねじ込み、ハルは力づくでリアクターをこじ開ける。軋みを上げる金属音、火花。腕力に任せること、しばし。火花が散り、熱を失った油と冷気が混ざり合う。
ついに千切れた接合部から、リアクターの中身を引きずり出す。
中では緑色の宝玉が、脈動するように淡い光を放っていた。
過去に死んだ神々の力の一部、シャードだった。莫大なマナを秘め、自らの意思で主を選び、戦いにおいては三つの力を貸すという。この力を持つ者はクエスターと呼ばれ、この世界、ミッドガルドを救済する為に日々を費やすのだ。真帝国は先の皇帝の命によりシャードを集め、このリアクターを始めとするカバラ技術に使用しているのだ。
シャードを帝国に差し出せば莫大な褒賞を得られる。しかし、大半の者は帝国から追われる事も厭わず、クエスターの道を選ぶのだ。
「シャードか」
ハルの声には、驚きも、あるいは歓喜もなかった。ただ事象を確認するだけの淡々とした響き。マナを集めただけのクリスタルや、奈落の力の顕現のひとつアビスシードと違い、自らの意思で主の元へ転移するシャードがここから動かないという事は、ハルはひとつの仮説を立てる、簡単なものである。中身も立証方法も、だ。
「ウィンちょっと来い」
呼ばれた少年、ウィンは、膝まで埋まる新雪をかき分けながら、恐る恐る近づいてきた。その頬は寒さで赤らみ、吐き出す息は真っ白に凍っている。
「なに? 宝物の鑑定かい」
震える声で軽口を叩こうとするウィンだが、その瞳にはリアクターの残骸から溢れ出す緑色の輝きが、抗いがたい引力として映っていた。
「あの宝玉だ」
ハルの視線に促され、ウィンが半信半疑のまま手を伸ばすと、宝玉はまるで重力から解き放たれたかのように、吸い寄せられ、飛び込む様に、ウィンの手におさまった。
「なに、これ浮かんだよ、大丈夫なの?」
予期せぬ衝撃に足を取られ、雪の上に尻もちをつくウィン。少年の目の前で宝玉、いやシャードは、まるで彼を見守るかのように空中に静止し、浮いていた。その光は、凍てつく雪原で今にも消えそうなウィンの命の灯火を、温かく包み込むような錯覚を抱かせる。ウィンは呆然としていた。これが伝承に歌われ、帝国が血眼になって探し求めている力なのか。
「よかったなウィン、シャードはお前と一緒に旅したいそうだ、そいつを差し出して帝国に従うか、牙を剥くか早めに選べ」
「そんな、おれ、まだ十二だよ」
戸惑いと恐怖がウィンの顔を覆う。ただの遍歴の少年として過ごしてきた彼にとって、世界を救う義務も、帝国に追われるリスクも、あまりに巨大すぎて現実味を欠いていた。しかし、ハルは容赦なく言葉を重ねる。
「私が精霊に『食われた』のも、十二歳だった。まあ、早目だが、早すぎる訳ではない。選べ、成り行きで流されると、後悔するぞ」
感情の欠落したハルの言葉は、冷酷な宣告のようでありながら、奇妙なほど実感を伴ってウィンの胸に突き刺さった。運命はいつも唐突で、年齢など配慮してはくれない。ウィンは冷たい雪の上に座り込んだまま、掌の中で脈打つシャードを握り締める。緑色の光が指の間から漏れ、少年の瞳を照らした。
どんな、力があるんだ、そう心の中で問いかけていた。
シャードが与える加護は───
癒す力、イドゥン。
勇気の歌、ミューズ。
加護の加護、ブラギ。
───の、みっつであった。
その知識が直接脳裏に流れ込んできた瞬間、ウィンの表情に落胆の色が混じる。伝説の力というからには、地を割り、敵を焼き払うような強大な魔術を期待していたのだ。
「自分で戦えないんだ、ちょっとガッカリ」
唇を尖らせて不満を漏らすウィン。しかし、ハルはそんな少年の感傷に付き合う余裕はすでになかった。彼女は重い腰を上げようとして、わずかに体勢を崩した。
「売り払うか? ひとつ頼みがある」
「ナニ?」
「イドゥンでこの傷を治してくれ、血を流しすぎたようだ」
ハルは雪を緋に染めた。




