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ドレイコ峠を目指して

──レバートは大したヤツだった。ヤツはシュヴァルツァー・ヤックが好きだった。

親父がそう切り出したのは、情報料として差し出された銀貨三枚と銅貨四枚の重みを、皺の刻まれた掌でしっかりと確認してからだった。

ハルは三杯目となるゲフランダー・アプフェルエールの陶器製ジョッキを片手に、長い夜を有効活用しようとする親父の弁舌が、ようやく本題に入るのを待っていた。

酒場の内壁には、数十年分の煤と脂が幾層にも重なり、光を吸い込むほど黒ずんでいる。外では冬の夜風が獣の咆哮のように吹き荒れ、時折、氷の粒がつぶてとなって窓を叩く音が室内に響いた。隙間風が鎧戸をがたつかせ、そのたびに店内のわずかな熱が奪われていくが、ハルの頬は赤らむこともなく、ただ乳のように白い。暖炉で爆ぜる薪の火が、彼女の左右で色が異なる「ヘテロクロミア」の瞳の奥に、無機質な光を投げかけていた。

──強いだけが売りのラムに、甘ったるい黒砂糖をジャリジャリする程放り込み、仕上げに薫る程度に赤唐辛子を振る。それを一杯引っかけるだけでヤツは元気百倍、ドラゴンにでも立ち向かって行った。

どうやら、使い古されたハンターの武勇譚らしい。ウィンならば、もう少し起伏のある、聴衆を飽きさせない語りをするだろうという予測が、ハルの思考回路の端を掠める。ハルにとって、物語の劇性や英雄的自己犠牲は解釈不能なノイズに過ぎない。

ハルは足下で眠る少年の肩に、使い古されたボロ毛布をかけ直した。その動作に慈しみや優しさの端緒はなく、単に「同行者の体温を維持し、明日の行軍の効率を落とさない」という目的に基づいた、最適化された処置に過ぎない。

彼女は親父の誇張に満ちた言葉の隙間から、必要な情報だけを抽出していく。ドレイコ峠、近道、そして障害。心の中に描かれた簡素な地図に、ドレイコ峠を抜ける経路が刻まれていく。どうせ、ハンターの武勇伝ならば、いずれ怪物が出るのだろう。物語の定石としてではなく、生存圏の拡大に付随する生物学的接触の記録として、ハルは次の情報を待つ。

──見よ! 天空のくちなわを、身体の半ばを鋼に置き換えし、手足なき長虫パンツァーヴルムを。

親父の声が一段と低まり、酒場を支配する沈黙が深くなる。窓の外で吹き荒れる吹雪の音が、まるでその「長虫」の羽音のように重く響いた。

──大空の鉄のまなこを。レバートは驚かず、騒がず、背負ったライフルを音もさせずに、肩につけた。呼吸と共に引鉄を落とし、雷神トールの加護を祈った。右の翼の根元を抉り、全身を覆う鋼鉄の鱗を逆立たせ、天空から引きずり下ろした。

親父の身振り手振りに合わせ、煤けた壁に映る影が不気味に蠢く。ハルの視線は、親父が描く空想の軌跡を冷ややかに追っていた。鋼鉄の鱗、飛行能力、特定の急所への打撃。それは彼女にとって、倒すべき対象のスペックデータであり、それ以上の意味を持たなかった。

しかし、レバートは運なく、長虫の下敷きになり命を落とす。人の子よ竜に触れることなかれ。

語り終えた親父は、安っぽい物語の終幕に相応しい拍手か、あるいは戦慄した溜息を期待して、ハルの顔を覗き込んだ。だが、ハルが手にしていたのは感嘆ではなく、純粋な演算だった。推定される外装の硬度、ライフルの貫通力、そして墜落後の物理的質量。ドレイコ峠における迎撃の有利性と、地形による回避不能領域の算出。親父が物語の余韻に浸る間、ハルは攻略手順を考えるのに頭脳をフル回転させていた。

「この事件が起きたのは八月の事だ、大体半年前だな。それから峠を通ったやつはいない。街道で十分だったが、その街道が閉鎖されるんじゃな」

「巡り合わせが悪かったか」

ハルは親父に、焼き林檎を朝食代わりに注文した。思考を維持するには糖分と熱量が必要だった。

「行くのか」

親父は疑問ではなく、死地へ向かう者への確認の言葉を発した。

ハルは無言でウィンの肩を揺すり、まどろみの底から連れ出した。寝ぼけ眼の少年が何かを言いかける前に、彼女は手際よく荷物をまとめ、旅の準備を完了させる。

カウンターに運ばれてきた二つの焼き林檎には、脂質の高い甘いチーズがたっぷりととかしかけられていた。凝縮された果実の香りと、発酵した乳製品の重厚な匂いが、凍てついた空気の中で白く立ち昇る。

「餞別だ」

「感謝」

ハルの返答には一片の揺らぎもなかった。彼女にとって、それは「贈与」という親愛の情ではなく、「補給」という利害の一致として処理された。

「なんか知らないけど、ありがとう、おじさん!」

ウィンが元気よく声を上げる。その対照的な二人の後ろ姿を、親父は複雑な面持ちで見送った。

外は、夜と朝が混ざり合う「ブルーアワー」の静寂に包まれていた。藍色の空から、薄灰色の光が雪原に降り注いでいる。踏みしめる新雪は硬く凍り、一歩ごとに結晶が砕ける鋭い音が鼓膜を打つ。吐き出す息は即座に白く凍りつき、睫毛まつげに霜を付着させた。ドレイコ峠までは急げば、歩きでも二時間程度。気温マイナス十二度。ハルは風向と体温の推移を計算しながら、一切の感情を排して歩を進めた。

親父がしばし、雪の中に消えていく二人の後ろ姿を見送った後、自分の分の賄いを準備しようと火に手をかけた時だった。

玄関の分厚いオーク材の扉を、激しくノックする音が響き渡った。

「開いてるよ」

親父はこのノックの主が、街道の閉鎖解除を告げる伝令という事をまだ知らなかった。

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