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崩壊

 轟音。それは世界の終わりを告げる断末魔に似ていた。

 カジュナートがいた足場は完全に崩落し、実験ホールの巨躯は自らの質量に耐えかねて、底の見えない深淵へと沈み込んでいく。支柱を刃桜はざくらで断ち切ったローランドは、跳躍の余韻もそのままに、傾いた床を滑り落ちていた。

「おっと、これは失礼。思ったより脆い造りですね。ヤシマの城なら、こうも簡単には崩れませんよ」

 ローランドは穏やかな口調で言いながら、愛刀を鞘に収める。鋼を鍛え上げただけの物理の極致。その一振りがもたらした崩壊の結果は、皮肉にも彼自身の足場をも奪い去ろうとしていた。

 一方、ハルは崩壊の只中で、依然として人形のような無機質な表情を崩さずにいた。彼女の槍の先からは、先ほどまで放たれていた精霊の光が、まるで灯火が消えるように静かに失われていく。

「ウィン。叫ぶのは無意味だ。エネルギーの無駄だ」

 平坦な、凍った湖面のような声が響く。隣で腰を抜かし、叫び声を上げようとしていたウィンに対し、ハルは淡々と事実のみを告げた。

「でも、ハルさん! 足場がもうないんだよ! 助からないよ、これじゃ!」

「騒ぐな。死ぬ確率はゼロではない。事実だ」

 ハルはウィンを見ようともせず、ただ崩れゆく天井を見上げた。その瞳には死への恐怖も、生への執着も、あるいは後悔の片鱗すら見当たらない。感情を喰われた彼女にとって、墜落という結末もまた、単なる「事象」の帰結に過ぎなかった。

「予定が変わった」

 ハルの言葉と同時に、崩壊する天井を突き破り、巨大な影が舞い降りた。

 それは、空を征く鉄の巨鳥。漆黒の船体の飛空船――『虚無の翼号』である。

 船体下部のハッチが強引に開放され、凄まじい風圧がホール内に吹き込んだ。舞い上がる粉塵を切り裂き、飛空船から複数のワイヤー付きフックが射出される。

「ウィン。これに縋れ。落ちれば死ぬ」

 ハルの短い、だが断定的な指示。彼女はウィンの襟首を掴むと、強引にその体を射出されたフックの一つへと放り投げた。

「わあああ! 投げないでよ、怖いよ!」

 ウィンは半狂乱になりながらも、必死にワイヤーに縋り付く。

 次いで、ハルは視線をローランドへと向けた。

「ローランド。自力で飛べ」

「ええ、承知いたしました。ですがハルさん、刃桜は意外と重いんですよ。ヤシマの誇りが詰まっていますからね」

 ローランドは優雅に一礼すると、崩れる瓦礫を足場に三段跳びの要領で宙を駆けた。重厚な装備を纏っているとは思えない、武芸の極みに達した者特有の軽やかさ。彼は空中で飛空船から伸びるタラップを掴み取り、力任せに自らの体を船内へと引き上げた。

 最後に残されたのはハルだった。

 彼女の足元はもはや存在しない。宙に浮いた瓦礫とともに、彼女の体も重力に従って落下を開始した。

 ハルは慌てることなく、空中で槍の石突きを操作した。精霊の力で周囲の冷気を収束させ、高圧にして真下へと放つ。それは彼女の体を浮かせるためのものではなく、落下速度をわずかに減じ、空中で自身の姿勢を「垂直」に固定するためのバラストとして機能した。

 無駄な機動は一切ない。

 飛空船から追加で放たれた回収用ネットが、正確にハルの体を捉えた。彼女は自らネットを掴むと、ウィンを回収したワイヤーと連動して、機械的な速度で船内へと引き上げられていった。

 船内に転がり込んだ三人を迎えたのは、飛空船の機関部が発する低い唸りと、オイルの匂いだった。ハッチが重々しい音を立てて閉鎖され、外の崩落音は遠ざかっていく。

 ウィンは床に大の字になって、激しく上下する胸を押さえていた。

「……た、助かった……。本当に、死ぬかと思ったよ……」

「騒々しい」言ってハルは自身の肉体を確かめる。まるで備品をチェックするような手際で、自分の生存を淡々と処理していく。

「ハルさん。お怪我はありませんか? 随分と荒っぽい搭乗でしたね。ネットに飛び込む判断、流石です」

 ローランドが歩み寄り、鞘から少しだけ刃を抜いて、刃桜の状態を確かめた。

「感情は不要な不純物だ。船が来た。乗った。それだけだな」

「相変わらずですね。光華こうかの導きを信じる私としては、もう少し運命に感謝しても良いと思うのですが」

 船体が大きく旋回し、高度を上げる。

 窓の外では、かつてカジュナートが野望を抱いていた施設が、巨大な土煙の中に消えていくのが見えた。そこにはもう、忌まわしい実験の痕跡も、すべてが瓦礫の山となって埋もれている。

「……これで、終わりなんだね」

 ウィンがようやく身を起こし、消えていく地上を見つめた。

「チェックポイントを通過した。それだけだ」

 ハルは窓に映る自分の顔を無機質に見つめ、言葉を続けた。

「次の目的地が設定された。ウィン、休む時間は無い。加速に備えろ」

「またそんなこと言うんだ。少しは余韻に浸ってもいいと思うんだよ……」

「無駄だな。時間は前方にのみ流れる。そうだろう、ローランド」

 ハルの問いかけに、ローランドは柔和な微笑みを浮かべ、鞘に収めた刃桜の柄を軽く叩いた。

「ええ、その通りです。止まっている暇はありませんね。次の戦場が私達を待っていますから」

 虚無の翼号は、崩壊する大地を背に、どこまでも広がる蒼穹へとその機首を向けた。

 エンジンが咆哮を上げ、三人の乗った船は光の彼方へと加速していく。

 そこには、ハルが失った感情の代わりに、ただ冷徹で確実な「次なる任務」への道筋だけが、凍った湖面のような平坦さで続いていた。



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