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脱出

 アガルタの夜は、生命の鼓動を拒絶した機械の唸りによって構成されていた。

 海を渡る隠密船が接岸したのは、公式な海図には記録されていない廃港――「鉄の墓場」と呼ばれる場所だった。かつては真珠の輸出で栄えたというこの港も、今や真帝国のカバラ技術が吐き出す廃液と、寿命を終えたリアクターの残骸が積み上がるゴミ捨て場と化している。

 空を覆う排気塔からは、重金属の混じった黒煙が止むことなく吐き出され、アガルタの星空を永久に覆い隠していた。

「……空気が重い。肺の奥が、焼けた油の匂いで焦げ付きそうだ」

 ハル・アレナディオは、銀灰色の三つ編みを湿った潮風に揺らしながら、廃工場の影からそびえ立つ摩天楼を見上げた。彼女の無機質な瞳には、街を彩る極彩色のネオンも、欲望が渦巻く狂乱の街並みも、ただの「排除すべき障害物」としてしか映っていない。

「ハル、大丈夫? 傷はもう痛まない?」

 ウィンは、脇に抱えた鞄を強く握りしめた。中には伝説の加護「シャード」が眠っている。時折、鞄越しに伝わってくる淡い鼓動は、少年に自分が選ばれた存在であることを自覚させ、同時に逃れられない運命の重さを突きつけていた。

「イドゥンは万全よ。ウィン、貴方が繋いでくれたおかげで、残っていた熱も引いたわ」

 ハルの言葉は、凍った湖面のように平坦だった。イドゥンの加護は、彼女が負った傷を跡形もなく塞ぎ、失われた血液を呼び戻していた。それは機能の強化でも肉体の書き換えでもない。ただ純粋な「生命の再生」。彼女は今、万全の状態で再び槍を振るうことができる――その一点だけが、戦う機械である彼女にとっての意味だった。

「さて、再会の感慨に浸る時間は短めにしておきましょう。アガルタの番犬たちは、鼻が利きますから」

 ローランドが、新しく手に入れたヤシマの業物「轟魔刀・刃桜」の柄を軽く叩きながら、闇の中から滑り出してきた。刃桜は、ただそこにあるだけで周囲の光を吸い込むような、恐ろしいまでの鋭利さを放っている。彼の眼鏡の奥にある瞳は、商人として振る舞う時とは異なり、冷徹な策士の光を帯びていた。

「ローランド、情報の精査は済んだか」

 ウィンの問いに、ローランドは不敵な笑みを浮かべた。

「ここから北へ三キロ。帝国軍の極秘研究区画『セクター7』です。カジュナート技術准将は、すでに最終カウントダウンに入っているとの噂ですよ。彼女が狙っているのは、単なる空間の転移ではない」

「彼女……。准将は女なのか」

ウィンの問に。

「ええ、極めて冷徹で、知性という名の狂気に憑りつかれた女性です」

 その言葉の重みに、ウィンは息を飲んだ。

「行きましょう。火が着く前に、導火線を切り刻むわ」

 ハルが背負った大槍の石突きを地面に立てると、周囲の空気が一変した。彼女が纏う精霊の気配が、湿った熱気を撥ね退け、鋭利な静寂を構築していく。

 三人は、音もなく廃墟を後にし、市街の死体の影を縫うように進んだ。

 アガルタの市街地は、異様な活気に満ちていた。カバラ回路が組み込まれた自動ドローンが頭上を旋回し、道行く人々はリアクターから供給される安価な魔力に依存し、その魂を削りながら日々を消費している。

 ウィンには、街の至るところから聞こえる「ノイズ」が不快でならなかった。それは、無理やり魔法を引き出されているマナの悲鳴のように聞こえた。

「ウィン、落ち着け。君のシャードが周囲のマナと共鳴し始めている。今は『隠蔽』をしろ。自分を、ただの風景だと思い込むんだ」

 ローランドの指示に従い、ウィンは鞄の中の輝きに語りかけた。すると、彼の存在感が希薄になるわけではない。しかし、通行人の視線が彼を通り過ぎていくようになった。

 研究区画『セクター7』の入り口は、巨大な鋼鉄の門によって閉ざされていた。周囲には、強化外骨格を纏った帝国兵が立ち並び、最新型の魔導センサーが侵入者を阻んでいる。

「正面突破は……賢明ではないわね」

 ハルが呟くと同時に、ローランドが前へ出た。

「ええ、ですから『誠意』の出番です。ハル、ウィン。五分後に、東側の排気塔で小規模な爆発が起きます。兵士の意識が逸れた瞬間、私があの門の物理的な脆弱性を突きます」

 予告通り、数分後に遠くの排気塔から火柱が上がった。

「何事だ!」「東側、班を回せ!」

 兵士たちの怒号と警報音が響き渡る中、三人は影となって動いた。

 ローランドが門の前に立ち、深く腰を落とす。刃桜が鞘からわずかに覗き、冷たい閃光を放った。

 一閃。

 凄まじい衝撃音が響き、鋼鉄の門が大きく震えた。刃桜の「物理的な切れ味」は、厚さ数十センチに及ぶ鋼鉄の閂を、一撃で断ち切っていた。魔法でも超常現象でもない。ただヤシマの刀匠が極めた、物質の結合を強引に引き裂く鋭利さのみによる物理破壊。閂が床に転がり、重い門がゆっくりと口を開けた。

「……お見事。ヤシマの鋼、恐ろしいわね」

 ハルが短く称賛し、三人は施設内部へと滑り込んだ。

 内部は、外の喧騒が嘘のような、無機質な静寂に支配されていた。壁一面に張り巡らされたカバラの神経系が、青白い光を明滅させている。

「急ぎましょう、ハル。マナの濃度が上がっている。リアクターが臨界点に向かっている」

 ウィンの言葉通り、最深部にある実験ホールでは、巨大な環状リアクターが唸りを上げていた。その中心には、高密度の魔力を秘めた「アビスシード」が鎮座し、禍々しい紫色の雷を放っている。

「……カジュナート。彼女の狂気が、形を成している」

 ローランドの声に、憎悪とは異なる、純粋な警戒が混じった。

 ホールの高台には、軍服を凛々しく着こなした、冷徹な美貌を持つ女性が立っていた。カジュナート技術准将。彼女は、眼下に広がる破壊の装置を、まるで愛しい我が子を見るかのような慈愛に満ちた目で見下ろしていた。

「ハルか」

「久しぶりね、姉さん」

 カジュナートが振り向く。その灰色の瞳は、ハルと同じように「何か」を失っていた。だが、ハルが感情を失った代わりに冷徹な守護を得たのに対し、この女性は狂信的なまでの知性をもって空虚を埋めていた。

「招かれざる客が来たようだ。ローランド、君の裏切りは計算内だが、その『欠陥品の女』と『泥棒の少年』を連れてくるとは、意外に叙情的だね」

「欠陥品か。その言葉、そのままお返しするわ」

 ハルが魔槍を構え、地を蹴った。

 彼女の身体は、残像を残してカジュナートへと肉薄する。だが、その進路を阻むように、床から複数の機械腕が飛び出し、高出力のマナを放出した。

「ウィン、イドゥンだ! ハルを支えて!」

「分かってる、ローランド! ……ブラギ、そしてイドゥンよ!」

 ウィンが叫ぶと、鞄から溢れ出した緑の光が、ハルの肉体を優しく包み込んだ。機械腕から放たれた熱線が彼女の皮膚を焼こうとする端から、イドゥンの慈雨が細胞を再生させ、痛みを消し飛ばしていく。

「ほう……。未熟なクエスターだが、シャードとの親和性は高い。純粋な再生能力だけで我が軍の最新兵器を無効化するとは。面白い、実に面白い実験データになりそうだ」

 カジュナートが優雅に指を鳴らすと、ホールの天井が開き、巨大な「何か」が降りてきた。

 それは、これまで遭遇した自立型魔導兵器をさらに大型化し、人型に近い異形の外装を施した、殺戮の完成形――人造巨人『アイアース』だった。

「……あれも、人造兵器なのか?」

 ウィンが震える声で呟く。

 そこにいたのは、最初から「殺戮」のために設計された、鋼の化け物だった。

「さあ、始めよう。アガルタの夜を、新世界の夜明けに変える祝祭を」

 巨人のアビスリアクターが猛々しく唸り、実験場全体が空間の歪みに震え始めた。

 ハルは光華を握り直し、ローランドは「刃桜」を正眼に構える。

 ウィンは、掌の中で脈動するシャードの熱さを信じ、強く前を見据えた。

 巨人の第一撃は、ホールの床を粉砕するほどの質量攻撃だった。

 ハルは最小限の動きでそれを回避し、巨人の脚部装甲へと槍を突き立てる。だが、厚い装甲は並の攻撃を跳ね返し、機械の巨体は微塵も揺るがない。

「ハル、右だ!」

 ウィンの叫び。ハルは空中で体を捻り、触手を槍の柄で受け流す。衝撃が彼女の手首を襲い、骨が軋む音がしたが、ウィンの「イドゥンよ」という短い言葉とともに、損傷は瞬時に修復された。

「ローランド、上だ! カジュナートが何かを起動させるぞ!」

「了解しました、ウィン! ハル、巨人の注意を引いてください。私が足元を崩します!」

 ローランドが「刃桜」を抜き放ち、ホールの支柱へと駆け上がる。

 一閃。

 鋼鉄の支柱が、斜めに断ち切られた。魔法的な干渉を一切排除し、ただひたすらに「物体を断つ」という物理現象を極めた刃桜の威力。支えを失ったカジュナートの足場が、轟音を立てて崩落し始めた。

「無駄なことを。この計画は、私一人が止まったところで終わるものではない」

 カジュナートは、崩れる床の上で優雅にバランスを保ちながら、手元の端末を操作した。

 リアクターの光が、青から不気味な赤へと変わる。

「一撃で決める!」

 ハルが槍を高く掲げ、全身の精霊(ウンディーネ)を一点に集中させる。

 ウィンは自分の限界を悟っていた。しかし、ここで引けばアガルタの街が消える。ハルが、ローランドが、そして自分が消える。

 彼は鞄の中のシャードに、自分の魂を差し出す覚悟で語りかけた。

「頼む……イドゥンよ! 俺の全部を使っていい。ハルを、勝たせてくれ!」

 シャードが、これまでにない激しい輝きを放った。

「全部自分で背負い込まないでブラギよ」

ローランドの声

 緑色の光は荒れ狂う生命の奔流となってハルへと流れ込む。

 ハルの武器が、純白の閃光を帯びる。

「……終わりだ、カジュナート」

 ハルが地を蹴った。

 それは、音速を超えた死神の刺突。

 巨人の胸部装甲が引き裂かれ、中央のメインリアクターが露わになる。

 ハルの槍が、その深淵を貫いた。

 凄まじい爆発音が響き渡り、実験ホールは白光に包まれた。

 光が収まったとき、そこには半壊した巨人とともに、息を切らして膝をつくハルと、彼女を支えるウィンの姿があった。

 高台では、カジュナートが崩れた瓦礫の中で、皮肉な笑みを浮かべていた。

「……計算外だ。まさか、クエスターの意志が、これほどのエネルギーを……」

「負けだ、カジュナート」

 ローランドが彼女の喉元に、血の汚れひとつ付いていない「刃桜」を突きつける。

 だが、准将の笑みは消えなかった。

「負け? いいえ、これはまだ始まりに過ぎない。真帝国は、すでに次の段階へと進んでいる。アビスシードは、この世界中に……」

 彼女の言葉は、施設の崩壊音にかき消された。

 アガルタの地下深く。

 三人は、辛うじてこの狂乱の夜を生き延びた。

 だが、彼らの戦いが、これからさらに大きな世界の渦へと飲み込まれていくことを、まだ誰も知らなかった。

 ウィンは、ぐったりとしたハルの手を握りしめる。

 ハルの瞳には、わずかだが、人間に近い「安堵」の色が浮かんでいた。

「……ウィン。ありがとう」

「いいよ。……行こう、ハル。ローランド。ここから脱出するんだ」

 崩れゆく施設を背に、三人は再びアガルタの闇へと駆け出した。

 星の見えない夜空の下、彼らの旅は、まだ終わらない。

「来ましたよ逃げ足が。グラーフめやっと来たか」

ローランドと同じ帝国の大企業G=M社の同僚である好漢グラーフ・ツェッペリンの愛船「虚無の翼号」が磯神で行った打ち合わせどおり救出に参じたのだった。



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