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乱刃

「……っ、ハル! ローランド!」

ウィンが叫ぼうとした声は、叩きつけるような強風にかき消された。

彼が目を覚ましたのは、施設の外縁部、アガルタの冷たい夜風が吹き抜ける「排気塔」の頂上付近だった。眼下には、雲海を突き抜けてそびえ立つ帝国の実験区画が、極彩色の光を放つ血管のように広がっている。

「う、ぅ……」

激しい目眩が視界を歪める。EBTGによる強制転移は、未熟なウィンの三半規管を容赦なく掻き回していた。しかし、彼は震える手で脇に抱えた鞄を必死に抱きしめた。その中には「シャード」が眠っている。

(……温かい)

不思議な感覚だった。鞄の中のシャードが、まるで少年の安否を気遣うように、柔らかな熱を帯びて脈動していた。

見習い魔法使いだった頃には想像もできなかった、絶対的な「繋がり」の感覚。それが、帝国のいかなる魔導妨害も寄せ付けないクリアな指針となってウィンの脳裏に直接響く。

(……あっちだ。地下の深いところにハルさんがいて、もっと近い下の階にローランドさんがいる)

シャードが示す「絆」の羅針盤。ウィンは歯を食いしばり、よろめきながらも立ち上がった。排気塔の縁からは、巨大な冷却ファンが吐き出す不気味な重低音が響いてくる。

「……行かなきゃ。僕が、二人を繋げなきゃ」

ウィンはもう、流されるだけの少年ではない。シャードを宿した「クエスター」として、この鋼鉄の迷宮へ一歩を踏み出した。

一方、施設の中層、重機甲部隊の待機室に近い通路へと転移したローランド・アストラ・トリオは、着地の衝撃を消すように鮮やかに身を翻していた。

「やれやれ。歓迎の挨拶にしては、少々手荒すぎますよ、准将」

彼は不敵な笑みを浮かべながら、即座に黒衣の裾を払い、腰の轟魔刀『刃桜』の感触を確かめた。

壁一つ隔てた向こう側からは、帝国兵たちの弛緩した話し声が漏れてくる。

「……ったく、 実験のせいで照明がチカチカしてかなわん」

「准将の計算通りなんだろ。俺たちは黙って、この退屈な廊下を見張ってりゃいいのさ」

兵士たちの声には、危機感の欠片もない。彼らにとって、この「鳥籠」は不落の要塞であり、何者かが侵入するなどという事態は、論理的に「あり得ない」ことだった。

「帝国は大きすぎるがゆえに、自ら作り上げた完璧な数式に盲目となる。その傲慢こそが、我々にとっての唯一の道標だ」

ローランドは鯉口をわずかに切り、刃を覗かせた。

(ウィン、君がシャードを抱えている以上、帝国は君を『物資』としてしか認識できない。だが、それが君たちの最大の武器になる)

策士の瞳は、すでにバラバラになった状況を逆手に取り、施設を内側から崩壊させるための最適解を導き出していた。

最下層、汚水処理施設とリアクターの熱が混ざり合う、湿った闇の中にハルはいた。

彼女にとって「寒い」や「暗い」といった感覚は、すでに精霊に「食われた」ことで、単なる物理現象のデータに過ぎない。

「……一、二、三。自動防衛ドローンの巡回周期、四十五秒」

彼女は闇の中で『光華』の石突きを床に固定し、音もなく気配を消した。

(ウィンは生きている。シャードの共鳴が、地下まで届いている)

ハルは無機質な瞳で、頭上の通気口を見上げた。

帝国はまだ知らない。自分たちが「迷子」だと楽観視している存在が、実は自分たちの命運を握る「死神」へと変貌していることを。

「……傲慢は、隙を作る」

ハルが呟くと同時に、頭上のドローンが通過した。

その刹那、銀灰色の三つ編みが一閃し、魔槍『光華』が音もなくドローンの基幹回路を貫いた。火花すら上げさせない、完璧な調律。

三人はバラバラになりながらも、帝国の「無知」という最大の空白を縫って、再び一つの因果へと収束し始める。

「鳥籠」の深部、カジュナート准将が待ち構える実験場へと向かって。



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