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刃桜

国境は平易に越えた。

三人が降りたのは、定期バスの終着地にして、アガルタへと渡る最果ての港町、磯神。

そこはヤシマが守り続けてきた伝統的な静謐が、真帝国のカバラ技術という名の濁流に飲み込まれつつある、歪な境界線であった。

三人の上に、夜の帳が下りる頃、磯神の街並みは一変する。入り組んだ路地には、リアクターから漏れ出す排熱が湿った潮風と混ざり合い、重苦しい熱気となって滞留していた。頭上では、カバラ機器の複雑な回路が剥き出しになった看板が、極彩色の怪しげな光を点滅させている。薄いエールと焼酎、安酒とオイル、そして乱暴な扱いと、過負荷で焦げ付いた魔導回路の臭い――それは、欲望が変質して放たれる「原色の夜」であった。

「遅いわね、ローランド」

ハル・アレナディオは、雑多な人込みの隙間にひっそりと佇む露店で、冷たく澄んだ瞳を闇に向けていた。彼女の肌は、街を埋め尽くす不気味な光を反射して青白く沈んでいる。


「相変わらずだなあ」

隣ではウィンが、鞄に隠したシャードの気配を悟られぬよう、身を縮めている。周囲には、ヤシマの伝統的な装束に身を包みながらも、カバラ駆動の重機を操る労働者や

、出所不明の情報を売り歩く密告者たちが蠢いていた。

不意に、人込みの中から見慣れた長身の影が滑り出してきた。

ローランド・アストラ・トリオだ。しかし、その黒衣の佇まいは数時間前とは決定的に異なっていた。

「お待たせしました。情報を引き出すのに、少々『誠意』を見せる必要がありましてね」

ローランドの左腰には、それまで持っていなかった得物が添えられていた。

漆塗りの鞘に、桜を模した細工が施された優美な拵え。ヤシマ独自の技術が到達した極致――轟魔刀『刃桜』。柄には引き金が備えられ、その刀身が放つ威圧感は、周囲の怪しげな光さえも撥ね退けるかのような、鋭利な静寂を纏っていた。

「……その刀。ヤシマの業物ね、サムライだったのね」

ハルの問いに、ローランドは薄く笑いながら鞘の鯉口をわずかに切った。

抜き放たれるのを待つ刃が、周囲の空気を冷たく研ぎ澄ましていく。刃文には、狂い咲く桜のような文様が浮き上がっていた。

「ええ。ヤシマの魂を一つ、帯びていくのも悪くないでしょう」

海を隔てた先、闇の中に浮かび上がるアガルタの島影は、高層ビル群が放つ光の海に沈んでいる。

「ウィン、ハルさん。船の準備は整いました。今夜の潮に乗って、あの狂乱の島へ渡りましょう」

ローランドは『刃桜』を腰に据え直し、闇の先を見据えた。

磯神の光彩を背に、三人は渡し舟へと乗り込む。リアクターの重低音が波音をかき消す中、物語の舞台はアガルタへと移ろうとしていた。

アガルタへと渡る小の揺れに身を任せながら、ハルの視線はローランドの腰に据えられた一振りに注がれていた。

磯神の濁った光を撥ね退けるその鞘は、闇の中でも異質な静謐を放っている。

「刃桜」

ローランドがその名を静かに口にした。

「ヤシマの古い伝承にある、西(サイ)の刀匠の遺作だそうです。その匠は、散りゆく桜の刹那を鋼に閉じ込めようとした」

彼は鯉口を切り、わずかに刀身を覗かせた。

怪しげな光を吸い込み、鈍く輝く刃には、確かに風に舞う花弁のような文様が幾重にも重なっている。

それはヤシマの鍛錬技術が辿り着いた一つの理であった。

「この刀が轟魔刀と呼ばれる所以は、その性質にあるそうです。何でも、ヤシマの地脈と共鳴し、空間に満ちる魔を断つ際に、雷鳴にも似た振動を放つといいますが、刀ひと振りにそんな力ありません。本門外不出とされる業物ですよ」

ハルは無機質な瞳で、その刃を凝視した。

「……業物ね。その震え、確かに感じ取れるわ」

ローランドは静かに刀を鞘に収めた。

微かな金属音。それが磯神の夜を切り裂き、彼らが向かうべき場所への始まりを告げた。

船底を叩く波音だけが響く中、ウィンはローランドの腰にあるその一振りを、怖れと憧憬が混ざり合った眼差しで見つめていた。

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