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死体は、春の匂いのする川辺に転がっていた。
京東都・源川河川敷。早朝5時42分、犬の散歩中の男性が発見。
通報から40分後、黄色い規制線が風に揺れている。
仰向けの若い男。二十代前半。
目は見開き、苦悶の表情のまま固まっている。
という報告は聞いていた。
白が誇張された解剖衣を身につける準備を進める。
防水ガウン(解剖衣)
二重手袋
フェイスシールド
マスク
防水エプロン
などなど・・・
手慣れた手つきで、器用に自身に身につけていく。
隣に並ぶ40代女性は、私の先輩・濱宮友里さん。
「浅木、どうだった?合コン?」
「え・・・」
「昨日行ったんでしょ?合コン。どうだったのよ?」
隣はよく私ら20代をからかうことが多い。何せ恋愛漫画が好きなあまり、身近でも恋愛物語のような展開が現実でも起きないか期待しているのだ。だが、、、
「結婚はもう少し先になりそうです」
「え!!いなかったの!?」
「すいません・・男性が蛙にしか見えなくて・・・その蛙化っていうのとは違うくて・・・私が単にそこら辺にいる男性が蛙にしか見えないんです!!」
その時、私の背筋が凍った。
足音をわざとらしく立てて、通り過ぎる男性のため息が聞こえてきたから。
同じ解剖チームの角谷守さん。
40代男性。解剖に関しての経験値も豊富で観察眼は鋭い。ところどころ態度の悪さが目につく。
* * *
例の報告書に書かれていた遺体が目の前に。
それを囲うように、先輩たちがポジショニングにつく。
解剖室は、世界で一番静かな場所。
冷たい光。ステンレスの台。無機質な白。
メスが皮膚を切り開く。
出血量は正常範囲。
だが胸郭を開いた瞬間、助手が息を呑んだ。
「……なんですか、これ」
心臓が、内側から潰れていた。
握りつぶされたように、筋繊維が崩壊している。
しかし外側からの圧迫痕はない。
「爆発、みたいですね・・・でも・・・どうやって?」
「違う」
角谷さんは首を振る。
「爆発なら周囲も破壊される。これは……」
まるで。
内部だけが、一瞬で高圧にさらされたような。
血液サンプルを採取する。
顕微鏡を覗いた瞬間、角谷さんは息を止めた。
「……沸騰?」
赤血球の膜が、熱変性に近い状態で壊れている。
だが体表温度は上昇していない。
そんなことが、あるのか?
私は、まだ経験豊富ではないため、先輩の力を借りながら脳を摘出する。
側頭葉に、微細な焼損痕。
電気的損傷に似ているが、電流経路が存在しない。
「濱宮さん……これ、人間にできるんですか?」
彼女は答えなかった。いや、答えれなかった
「死因は…… カテコールアミン誘発性心筋症(ストレス性心筋障害)の可能性は?若年でも起こり、内部破壊のような像が出ることがあるとも言えるのでは……」
私の意見に、濱宮は、
「血液沸騰様変性は説明できない」
と先ほどの明るい声色は消えていた。
角谷は静かに、
「 電撃様心筋障害かもしれないが、それもしっくりとは来ていない」
つまり、人間では起こせないであろう現象が関係しているとしか考えられなかった。
死因もすぐには結論づけられなかった。
角谷がマスク越しに息を吐く。
「所轄に追加情報をもらおう。現場の環境要因を洗い直す」
濱宮が頷く。
「浅木、聞き取りお願いできる?」
「はい」
* * *
解剖室の外は、蛍光灯の色が少しだけ温かい。
それでも空気は冷えている。
待機していた刑事は二人。
一人は50代後半、無精髭。もう一人は若手。
無精髭の男が名刺を差し出す。
「京東署の神谷藤一です」
軽く会釈する。
「追加で確認させてください。現場周囲の状況を、できるだけ具体的に」
「具体的に、ですか」
「風速、地面の状態、遺体の体勢、周囲の物損。些細なことでも」
神谷さんは一瞬、面倒そうに眉を動かしたが、すぐに思い出すように視線を上げた。
「風はほぼ無風。気温は摂氏八度。前夜に雨はなし。地面は乾燥」
「争った形跡は?」
「なし。草の倒れも不自然じゃない。転倒痕も特に」
「表情は?」
「苦しんだ顔してましたよ。目ぇ見開いて」
若手が補足する。
「手が、少しだけ握られてました。何か掴もうとしたみたいに」
浅木はわずかに視線を落とす。
握る?圧?内部圧壊。
「金属物、電線、変圧器、落雷痕は?」
「全部確認済み。感電の可能性は低いって鑑識も言ってます。あと妙だったのは……」
私は次の言葉を聞くように、顔を挙げ、彼の眼差しを捉え続けた。
「遺体の周囲、半径二メートルくらいの草が、寝てた」
「風で?」
「いや。押しつぶされたみたいに、円状に」
その言葉にさらに困惑の渦が巻く。どういうこと?押し潰されたとでも言いたいわけ?
『冗談は、鼻くそだけにしてよ』って思ったが、言わなかった。
「円状……ですか」
「ええ。誰かが立ってたって感じでもない。上から圧かかったのかな〜」
上から?自然現象?上から大男が体重でもかけた?
* * *
やっぱりこういうのは現場に行かないと。
そう、私は源川河川敷に向かう電車に乗っていた。
大学の時に上京して以来、さすがに、この人混みは慣れるだろうと思ったが、最近はやたらイラついてしまう。
そのストレス解消としてアプリでラジオを聴くようになった。
私の耳にイヤホンを取り付け、どこかホッとする誠実な男性の歌声が私の精神状態を安定させる。
ふと顔を上げた。視線の先には、ニュースの短い報道が流れる。テロップには、『小惑星の一部が、相模野県に墜落。復興支援続く』の文字。
あれは2年前のことだ。大きな小惑星が田舎町一面を一気にクレーターにしてしまった。
それで、私の姉さんは……ああ、まただ。
深く目を瞑り、男性の歌声に集中する。
それでも荒れ始める呼吸のリズム。必死に歌に意識を回す。
フゥーフゥー。
大丈夫、大丈夫。
次第に落ち着かせる呼吸の波形。
よし、大丈夫。
* * *
現場の源川河川敷にやってきた。
川風が思ったより冷たかった。
道路はまだ交通量が少ない。通学前の自転車が一台、静かに通り過ぎる。
視線を下げると、コンクリートの階段が、ゆるやかに河川敷へ続いている。中央の手すりは銀色で、ところどころくすんでいた。
階段を下りきると、足元は舗装された遊歩道に変わる。ジョギング用の白線がまっすぐ伸び、その向こうに草地が広がっていた。
川までは少し距離がある。歩いて三十歩ほどだろうか。
規制線は草地の中央付近に張られていた。
無意識に歩幅を数える。
階段から十歩。
白線を越えてさらに十五歩。
そこで、足が止まった。
そこだけ、草が低い。
風に揺れているのに、円を描くように寝たまま。
踏み荒らした形ではない。外側から均等に押されたような、不自然な整い方。
周囲を見回す。上を見上げる。
遮るものは何もない。電線も、看板も、枝も。
ただ、空。
だが気になる点がある。
その不自然な草は燃えたような形跡がある。この周囲の草だけ焼けた?
内部圧壊。
瞬間高温。
草の変性。
円状圧痕。
点が、線になり始めている。
「人間の力では証明できない」
そう呟いた。
* * *
大学附属の法医学教室は、古い棟の三階にある。
エレベーターは使わず、階段を上る。
靴音が、やけに早く大きく響く。
資料室の鍵を回す。
重たい扉が、低く唸るように開いた。
窓は小さく、光は斜めに差し込むだけ。
壁一面の書架には、年度別の事件ファイルが整然と並んでいる。
紙と埃と、インクの匂い。
そのまま奥へ進んだ。
目的は決まっている。
「死因不詳」「急性心停止」「原因不明」
近年2年分。
検索端末を立ち上げる。
指が、ほんのわずかに震えている。
キーワードを打ち込む。
『内部圧壊』
『外傷なし』
『電撃様損傷』
ヒット件数、3件。
「……」
1件目。
2年前。
男性、41一歳。
自宅で突然死。
所見――心筋壊死。外傷なし。毒物なし。
付記:死の直前、強い静電気様現象を家族が証言。
2件目。
1年前。
女性、19歳。
河川敷。
草地に円状の倒伏痕。
呼吸が止まる。
3件目。
一年前。
男性、35歳。
工場敷地内。
コンクリート床面に局所的熱変性。
共通点。
全員、外傷なし。
報告書の末尾。“物理的原因、特定できず。
だがそれだけじゃない。この2年前から始まったのも、気になっている。何か引っ掛かる。それ以上考えたいが、もう思考が爆発しそうだ。
まさに、謎が謎を呼ぶ展開で、頭が破裂しそう。
「にゃ〜〜〜!!わからん!!!」
と誰もいないことをいいことに、叫んでいた。
* * *
法医学教室の共同研究室は、夕方になると急に静かになる。
解剖のある日は特にそうだった。
アルコールと消毒液の匂いがまだ衣服に残っている気がして、白衣を椅子の背に掛けた。
角谷さんと濱宮さんのデスクは向かい合わせに並んでいる。間には古いパーティション。書類の山と医学雑誌、それに使い込まれたマグカップ。
蛍光灯の音だけが、低く続いていた。
「……疲れた顔してるわね」
濱宮さんがキーボードから目を離さず言う。
「少し、頭を冷やしてます」
「珍しい。浅木が考え込むなんて」
否定できなかった。
河川敷の円形。
内部圧壊。
説明不能の熱変性。
医学的な言葉に置き換えても、何かが余る。
向かいで、ページをめくる音がした。
角谷さんだった。
解剖後のルーティンのように、彼はいつも文庫本を読む。医学書ではない。完全に趣味の小説だ。
「また読んでるんですか」
と言うと、角谷さんは視線を本から上げないまま答えた。
「頭の整理にはフィクションがいいんだよ。現実は情報が多すぎる」
ページが一枚、静かにめくられるその時だった。
角谷さんの手が止まった。
「……ん?」
「どうしました?」
角谷さんは本を閉じず、数行を読み返す。
眉間に皺が寄る。
「いや……偶然にしては、妙だ」
「何がです?」
彼は本を少し持ち上げた。
「この小説。変死事件が出てくるんだ」
濱宮さんが笑う。
「また猟奇モノ?」
「違う。医療監修が入ってるタイプだ」
角谷さんはページを指でなぞる。
「外傷なし。若年男性。突然死。解剖すると――心臓が内部から破壊されている」
室内の空気が、わずかに止まった。
思わず立ち上がる。
「……見せてください」
本を受け取る。
活字を目で追う。
“遺体の周囲には円形に草が倒れていた。”
指先が止まる。
「……」
濱宮さんも椅子を寄せて覗き込む。
「ちょっと待って。これ今日の――」
「似すぎてる」
角谷さんが低く言った。
ページをめくる。
続きには、現象の仮説が書かれている。
“見えない圧力場による局所的エネルギー収束”。
「出版はいつですか」
「4、5年前だと思う」
「事件モデルは?」
「フィクション扱いだな」
素早く小説の表紙を見る。
そこには
作者名:咲白朱莉
と概要。
「完全創作か〜」
濱宮さんが補足する。
「もし完全な想像なら、妙に具体的すぎる」
「……この作者、会えますか?」
濱宮さんが目を細める。
「まさか取材?」
「確認です」
角谷さんは少し考え、スマートフォンを取り出した。
「サイン会の記録があるな。都内在住らしい」
私の胸の奥で、何かが繋がる。
「出版社に聞いてみます!!」
誰よりも早く、コートを手に、駆け出す。
* * *
本のページの端に、小さく書き込まれたメモを。
――取材対象:実在事案?
誰の字でもない、その走り書きを。
作者名:咲白朱莉、過去作品で見覚えありませんか?




