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乞食からはじめる、死に戻り甲賀忍び伝  作者: 怒破筋
第二章 天文法華の乱ーー燃えゆく京
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第八十一話 月下の夜叉、武骨に生まれ変わる

風が吹いている。

土と苔の匂いが夜の山に満ち、梵寸と華の衣をなびかせていた。

明日はいよいよ、運命の八月四日――天文法華の乱が始まる日である。

その前夜、ふたりは静かな山の庵で座禅を組んでいた。

梵寸は瞼を閉じたまま、気の流れを読む。

一方の華は、背筋を伸ばしながらも、心の奥に火を灯すような集中を見せていた。


「にいに、華……もうすぐ上に行けそうだよ」


ぽつりと、少女が呟く。

それは、山に響くにはあまりにも無垢な声だった。

だが、言葉の意味はとんでもない。

梵寸は目を開け、薄く息を吐いた。


真境の境地に至ったのが三月――。

それから、まだ半年も経っていない。

十歳の少女が次の境地を目指すなど、常識ではあり得ぬ。

甲賀衆の中で天才と呼ばれた梵寸ですら、死に戻る前は二十歳で真境を破った。

その六段階上に位置する“天境”を極めた男が、かつて研究していた修行法を、いま幼い妹が己の身でなぞっている。


「そうなると、華は夜叉か」

梵寸は低く呟いた。

「真境を突破し、第二段階――極境となった忍びをそう呼ぶ。まったく、常人の歩みではないな」


(……この天才めが)


月光が差し、梵寸の横顔に影が落ちる。

彼は、文献の片隅に記されていた“月呪ノ業”の記述を思い出していた。

――呪われし血を持つ者は、才を持って生まれる。だが十を越えては生きられぬ。

そう記されていた。

伝説半ばとされていたが、今目の前で起きていることが、それを裏づけるようだった。


「にいに……来たよ」


その瞬間、華の丹田から光が漏れた。

淡い輝きは脈打つように強さを増し、月光と混じり合って庵の中を銀白に染め上げる。

空気が揺らぎ、石畳の露が跳ねた。


「う、ううっ……! 体が……体が変だよ、にいにっ!」

華の声が悲鳴に変わる。

肌の下で骨が軋み、筋肉がうねる。

その身を包むのは、まるで炎の中に放り込まれたような灼熱。

赤い光が体表を走り、皮膚の奥から火が燃え上がる。

少女は苦痛に顔を歪め、地面に両手をついた。


「熱い……っ! 熱いよ、にいに……っ、助けてっ……!」


梵寸は眉ひとつ動かさず、ただ静かに見つめた。

声は冷たく、それでいて揺るぎない。


「――耐えろ、華。それが“武骨新生”じゃ。

その熱は、おぬしの中の弱き肉を焼き払い、武人の骨を生む炎ぞ。」


言葉は山を震わせるほどの重みを持っていた。

華は涙をこぼしながらも、歯を食いしばり、その声にすがった。

(耐えろ……耐えろ……うううっ)

そう華は心の奥で繰り返す。


やがて、彼女の身体は紅蓮に包まれた。

夜気が押し返され、空気が波のように揺れる。

燃える光が頂点に達した瞬間――。


轟、と獅子が吠えるような閃光が弾けた。境地が上がる時に起きる現象、獅子神光であった。

地を這う岩が震え、風が渦を巻く。

光の中から現れたのは、もはやかつての華奢な華ではなかった。

赤子が殻を破るように、彼女は新たな肉体を得て立っていた。

その姿は神々しく、夜叉の如く凜々しい。


「……終わったのう」


梵寸は静かに息を吐いた。

華は膝をつき、荒い息を繰り返しながらも、微笑んだ。

痛みと恐怖の果てに、確かな自信が宿っていた。


「武骨新生……久しぶりに見たのう。それは達人への道じゃ。第一段階の真境とはまるで別物じゃ」

梵寸の声はどこか優しく、誇らしげだった。

華は震える指で額の汗を拭い、夜風に身をさらした。

焦げた匂いが流れ、月の光がその頬を照らす。

それはまるで、死と再生を見届ける儀式のようだった。


◇◇◇


外に出ると、月が山を照らしていた。

銀の光が梵寸と華の影を長く引き、静寂が満ちる。

華は少し怯えたように息を呑み、両手を握りしめた。


「にいに……本当に使っていいのかな。これ、月呪ノ業なんだよ……」


「構わぬ。己を信じろ。恐れるな、華。技は心の鏡ぞ」


梵寸が静かに頷くと、華は覚悟を決め、手を突き出した。

「月呪ノ業第一ノ型・霜礫飛翔そうれきひしょう

瞬間、空気が凍り、無数の氷の礫が夜空に散った。

鋭く尖った氷の弾が、矢継ぎ早に連なり、樹木を削り取っていく。削り取られた部位が凍りついていく。


「これは……すさまじいの」

梵寸は低く呟き、思わず目を細めた。

氷の破片が風に舞い、月明かりを受けて青白く煌めく。


続いて華は、そっと両の手を合わせ、胸の奥で静かに息を整えた。その所作に呼応するように、梵寸が短刀の刃で腕へ浅く切れ目をつける。


極境に至った者だけが扱える神技――

「月呪ノ業・第二ノ型《氷癒掌ひょうゆしょう》」


名が示す通り、華の掌は透明な薄膜にすうっと覆われた。音すら立てぬまま現れたその膜を、彼女は梵寸の傷口へそっと重ねる。


瞬間、にじんでいた血が氷に閉じ込められるように止まり、淡い光が傷の周囲を包んだ。

やがて氷が静かに溶け落ちると――梵寸の腕には、もはや傷跡すら残っていなかった。


「……これもまた、神業の域よな」


梵寸は深く頷き、細めた目にわずかな驚嘆を漂わせる。

華は息を荒げながらも、その瞳には揺るぎない自信が宿っていた。


夜風が氷の欠片をさらい、二人の頬を冷たくなぞっていく。


◇◇◇


その時だった。

――風が裂けた。


(……この神気は……)


梵寸が反射的に身構えるよりも早く、木々の影を突き破るように小さな影が駆けてきた。

砂煙が舞い、光が弾ける。


「師匠! 大変なことが起きました!」


息を切らして飛び込んできたのは小吉だった。

その顔は汗で濡れ、目には焦燥が浮かんでいる。


「これこれ、小吉よ。忍びはいかなる時も平常心を失ってはならぬ」

梵寸が穏やかに諫める。

その声音だけで、空気が引き締まった。


小吉は大きく息を吸い、深呼吸を一つ。

やがて、落ち着いた声で言った。


「六角定頼の観音寺城に、兵が集結しています!」


月が静かにその報せを照らした。

風が、戦の始まりを告げるかのように山を吹き抜けていった――。


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