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乞食からはじめる、死に戻り甲賀忍び伝  作者: 怒破筋
第二章 天文法華の乱ーー燃えゆく京
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第七十五話 星霜村特訓編・第二部「双刃、影と光の道」


――鬼哭の断ち崖。

その名を聞くだけで、星霜村の者たちは肩を震わせた。


修行が始まって三日。

泣きながら登り、泣きながら落ち、泣きながら再び登る――。

それが、いまの星霜村の“日課”である。


「雷丸っ、足を滑らすな! 昨日も落ちたばかりじゃろうが!」

「だってよ、あの岩がツルツルして……ああああああ!!!」


ドゴォォン――。

土煙が上がり、谷底から「いってぇぇ……!」という悲鳴がこだまする。


霞が岩肌を軽やかに登りながら、くすりと笑った。

「ふふ、懲りぬ方ですね、雷丸は」


霧が流れ、陽がまだ届かぬ谷。

霞の指先は震えず、風のように舞っていた。

梵寸の厳しい指導のもと、彼女の身のこなしは修験者の域を越え、

もはや“風そのもの”だった。


だが――その頬はほんのり赤い。

(今日こそ、継尊様に褒めていただこう)

胸の奥で小さな炎が揺らめく。

だが、次の瞬間。


「霞、動きが甘い。左手の呪印が乱れておるぞ」

「は、はいっ! す、すみません継尊様!」


霞の顔が真っ赤になる。

下から剛蓮が苦笑交じりに声をかけた。

「おぬし、継尊様の声を聞くたびに、紅葉のように赤くなっとるぞ」

「ち、違いますっ!」


そんなやりとりの中、梵寸は崖の頂で静かに目を細めた。

風が吹き、彼の黒髪が少年のように揺れる。

しかし、その瞳には七十九年の地獄を越えた老忍の光が宿っていた。


「うむ。基礎体力はようやく“死なずに済む”程度になったな。

 そろそろ次の段階に入るとしよう」


「つ、次の段階……?」

雷丸が恐る恐る顔を上げる。


「うむ。“忍の型”を授ける。

 星霜村を守るには、術だけでは足りぬ。

 肉体そのものが武器とならねばならん。これより――“双刃の修行”を行う」


「双刃……つまり、二刀流ですか?」

「左様。忍の流派では“影と光”と呼ばれる。

 右は速さ、左は静寂。

 その両方を使いこなした者だけが、真の修験忍となるのだ」


「真の修験忍……かっけぇ!」

雷丸の瞳が輝いた。

剛蓮も静雅も霞も、息を呑むように梵寸を見つめる。


「して、どのように修行を?」

剛蓮の問いに、梵寸はゆるやかに微笑んだ。

その笑みを見て、木陰にいた華と小吉は顔を見合わせる。


(あ、また“あの顔”だ……)

(うん……誰か死ぬ顔……)


二人はよく知っていた。

梵寸がその笑みを見せるとき、必ず“地獄”が始まることを。


華はかつて滝に打たれ、凍てつく夜に瞑想を命じられた。

小吉は“真剣投げ避け特訓”を笑顔で乗り切った。

だから分かる。これから始まるのは……


――命を削る修行だ。


「では始めよう。“流影走りゅうえいそう”の型を授ける」

梵寸の声が風を切った。

「刀を二本構え、風を裂きながら――崖を降りよ」


「お、おり……!? 崖を!?」

「登るのではなく!?」


「そうだ。登るのはもう飽いた。降りるのだ。しかも――逆さのまま」


「死ぬってぇぇぇぇ!!!」

「無理です継尊様ぁ!!!」


「案ずるな。死にさえしなければ、わしが治す」

「それ安心じゃありませんからぁぁぁ!!!」


崖の上で村人たちが悲鳴を上げる中、雷丸だけが妙に輝いていた。

「やってやるぜ……! 拙僧せっそうは今日から“雷影丸らいえいまる”だぁぁ!!」


次の瞬間――。


ズシャアアアッ!!


雷丸が二刀を抜き、逆さの姿勢で崖を駆け降りた。

足裏で風を裂き、岩を蹴り、宙を滑る。

光がその身を照らし、少年の顔がまるで飛ぶ鷹のように凛々しかった。


「雷丸っ!? あいつ、本気でやりおった!」

かすみが叫び、すぐに跳躍する。

空気が裂け、白い霧が舞う。

朝日が二人を照らし、双影が断ち崖を滑り落ちていく。


まるで、光と影の鳥が飛翔するように――。


だが次の瞬間。


「ぎゃあああああ!! 下が川じゃなかったぁぁ!!」

「雷丸うううううう!!!」


谷底に木霊する、情けない悲鳴。

剛蓮が額を押さえた。


「……あやつ、毎回やらかすのう」

「だが、根性はある」

静雅が小さく笑みを浮かべる。


梵寸は黙って頷いた。

「うむ。愚直こそ、力の源。

 星霜村の者よ、恐れるな。

 崖を降りる恐怖を越えたとき、己の中にある“影”が見える。

 その影を乗りこなしてこそ――真の修験忍となるのだ」


その声は、風に乗って谷を満たした。

響きは岩を伝い、木々を震わせ、まるで神託のように響き渡る。


華と小吉は目を輝かせる。

「すごい……みんな、忍みたいだ!」

「うん。華たちの苦労、やっとみんな分かってくれたね」

「そうだね……うひひっ」


二人の笑顔には、梵寸の地獄を生き抜いた者だけが持つ誇りがあった。

その笑顔の向こうで、村人たちは己の恐怖と戦っていた。


梵寸は静かに、しかし確かに呟く。


「まだ始まりにすぎぬ。

 星霜村は――忍びの里として生まれ変わる。

 これはその最初の夜明けよ」


山の端から光が差し、霧が裂けた。

崖の岩肌が黄金に染まり、朝日が修行者たちを照らす。


その中で、再び雷丸の悲鳴が響く。


「誰かっ! 縄を持ってこいぃぃぃ!!!」


――修行はまだ、終わらない。


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