第六十八話 夜を裂く神剣ーー決着の果てーー
刃先が喉元を抉る――その瞬間、出雲の声が夜を震わせた。
「首を取ったぞ、無音!」
だが、刃が完全に通る直前。
金属が裂ける鋭い音が、夜気を貫いた。
出雲の短刀は、柄元から根こそぎ折れていた。
刃の残骸が月光を散らし、空には一瞬、鉄の匂いが漂う。
出雲は愕然とした。
突き立てたはずの首に、血も痛みもない。
代わりに伝わってきたのは、鉄よりも硬い、異様な抵抗――。
「……なに、これは……」
梵寸の肌は、光の下でわずかに黒く輝いていた。
それは肉ではない。神気の圧縮により、肉体そのものが鋼と化していたのだ。
皮膚が鎧のごとく鳴り、短刀の刃は根元から弾かれた。
出雲の喉奥から、かすかな呻きが漏れた。
驚愕だけではない。
そこには、忍びとしての屈辱が混じっていた。
「……ぬかったか、我が刃が……」
梵寸は短く息を吐き、軽く肩をすくめる。
その動きひとつで、外套が音もなく揺れた。
彼の瞳には、冷徹さの奥にわずかな決意が宿っている。
「剛力無双――」
低く囁く声。
丹田に渦巻く神気が一瞬で全身を駆け、肉体を鉄のごとく締め上げる。
刹那、梵寸の輪郭が月光に滲んだ。
彼は短刀を顎先に構え、神気を込めた。
刃の表面が淡く光を帯び、やがて光の粒子が浮かび上がる。
それは呼吸するように伸び、短刀は一瞬で一メートルの「光剣」へと姿を変えた。
神剣――第五段階・玄境に至った者のみが扱える、禁忌の領域。
出雲の瞳がかすかに見開かれる。
「……神剣、だと……」
だが恐れはなかった。
むしろ、その目に宿ったのは、忍びとしての最後の誇りだった。
敗北を悟ってなお、己を縛る宿命の枷を破りたいという、烈しい意志。
梵寸は踏み込み、閃光のように一閃した。
神剣が風を裂き、弧を描く。
光の軌跡が夜気を割き、衝撃波が迸った。
「――っ!」
出雲の体が宙を舞う。
服が裂け、畳に叩きつけられた。
血は流れない。断たれたのは命ではなく、誇りだった。
「馬鹿な……神剣……とは……貴様、まさか玄……境……」
その声が途切れると同時に、出雲は崩れ落ちた。
畳の上で動かぬ体。その表情には、奇妙な安らぎさえ浮かんでいた。
梵寸は光を収束させ、短刀を鞘に納める。
月明かりが、沈黙の庭を照らしていた。
「悪く思うな、出雲よ。面目は剥がしたが、命までは取らぬ」
その声音には、忍びとしての敬意が滲んでいた。
出雲がかつて守ったものを、彼もまた背負っている。
己の宿命を果たすために。
静かに背を向け、梵寸は闇の中を駆けた。
霧の奥に、まだ果たされぬ目的がある。
(……死に戻り前の惣領を倒すとはな。やはり、流れが変わりつつある。
華の生存も、その一環か……。不動明王の言葉、今こそ果たす時かもしれん)
夜霧が、再び甲賀の山を覆う。
梵寸の足音は次第に遠ざかり、やがて完全に消えた。
残されたのは、倒れ伏す出雲と、凍りついた月だけ。
そしてその沈黙の先に――
六角定頼の寝所が、待っている。




