第五十話 傾奇者、鴨川に立つ
小吉と梵寸は、夕闇の迫る鴨川の河川敷を駆け抜けていた。
小石に足を取られそうになりながらも、胸を締め付ける不安が梵寸たちを急がせる。
「師匠早く! 嫌な匂いがする!」
小吉が息を切らせながら叫んだ。血の匂いを敏感に嗅ぎ取っているのだろう。
その言葉どおり、視界の先にぞっとする光景が広がった。
河川敷の草むらに、十三の小坊主――経心がいた。
頭から血を流し、袈裟は赤く染まり、震える腕で薙刀を握っている。
その傍らでは、華が泣きじゃくり、恐怖に固まったまま動けなくなっていた。
経心と華の前に立ちはだかるのは、三人の男たち。
派手な衣装に身を包み、刀を抜いている。
その姿は、ただの浪人とは明らかに違った。――傾奇者である。
ひとりは浅黄色の陣羽織に大柄の紅の牡丹を染め抜き、頭には黒塗りの鬼の面を斜めに被っていた。
ひとりは緋色の水干に白銀の瓢箪をぶら下げ、髪を逆立て、片目を布で覆っている。
もうひとりは鴉の羽根を肩に吊るし、襟元には数珠を無造作に掛けた法師崩れ。
異様な姿は夕陽に照らされ、血の匂いと混じって芝居めいた地獄絵のようであった。
「小坊主、死にたくなければ、その娘を渡せ」
鬼の面を被った男が、鼻にかかった声で言った。
経心はぐらつく足を踏ん張り、薙刀を中段に構える。
「華は……拙僧の妹も同然。傾奇者などに渡せるものか。欲しくば、拙僧の屍を越えてゆけ!」
声は震えていたが、眼光は燃えるように真っ直ぐだった。
鴉羽の法師崩れが、不敵に笑う。
「俺たちは法華宗と揉めるつもりはない。
だがな――その娘の入れ墨は見事だ。彫ったのは誰だ? 言えば解放してやろう」
「絶対に言うものか! 貴殿らの思いどおりにはさせん!」
経心は唇を噛みしめて叫んだ。
――その時。
「それを彫ったのは、わしだ」
梵寸は前へ歩み出て、経心と華の前に立った。
姿を見た瞬間、経心は安堵の笑みを浮かべ、力が抜けたのか後ろに崩れ落ちる。
「師匠……!」
小吉が慌てて支え、華は泣きながら梵寸の胸に飛び込んできた。
「にいに! にいにぃ〜!」
華の震える声が耳に届く。
「華や、怖がらせてすまんの。もう大丈夫じゃ」
梵寸の胸に飛び込んできた妹の頭を優しく撫でた。
七十九年の生を終え、死に戻ってきた我が身。
見た目は十二歳の小僧であれど、甲賀衆惣領としての威は消えてはいない。
梵寸は眼前の傾奇者どもを睨み据え、低く言い放った。
「お前たち、わしの大切な者に危害を加えて……無事に帰れると思うな」
紅の牡丹を背負った男が吠えた。
「小僧が何をほざく! お前が彫ったなどと信じられるか! 誰が彫ったか吐け!」
そう言うなり、刀を振りかざして梵寸を威嚇してきた。
鴨川の風が戦いの幕開けを告げるように吹き荒れた――。
だが、梵寸は一歩も退かぬ。
「名を名乗れ。せめて、誰を叩きのめしたかくらいは覚えておいてやろう」
三人は互いに目を見合わせ、嘲るように笑った。
「面白い小僧だな。よかろう――我らは鴨川天魁派に属す者」
鬼の面の男が胸を張り、声を張り上げる。
「我が名は鬼面の鴉丸!」
片目を布で覆った男が、瓢箪を鳴らして続ける。
「緋衣の瓢兵衛!」
法師崩れが数珠を握り締め、不気味に笑った。
「数珠之助とは俺のことよ」
三人は揃って刀を構え、夜風を裂くように声を合わせた。
「我ら――悪道鬼刻五衆、鴨川天魁派の傾奇者なり!」
その名を耳にした瞬間、空気はさらに張り詰めた。
正道七武門と並び称される京の二大勢力――その闇を担う悪道鬼刻五衆。
その一角に連なる連中が、今まさに梵寸の前に立ちはだかった。




