第五話 復讐の残火(ざんか)
「止めろ――! このクズ乞食ども!」
甲高い怒声が、梵寸の背を突き抜けた。振り返れば、路地の奥からお梅が飛び出してくる。
薄い着物に素足のまま、手には何も持っていない。だが、その眼だけは鋭く光り、真っ向から乞食どもを射抜いていた。
「お前ら、さっき梵寸から金を取ったろ! それでもまだ足りないのかい! 腹をすかせた子どもの飯まで盗る気か! 人でなしども!」
声は震えていた。だが歯を食いしばり、怯えを押し隠していた。
――ここでは弱さを見せたら喰われる。
それを骨の髄まで知っているのは、遊郭に生きる女である彼女自身だった。
「へぇ、口の立つ姐さんだな」
一人の乞食がいやらしい笑みを浮かべる。
「こりゃあ飯だけじゃなく、女までついてくるってわけか。今日はついてるぜ」
お梅の顔色がさっと青ざめた。だが、己の頬を両の掌でぺちんと叩き、気合を入れ直す。
「いいかい、あたしは六角様の旦那衆とつながりのある女だよ! ここであたしに指一本でも触れたら、六角の名を背負う者が黙っちゃいない! それでもやるのかい!」
腰に手を当て、胸を張って乞食どもを睨み返す。その声には必死の覚悟が滲んでいた。
だが、乞食たちの笑みは凍り、代わりに憎悪が目に宿った。
「六角……だと?」
前に出たのは、棒を持つ中年の男。髪はぼさぼさ、顔は煤け、だがその瞳だけは異様に鋭い。
「俺は……山田源次郎。昔は細川高国様に仕えていた武士だ」
声は低く、唸りのように響く。
「だが六角に裏切られ、主君は討たれ、家も誇りも踏みにじられた。残ったのは、地べたを這いずり、飯を乞う惨めなこの身よ!」
お梅の顔から血の気が引いた。
――これはまずい。
遊郭の情報屋・妙婆の言葉が脳裏に蘇る。
〈細川、三好、山名……この三つの名を背負った浪人には絶対に関わるな。火種を抱えた連中だ〉
「てめぇら、六角の回し者ってんなら……ちょうどいい!」
山田の声が路地に轟いた。
「俺の憎しみ、ここで全部ぶつけてやる!」
怒号とともに、乞食たちが棒や石を掴み、梵寸たちに襲いかかってくる。
「逃げろ、華! 梵寸!!」
お梅の悲鳴が響いた。
路地に混乱の足音が炸裂し、埃が舞い上がる。
その只中で、梵寸の瞳だけが冷ややかに光を帯びていた。
――やはり、この時代は血と怨嗟に塗れておる。
七十九年の果てに見た地獄が、再び目の前に広がろうとしていた。
「……よかろう」
梵寸は小さく呟いた。十二歳の声帯からは似つかわしくない、惣領の低い響きが漏れる。
「乞食であろうと、かつて武士であろうと……我が刃の前では同じことよ」
次の瞬間、彼の身体が稲妻のように前へ走った――。




