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乞食からはじめる、死に戻り甲賀忍び伝  作者: 怒破筋
第一章 乞食から忍びへーー死に戻った梵寸の再起
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第三十八話 闇よりの賭け ― 吉岡の貸しと影の刃

「……桐山、山田――腹を斬れ!」

その一声は、抜き放たれた刀よりも鋭く、場の空気を切り裂いた。弟子たちの胸を冷たく貫き、誰ひとり声を発せなくなる。畳の上に流れる静寂は、まるで死そのものが影を落としたかのようだった。


桐山と山田の顔からは血の気が引き、絶望の色が濃く浮かぶ。吉岡派の宗主・吉岡直元の裁きがどれほど残酷で冷厳たるものか、二人は痛いほど理解していた。許しなどない。情けもない。ただ、武門の誇りを守るための断罪が、今まさに下されようとしているのだ。

桐山左馬之助は、震える声を必死に振り絞った。


「お、御免を……! わしは騙されただけでございます! 黒縄屋と結託など、断じて……!」

山田は土下座し、畳に額をこすりつけながら涙を流す。

「宗主様! どうかお慈悲を! 俺たちは吉岡のために尽くしてきたのです! 切腹など……お助けくだされぇ!」


だが、直元の眼差しは氷の如く冷たく、粗雑さ微塵もなく揺らぎはなかった。

「恥を知れ。吉岡の名を穢し、武士の誇りを捨てた者に、生き恥を許すわけにはいかぬ」


その言葉は、雷鳴のように弟子たちの胸を打ち、道場の気配を凍結させた。桐山は最後の望みにすがるように声を張り上げた。

「宗主、わしらは……まだ……!」


しかし直元は一歩踏み出し、刀の柄へ手をかけた。その気配だけで畳を踏む足音が遠のくように感じられた。

「潔く果てよ。武士の末路は、己が腹で決すものだ」


桐山と山田は絶望に呻き、震える手をふところへ伸ばす。涙と冷や汗にまみれた顔には、運命を悟る色が浮かんでいた。

しかし、直元はその直前で刃を押さえ、静かに告げた。

「四人を牢へ連れて行け」


弟子たちが桐山と山田らを取り押さえる。場に響くのは、畳を引きずる音と、呻き声だけだった。

「宗主様! お助けを! 俺たちははめられたんです! 梵寸! 糞の梵寸! テメェ! ぶっ殺してやる!」


山田は暴れ狂いながらも、弟子たちに押さえ込まれ、引きずられていく。その声は必死さと怨嗟に満ちていたが、徐々に遠ざかっていった。明日の朝には切腹か、あるいは処刑か――その運命はすでに定まったように思えた。


◇◇◇


一連の騒動が収まり、場に静寂が戻ったとき、妙婆がすっと直元の前に歩み寄った。しわだらけの口元に含み笑みを浮かべつつ、その目は鋭さを失っていない。


「さて、宗主殿。ここまで取りまとめるのは見事じゃ。しかし、世の中にはただで助け舟を出す者などおらんものさね」

弟子たちはざわめいたが、妙婆は気に留めず、梵寸へと視線を送る。


「梵寸、お前さんはどうするね? 見返りを望まぬってわけにはいかんだろう?」

梵寸はしばし沈黙し、それから口を開いた。声音は乞食の身なれども、老練の威を帯びている。


「金子など要らぬ。ただ一つ、望むは吉岡派の武力よ。一度だけでいい、我が命じた時、吉岡門派の武を貸してくれぬか」

場にはどよめきが走った。無謀とも思えるその要求。しかし梵寸の目は揺らがない。


直元は腕を組み、長く沈思した後、静かに頷いた。

「……よかろう。吉岡派の剣豪以上の武力、いついかなる時であれ、一度だけ必ず貸そう」


その誓いは重く、弟子たちの胸に震えを走らせた。

妙婆は目を細め、口元に含み笑みを浮かべた。

「ほぅ……さすが宗主殿。肝が据わっておる。梵寸、これで吉岡門派に一つ貸しを作ったってわけだね」


お梅は不安げに梵寸を見上げた。

「……梵寸、本当にいいの? そんな大きなものを……」


梵寸はお梅の頭を軽く撫で、低く答えた。

「いずれ必ず要る時が来る。そん時のためよ」


直元は梵寸を見つめ、静かに言葉を落とす。

「約束は果たす。だが、軽んじるな。この武は命と血で築かれたものだ」


梵寸は頷き、ただ一言。

「心得ておる」

こうして契約は結ばれ、場の空気はわずかに和らいだ。


◇◇◇


帰り道、夜風に吹かれながら歩く一行。妙婆はふと探るように梵寸を見やった。

「お前さん……妙な強さを持っとるねぇ。いったい、いつからそんな腕を上げたんだい?」


「おかげで黒縄屋の鬼塚鉄牛は気を失っておった。護衛たちも楽に捕らえられた。あの鬼塚は、剣士の域を越え、剣匠に届く男だった。だが、眠らせたのだ」


梵寸は少し考え、言葉を足した。

「……華が死にかけたときよ。あのとき、急に境地が開けたのじゃ」


それは半分が真実であり、半分は偽りだった。その先を語るつもりは、今はまだない。

妙婆は鼻を鳴らし、護衛の一人に尋ねた。

「そこの者、お前、どう見た?」


護衛は沈黙を破り、低く答えた。

「……あの者は、少なくとも剣豪の境地に達しておる」

その言葉に、梵寸は思わず振り返る。護衛の顔を見て、言葉が零れた。


「……赤尾、か」

護衛の目が驚きで見開かれる。彼は静かに刀を抜いた。鞘鳴りが夜気を震わせる。


「貴様……! 我が名をなぜ知っている」

妙婆についていた護衛の忍者が、忍者刀を抜き、梵寸の首元へ刃を突きつけた。闇の中、刃の冷光が一瞬だけ煌めいた。


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